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 薔薇洋館の主

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本当に凄く景色の良い所だって聞いてたのよ。
実際、展望台から見える雄大な山々はとても力強くて美しくて圧巻だったし、何より他の観光客がいなかったから貸切状態で思う存分堪能できたの。
だから、旅行に来て良かったって心から思ったの……に!
どうしてこうなるのよっ!!

みちるは内心で毒づきながら、自分の顔にかかる横殴りの雨を片手でしのぎ、真っ暗な山道を一人歩いていた。
上から下までずぶ濡れで、顔に張り付いた髪が気持ち悪い。しかし何度払いのけても、この強風ですぐにまた張り付いてしまう。
一歩踏み出すたびに、ぐじゅっという音を立てて滑るスニーカーに舌打ちした。
周りを見渡してもここがどこなのかさっぱり判らない。
判るのは、とんでもなく山奥で街灯も何も無いという事だけだ。もちろん民家などあるわけもなかった。

一人旅を気取って辺鄙な山奥の展望台に来たは良いけれど、帰り際に雨が降り出してしまった。
ここまでタクシーで来たのだから、帰りもタクシーを呼ぶつもりでいたのに、携帯は圏外。慌てて少し離れたレストハウスに駆け込めば『紅葉時期以外は閉店中』の看板。それでも店の脇に公衆電話があったので、かけようとしたところ3コール目でいきなり切れた。
何事かと受話器を握ったまま見れば、300メートルくらい先の電柱に大きなビニールがひっかかっていて、その先から切れた線が垂れ下がっている。
……なんなの、この展開。
呆然と立ち尽くすみちるの目の前には、真横に飛んでいく雨粒だけがあった。
それでも、おかしいと気付いたタクシーの運ちゃんが来てくれるかも……という思いに賭けて、レストハウスの軒下で雨宿りをした。
3時間後、縦横無尽に吹きまくる風と雨ですっかりびしょ濡れになったみちるは運ちゃんを呪った。
待っているうちに日の落ちた展望台。
夏だから濡れても凍死することは無いけれど、さすがに身の危険を感じてみちるは焦る。
どのみち朝まで待っても誰も来ないだろうし、電話も繋がらない。みちるが街に行って電話線が切れている事を伝えなければ、誰も事実を知らないのだ。
下手したら、いつまでも気付かれない可能性だってある。
待ち続けて餓死するくらいなら、体力が残っているうちに行動した方がいい。
みちるは意を決して真っ暗な山道を歩き出した。とりあえず下へ。

……どれくらい歩いたんだろう。
普段なら、こんな真っ暗で鬱蒼とした道路、恐ろしくて近寄らない。でも行くしかない。
雨に打たれながら黙々と歩き続けているうちに、なんだか可笑しくなってきた。
お化けとか幽霊をはなから信用していないみちるが暗がりを恐れるのは、変質者やらに襲われるかもしれないからだ。若い女性がもつ防犯意識というやつ。
しかし、こんな山奥の民家も無い場所で、暴風雨の中、通行人を待ち受けている奴なんかいるわけがない。
そういう意味では、極限状態の今の方が普段の生活よりも安全だと思うと笑える。
もちろん、足を滑らせたり、何か飛んできてぶつかったり、地すべりが起きたら……と考えると怖い。
車が通れるように舗装されている道路とはいえ、雨水が川のようにアスファルトを滑り落ちていくのを見たら不安になる。
それに……どこかで道を間違えて行き止まりだったりしたら……。
ふと立ち止まるとぶるっと震えた。
一度頭に浮かんだ不安は、みちるの中を侵食していく。
だめだめ! こんなところで待ってたってどうにもならないんだから!
こんなところで遭難して人生を終える気は全く無い。みちるは鼻息荒く、坂を下りだした。
またしばらく歩くと、急だった坂は次第にゆるくなり、やがて平らな道に繋がった。
ほっと息をついたものの、相変わらずの豪雨に視界を奪われ先になにがあるのか判らない。
とりあえず山を下りられた事に安心し、人家か店を探すために周りを見渡した。どこかで電話さえ借りれば何とかなるだろう。
少し先にうっすらとした光を見つけ、みちるはそこへ急いだ。
自分が考えるよりも焦っていたみちるは、息が切れるほどの全力疾走で光に近づくと、その光が何であるかを確認して呆然となった。
……これって、温室?
みちるが想像するよりも遥かに大きいガラス張りの温室の中に、ぼんやりとした光が見える。
叩きつける雨のせいで中の様子は判らないけれど、人がいそうには無かった。もちろん電話も無い。
肩を落としつつ、もう一度まわりを見た。
あちらこちらに、ぼんやりと見える光は全て同じような温室。みちるは盛大に溜息をついた。しかし、すぐに気持ちを切り替える。
人家も電話も無いのはショックだけど、最悪の場合、勝手に温室を借りて朝を待てば誰か来るかも知れない。見たところ入り口は施錠されてるようだけど、なんと言っても非常事態なのだ。壊したって咎められないだろう。
とりあえず最後の手段を勝手に決めて、みちるはまた道路を進んでいく。
と、道の先に温室とは違う鋭い光を見つけた。
一瞬、車のヘッドライトかと思ったけれど、どうやらどこかの民家の窓が開いていて中の光が漏れ出ているらしい。
良かった、誰かがいる……!
はやる気持ちを抑えきれず、必死で光のもとに走る。
「あのっ、すいませ……」
雨の中でも窓が開いていれば聞こえるだろうと大声を出したみちるは、目指した民家を前に言葉を失った。
そこは古びた洋館。
物語に出てくるような、重厚で大きく……不気味な雰囲気の建物だった。
雨の中だというのに真っ白な壁はうっすらと発光しているように見え、それを覆うようにびっしりと蔦が這っている。入り口の大きなドアには恐ろしい表情をした獅子の顔が彫り込まれていた。
雨に濡れた獅子の目が光っているように見えて、みちるは思わず後ずさる。
な、な、な、なんなの……!?
泣きそうな顔で近くの窓を見れば、しっかりと閉められた窓枠の中のガラスが斜めに割れ落ちていた。
空いている部分から風に乗った雨が吹き込んでいるというのに、住人は現れる様子も無い。
遠くから見えていた光の正体にぶるぶる震える。
「なんで割れてるのよ……なんで、割れてるのに誰もいないのよぉっ!!」
恐ろしさに叫ぶ。
頭でお化けや幽霊を信じないと言っても、実際にこんな場面に遭遇するならば別だ。みちるの目の前にあるのは、どう考えても普通じゃない。
土曜ロードショウとかで見た下世話なホラー映画を思い出して、みちるは青くなった。
にげ……逃げなくちゃ! とにかく、逃げなくちゃ!
ぼこぼこした石畳に足を取られつつも振り返って走り出した瞬間、なにか大きな物にどしんとぶつかった。
来たときには何も無かったはずだと慌てて見上げた途端、雷の閃光が辺りを照らす。
「ぎぃやああああぁぁぁぁっ!!」
目の前の物を確認することなく、みちるは意識を失った。

