歌えば天国! 「梨葉」第7号 昭和41年(1966)3月発行
”わがゆりかごは、山深く、緑の森の枝に揺れ……”これは、今年のNHKコンクールの課
題曲。NHKコンクール出馬の回を重ねること三回。その度ごとに各学校の水準は高度に
なってくる。しかし私達は定員に満たない人数、合宿最終日とコンクールが重なり。疲労の
ために声がでなくなるという悪条件を破り、堂々県予選三位の成績を勝ち得たのである。
発表に涙を浮かべる部員もいた。練習のつらさなどなんのその……。
そして、これに奮起して朝日新聞主催のコンクールに初参加。ここでも人数のハンディを知
らされたが、みごと県予選第一位という誰の夢にも浮かばなかった栄誉を修得した。
又、十一月には市内高校合同発表会も初めて行なった。苦労も多かったが、初回としては
成功と言えよう。
私達にはいろいろハンデがある。人数不足、練習塲など。でも、人数が少ないことは、しっと
りとした家庭的雰囲気を作りやすい、統制がとりやすい。練習日はとてもなごやか。ゲラゲラ
笑って腹筋を強くするから一挙両得。自分一人でも欠けたら困るのだという責任があるし、
自分の力のありったけをぶっけることができるのである。
歌わせておけばこの世は天国、自分の声が最高と自分だけが信じている連中のモットーは、
楽しみながら満足のいく練習なのである。
しかし、私達は最近大きな問題に直面した。月曜日を除く毎日三時半から五時までの練習は
前記の反面、相当にきついものである。たかがコーラスなんてとんでもない。二の足をしっかり
とふんばって、腹筋を多いに活躍させる発声のフォームは、ウドン二杯ではとうてい足らないエ
ネルギーを必要とする。
従って遠くから通う部員には、勉強時間、帰宅時間が大いに問題となるのである。これをめぐって
大切な練習時間をさいて話しあったが、本当に納得しあって、クラブにファイトを燃やすまでには
もう少しの時間が必要なようだ。この点で、コーラス部もまた悩めるクラブなのである。
やはりもう少し人数がいたらと考える。
大合唱への夢がある。それには……。そして、もっと環境の良い練習場が冷しい。片隅に追いや
られた様な、狭い、騒音の中の練習場では。互いの声を聞きわけにくい時もある。だが、私達最
大の願いであり、目的は、自主的な、楽しみのある、満足のいくクラブなのである。私達はそれを
目ざして、多難の道を、がっちりしたチームワークで歩みつづけるのである。
部員34名 (3年 12名 2年 6名 1年 16名)
コーラス 「梨葉」第10号 昭和44年(1969)3月発行
体育館のステージわきにある狭い控え室、隠しもすまいこここそ我がコーラス部の練習場である。
光の入らぬ狭い所。そこから受ける感じは当然暗い陰気なムードであろう。しかし私達にとって環境
が悪かろうとそれへの環化は許されない。明るい表情、笑顔こそ、私達が目的とする頭部共鳴を生
む条件であり、支えなのだから。
しかし、まわりの雑音には頭を痛めないわけにはいかない。美しい安定した(ハモニーを作るには少し
でも音程の狂いがあってはならぬ。パートとしての声の統一性。パートとのバランスなど、過度な位の
注意力と鋭敏な耳とが必要とされる。そのためには又[静かな環境]が必要となるのも当然であろう。
しかしこの騒音の中でさえ私達は完成された(ハーモニーへの憧憬を絶つことなく毎日和音構成に専念
している。ひたすら陶酔感を求めて。
遅刻常習犯の多い我が部ではあるが、発声練習の頃には息せき切って来た部員の顔が並ぶ。
かつては練習場が部員で埋まる位の盛況な時期もあったが、今年は今や三年生も引退し、現在総勢
二十四人と更に「少数部隊」になってしまった。まあ少数と言ってもやる気ある者の居留であるから、さし
て不安は抱いていないにしろ一年生の少ないことは、後継者の点て悩みの種となっている。
部員の少ない原囚としてはコーラスそのものに対する無理解か一つとして上げられよう。
私達は今後この層の人々に対しては多いにアピールし話し合うつもりでいる。
