立川基地跡周辺


(写真13)立川基地跡。立入禁止区域で中は雑草が生い茂っている。


(写真14)広大な森の中から煙突が突き出ている不思議な光景を目にする。 (この時は、夕立に出会ってしまったので近くのバス停で雨宿り。)


(写真14-1)立川基地跡地内では工事が始まっていた。(平成27年2月撮影)
 煙突も無くなっていた。


(写真14-2)立川基地跡地内では工事が進んでいた。(平成27年10月撮影)


(写真14-3)立川基地跡を縦断する道路が完成していた。(平成29年4月撮影)


(写真15)線路の終点付近であるが、この時は雑草で見えなかった。


(写真15-1)冬になり雑草が枯れていたため、線路を見ることができた。レールは4本確認できた。(平成14年1月31日撮影)


(写真15-2)上の写真の11年後、まだ、線路を確認することができた。(平成25年2月撮影)
立川基地跡地内は工事が始まっていた。一部更地になっていた。


(写真15-3)上の写真の2年後、まだ、線路を確認することができた。(平成27年2月撮影)
周囲は更地化されていたが、この終端部付近はまだそのままであった。


(写真15-4)上の写真の半年後、まだ、線路を確認することができた。(平成27年9月撮影)
すぐそばまで更地化されている。


(写真15-5)上の写真の1カ月後、まだ、線路を確認することができた。(平成27年10月撮影)
ついに木々の伐採が始まった。


(写真15-6)周囲の遺構も確認できた。(平成27年10月撮影)


(写真15-7)遺構の拡大。(平成27年10月撮影)


(写真15-8)遺構。(平成27年10月撮影)
中神側にある遺構。


(写真15-9)遺構。(平成27年10月撮影)
レールの延長上に柱の遺構がある。


(写真15-10)上の写真の3日後、まだ、線路を確認することができた。(平成27年10月撮影)


(写真15-11)北側の線路付近にあったフェンスが取り外されている。(平成27年10月撮影)


(写真15-12)上の写真の4日後、まだ、線路を確認することができた。(平成27年10月撮影)
木々が取り除かれ、レールがよく見える。


(写真15-13)周囲とは盛り上がっているレールのある場所がよくわかる。(平成27年10月撮影)


(写真15-14)上の写真の7日後、まだ、線路を確認することができた。(平成27年11月撮影)


(写真15-15)上の写真の20日後、とうとうレールが無くなっていた。(平成27年11月撮影)


(写真15-16)遺構は残っていた。(平成27年11月撮影)


(写真15-17)上の写真の8日後、遺構も無くなっていた。(平成27年11月撮影)


(写真15-18)フェンスにそばにブルーシートをかぶせてあるものを発見。(平成27年11月撮影)


(写真15-19)レールの脇にあった遺構を発見。(平成27年11月撮影)


(写真15-20)シートの切れ目からレールを発見。(平成27年11月撮影)


(写真15-21)上の写真の半年後、レールの脇にあった遺構。(平成28年5月撮影)
フェンス沿いの前回と同じ場所に置かれている。


(写真15-22)ブルーシートをかぶされていたレールはむき出しになっている。(平成28年5月撮影)


(写真15-23)上の写真の10カ月後、廃線遺構が整備されていた。(平成29年3月撮影)
残堀川遊歩道の一部が通行止めになっていた。
平成28年9月9日から、こちら側から終端部には行けなくなっていた。
残堀川の対岸から行くと終端部の廃線遺構が整備されているのが見えた。
例の線路脇の構造物も設置(再現)されていた。


(写真15-24)上の写真の1カ月後、むさしの公園が開放されていた。(平成29年4月撮影)


(写真15-25)築山から見た廃線跡モニュメント(平成29年4月撮影)


(写真15-26)線路脇にあった遺構も再現されている。(平成29年4月撮影)


(写真15-27)廃線跡のモニュメント(平成29年4月撮影)

「廃線跡モニュメント」 について

この廃線跡モニュメントは、当地区で実施した立川基地跡地昭島地区
土地区画整理事業(施工者:独立行政法人都市再生機構)で整備した
「昭島市立むさしの公園」の休憩施設として設置したものです。
この施設は、太平洋戦争中の昭和18年(1943年)に敷設されたとされる
青梅線中神駅からの資材運搬専用線跡が土地区画整理事業着手時に
残存していたため、土地の記憶や歴史を継承する目的で当時の敷設位置に
レールやバラスト等を再利用しモニュメントとしたものです。
このほか、むさしの公園内には、舗装モニュメントとして当時の軌道上に
レールを一部残しています。

             平成29年3月 
                昭島市  


(写真15-28)廃線跡のモニュメントは3カ所ある。(平成29年4月撮影)
柱のあった場所


(写真15-29)柱の横にレールがある。(平成29年4月撮影)


(写真15-30)柱(平成29年4月撮影)


(写真15-31)道路を隔てた公園内にもレールがある。



(写真16)立川基地跡にあるこの煙突は?


(写真17)富士見通り(ランドリーゲート)バス停


(写真17-1)富士見通り(ランドリーゲート)臨時バス停
数m移動していた。(平成27年9月撮影)


(写真17-2)富士見通り(ランドリーゲート)臨時バス停
本来の場所付近(平成27年9月撮影)


(写真17-3)富士見通り(ランドリーゲート)バス停
元の位置に戻っていた。(平成27年10月撮影)


(写真17-4)富士見通り(ランドリーゲート)バス停
現在の状態。(平成29年3月撮影)



(写真18)以前の運行系統図には、”ランドリーゲート”と表示されていた。
(以前の状態:2001年6月2日撮影)


(写真18-1)現在の運行系統図には、”富士見通り”と表示
(2015年の状態:2005年12月10日撮影)


(写真19)陸軍航空工廠の碑


(写真20)まだ続く立川基地跡
南側線路跡終点に行くため来た道を戻る。

【立川基地に関連した遺構】
2005年12月10日撮影


(写真20-1)立川基地跡に残されているタンクローリー


(写真20-2)西立川駅付近にある駅のホーム跡


(写真20-3)西立川駅付近にある駅のホーム跡
手前は青梅線の線路。画面の奥にあるのは昭和記念公園
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