……きもちいい。
みちるは目を閉じたまま無意識に、身体に掛けられているふわふわした物を掴んで首元まで引き寄せた。毛足の長いそれに頬擦りしてにんまりと笑う。
なんて気持ちいいんだろう。うちの安いタオルケットとは大違いだわ。
と、そこまで考えて、ふと違和感を覚えた。
触れたことの無い寝具。うちではありえない良い香り。それにどことなく柔らかい明かり。
はっと目を開く。
視線の先には見た事の無い天井があった。
「ここ……どこ?」
どうやら、ベッドに寝かされているらしい。
恐る恐る起き上がると、ふわふわの肌掛けがはらりとめくれた。現れる見慣れた貧相な身体。
……て、なんで裸ー!?
慌てて布団を掻き集めると、その中に潜り込んだ。
予想外の展開に心臓がばくばく鳴る。
見知らぬ室内のベッドの上に裸の自分。考えたくない想像が浮かんで、みちるは頭を抱えた。
しばらく布団に丸くなって唸っていたものの、今更どうにもならないと諦めて、肌掛けからそーっと顔を出した。
ほんと、ここどこだろう?
薄いピンクに小花をあしらった壁紙に、海老茶の床板。天井は白で、淡いオレンジに光る小ぶりのシャンデリアが吊ってあった。見ればベッドも真ちゅうっぽい金属でできていて、華奢なサイドテーブルにはピンク色の薔薇が活けてある。なんていうか全体的にロマンチックだった。
「可愛い……お姫様の部屋みたい……」
思わずそう呟いたみちるは伸び上がると、細い一輪挿しに入っている薔薇の花びらを指先で摘んで、感触を確かめた。しっとりとしたしなやかな弾力に、本物の生花だと気付く。先ほどから漂う甘い香りは、この花のものだろうか?
「それ、気にいって頂けました?」
「っ!!」
突然掛けられた声に、みちるはばっと振り返った。
いつの間にか開けられていたドアの隙間から、若い男がこちらを見て微笑んでいる。
「あ……えと。着替えを持ってきたんですが、起こしたら申し訳ないと思いまして……」
ノックもせずにドアを開けた事を詫びているのか、男はみちるから視線を外すと少し困った顔をして俯いた。
「あ、あんた誰っ?!」
突然見知らぬ男が現れたせいで更に混乱したみちるは、自分のおかれた状況も、男の言うことも理解できずに叫ぶ。
みちるのパニックに気付いていないらしい男はのほほんと笑うと、自己紹介を始めた。
「あ、僕は日向寺明典(ひゅうがでら あきすけ)と申します。この家に住んでいる者です。歳は24で、園芸農家を生業にしています」
「へ……」
男の落ち着いた……というか、空気読めて無さそうな感じに、みちるは脱力する。
なんなのよ、この人。
「それで、あなたのお名前は?」
「え、鈴下(すずした)みちる」
つられて答えると、男は満足そうに頷いて、みちるの座るベッドの角に畳んだ衣類を置いた。
「僕は1人暮らしなもので、女性用の服が無いんです。何とか着れそうなものを見繕って来ましたので、すみませんがこれで間に合わせて下さい」
「……はぁ」
「それでは僕は下にいますので、何かありましたら言って下さい。ここを出て右に行くと階段があるので、そこから降りれば判りますから」
軽く会釈して出て行く男を呆然としたまま見送る。みちるはゆっくりと閉じていくドアをただ見ていたけれど、閉まりきった音ではっと我に帰った。
「な、なんなの?! 一体どういう事? ……ていうか……」
恐る恐る視線を下ろしていく。ベッドに起き上がった姿勢で座っていたため、まず肌掛けを掴んでいた手が見えた。それから腕、そして……。
ーーーっっ!!
素っ裸のまま隠しもしないで男と対峙していた事実に、みちるは死にたくなった。

   

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