しかし部の活動そのものについては、あくまでも構成員の意志が反映されたコーラスの本物を追った
ものでなけらばならないと考える。無理に彼らに同調して意を得るなどは邪道であろう。とにかく我々自
身の気力だけは充実し、みなぎっているのだから。
ここで今年の主な活動を振り返ってみよう。まず六月の文化祭、今回はミュージカルを計画した。これは
過去における私達への無理解に対する挑戦だった。しかし発表前の部会において「我々はあくまで純
な精神でコーラスと取り組むべきでは」とうことになり計画は流れた。
昭和43年6月(1968)文化祭 長高体育館
続いて八月三十一日に行なわれたNHKコンクール県予選で参加十六校中堂々優秀二位を獲得し、
先輩の功績にはじぬ偉業を成し遂げた。これは大事な夏休みをほとんどさいて頑張った練習量と個々
の精神力の賜物に他ならない。ここに第一期黄金時代到来の徴候を示した。折りも折り九月末の朝日
コンクールで常勝の船高とその雌雄を決することになった。三年生の大量不参加で不利な挑戦となった
が新メンバーを補充しなんとか仕上げコンクールに臨んだ。結果は一位決定の際に船高と長高が審査
員の票を同時に二分する程の接戦だったが、惜しくも二位に甘んじた。しかし将来性ありと評価された
私達は自信を持って今後を目指している。
部員37名 (3年 13名 2年 14名 1年 10名)
昭和44年(1969)9月6日(土) 長高混声合唱団演奏会
(「第1回定期演奏会」に相当) 茂原市民会館
ご挨拶 コーラス部顧問 伊藤 博
コーラスとはめんどうなものです。歌うことは誰にでもできます。(もっとも、どうしても
いわゆる゛うた”にならない人もいるらしいのですが……)それが20人 30人とあつまる
とまことにやヽこしいことになります。歌の場合は自分の声がどのようにして、どうして
出てくるのか、自分の体をひらいてみる以外に方法はありません。
それにくらべ器楽はほとんどの場合自分の目でみながら演奏出来ます。(しかし基本
は耳というか音楽性というかそういったものになるのでしょうが)それだけにいい声を出
すということが囗でいうほどかんたんにはいきません。技術的にもじゅうぶんな訓練を
かさねていって、ある程度の水準にたっしても、30才をこさなさなければ、本当の歌は
うたえないといわれています。
わが合唱団のメンバーは当然のことながら15~17才ぐらいです。゛本当の歌心など
これっぽっちも歌えないのは承知の上で本日の大冒険をやらかそうとしています。
吉とでるか凶とでるか、はなはだ心細いかぎりですが皆様のお寄せ下さる暖かい御声
援を励みとし夢中で演奏することでしょう。
御来聴の皆様はじめ、物心両面でご後援下さいました方々に心からお礼申し上げます。
第1回の曲目 昭和45年(1970)9月5日(土) 茂原市民会館
(「第2回定期演奏会」に相当)
コーラス部 「梨葉」35号 平成7年(1995)3月発行
放課後の音楽室から聞こえる歌声を知っている人も多いと思います。
私たちコーラス部は女声18名、男声4名で、休日以外は毎日活動しています。
内容は、体をほぐすためのラジオ体操、歌うために必要な腹筋などを鍛える筋トレ、
そして発声練習、歌の練習、というのがいつものメニューです。
歌を歌うにはただ声がきれいだとか大きいとかいうだけではだめで、体全体をうまく
使わなければいけません。だから体操や筋力トレーニングはどうしても必要です。
つまり体を鍛えることが歌唱の基本なのです。
うまくなるのは本当に難しいです(何事もそうですが)が、歌を歌うことは楽しいことです。
そして大勢でのコーラスはさらにです。これからも頑張りますので、どうぞこれからも
コーラス部をよろしく!
※部員はいっでも募集中です。私たちとコーラスを楽しんでくれる人、ぜひ音楽室ヘー
第22回定期演奏会
平成7年(1995)6月24日(土)
東部台文化会館
第23回定期演奏会 第28回定期演奏会
平成8年(1996)6月22日(土) 平成13年(2001))6月24日(土)
東部台文化会館 東部台文化会館
このページの先頭に戻る