Topics'2001
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21世紀最初の年末御挨拶2001年12月31日現在
このコンテンツの年末更新も、もう3回目を数えるまでになったんですね〜・・・月並みな言い方ではありますが、長いようで短かった2年
半でした。
この2001年という21世紀最初の年は、良くも悪くも国際・国内共々忘れられない出来事が多すぎた年でしたね。世界中の人々がまだ今
年1年間の出来事を消化しきれていないのが現実ではないでしょうか? 無論、自分もその1人です。
個人レベル、特にこのHPに関しては20000HIT突破、念願のオフ会、「Read Me!」への参加等、大きな節目の年でした。私生活におい
ても引っ越して1人暮らしから2人暮らしへと、大きな変化もありました。本当に「内外」「公私」「良悪」問わず様々なことがありましたね〜、
お腹いっぱいですよ(^^;
でも、こんな時こそ、冷静に自分自身と、その周りを見なおすことが必要なんでしょうね。今回の年末年始休暇はそこに力を入れていき
たいと思います。ま、旅行するお金も無いですし(;;)
ま、そういったわけで来年の成長への充電を今のうちにしっかりしていこうと思うので、皆さん、来年もよろしくお願いしますね(^^) この
HPも来年はもっと色々な更新をしていきたいと思うのでご期待を、そして良いお年を!
真偽のポイント2001年12月25日現在
今回これを書こうとしたキッカケは、自分が毎年楽しみにしている「K-1グランプリ」です・・・とはいってももう半月ぐらい前の話になってし
まいましたね・・・(^^; なんだかタイムリーさに欠けることも板についてきたような・・・イヤすぎる・・・(;;)
ま、それはさておき(いいのか・・・?)、今年のK-1は楽しかったですね(^^) マーク・ハント、素晴らしかったです! 打たれ強いのは勿論
のこと、防御自体のうまさ、パンチコントロールの的確さ、パワー等々と目を見張るものが多かったですね。個人的に見ごたえがあったの
は、やはり「バンナVSハント」でしたね。「矛盾の戦い」、最強の矛と最強の盾がぶつかり合った、そして盾の勝利。分かりやすかった試合
であったことも良かったですが、同時に何となく「負けないための戦い」をする選手が多くなってきている中で、「勝つための戦い」をする2
人がリング上でぶつかり合ったときの気迫が魅力的でしたね(^^)また、イグナショフのような個性的なファイターが出てきたてんでも今年
のK-1が特別に楽しめた要因でした。勿論ホーストや(今の)フィリオのように「負けない戦い」をする選手を否定するつもりもありません、
それも極めれば個性ですから。
とまあ、これを書こうとして時にはただのK-1談議にしようと思ったのですが、ふと別のことにも話を触れたくなったので、もうチョット話を
続けたいと思います。
「K-1」「PRIDE」等の格闘技に押されて、同じく格闘技の1ジャンルとしてそれより以前より定着している、いわゆる「プロレス」の人気が
低迷気味ですね(^^; プロレスを嫌う人の99.99%の人が口をそろえて言うのが、プロレスが「ヤラセ」であると言うこと。
確かに、「物理的に非効率的なアクション」「わざと受けているとしか思えないような大技」等の見方ができるのは否定できないでしょう。
プロレスが好きな自分もそれは否定しません。でも、どんな人でも1つ考えて欲しいのは、ああいった大袈裟とも取れるような大技をかけ
たり、あるいはそれを受けたりできるのは、徹底的に鍛えぬかれた彼等の肉体だからこそなせる業ではないでしょうか? だから業を受け
る相手もつまらないかわし方をしません。お互いが自分の持つ渾身の技を出し、受け止め、最後に力尽きないほうが勝ち残る。そのショ
ウ的な要素がプロレスの魅力なのだと思いますね(^^) ちなみに、アメリカの方では「悪役レスラーは普通の勝ち方をしてはいけない」な
んていう、K-1じゃ考えられないような不文律がある、と聞いたことがあります。そのアトラクション的な要素を「面白さ」とみるか「ヤラセ」と
見るかが、プロレスの好き嫌いの差なのでしょうね。
これは今年の話だったと思います。プロ野球オールスター戦での話。CM明けのタイミングにプレイを合わせる為に、審判までもが協力
し、打者がバッターボックスに入るのを静止した、という話を耳にしました。スポーツの持つ真剣勝負からいうと確かにその行為を批判し
たくなる気持ちもわかるのですが、オールスターはプロの中からさらに選ばれた一流選手が勢ぞろいしてファンを楽しませる、メジャーリ
ーグの言葉を借りると「真夏の夜の夢」。逆にCM開けに松井が2塁ぐらいをゆっくり走っているところを「CMの間にホームラン」なんて言
われたら、それこそ批判の的になりそうな気がしますけどね。相手の批判しかできない人間って、表裏いずれの結果が出ようともケチを
つけたがるアホが多いですから。
物事を批判する行為は確かに大事だと思います。でも自分としては決して「外野」からケチをつけるような無様な真似はしたくないです
ね。確かに、自分にも物事をよく見ないで批評することがないとは言えません(^^; でも、やはり物事を評価するときには、ある程度必要な
「真偽のポイント」となるベースの知識を身につけてから、と心がけていたいですね(^^)
伝統2001年8月19日現在
これもまた、お盆帰省時に「書こう」と思ったことです。
自分は大の祭り好きで、大学時代には欠かさず地元の夏祭りに参加し、神輿を担がせてもらっていました。大学の時には感じなかった
のですが、このメインイベントの神輿は最終日16日に毎年行われます。自分も含めて、結構多くの人は15日に盆休みが終わりますよね。
地元の働き口が多くないこの街は、望む・望まずを別として、就職のために地元を離れなければなりません。その人達にとっては年に1度
の祭りを帰省時には見たいモノだと思います。ただ、祭りは「慣習的に」16日に行われます。
これはあくまでも自分独自の見解なのですが(このコンテンツで書いていることは大抵そうだが)、「伝統」とか「慣習」というのは、過去に
培われた基盤を再確認していくことで、今・これからに活していく事が大事なのだと思います。引き継いで行く側にその意義の認識が無い
限り、それは「腐った過去」となってしまうでしょう。
大学1年生の前期、自分は吹奏楽部に在籍していました。その夏休み合宿で「伝統」の名の下に、布団でスマキにされ記念撮影をして、
部屋に置き去りにされ自分で脱出という行為を強いられかけました。結局、最後まで抵抗してそれは逃れました。日本酒をイッキしたり、
スマキにされたり、それ自体を否定する気は全くありません、賛同もしませんけれども。部活動において大切な縦社会を構築する作業で
あったり、根性を培う行為であったり。許せなかったのは、スマキの途中で自分が「何でこんなことをするんだ」と言った時の先輩の「いや、
おれにもよくわからん」の一言。弁解の余地無しです。元々、正直馬鹿な先輩が多いところだな、と思っていた不信感も先にあったのでしょ
うが。その合宿を終えて、間もなくしてこの部活は辞めましたが、案の定、自分の同期の部員はほとんどが退部、「伝統の見直し」を余儀
なくされました。
・・・だから、そうなってからじゃ遅いんだって、アンタ達・・・・・・
クズ野郎ども2001年8月19日現在
既に掲示板にも書いたのですが、今回のお盆帰省にて、札幌から実家へ向かっている途中、ある街で自分の2台前を走っていた車が
追い越し禁止の車線で追い越しをかけて、対向車と正面衝突をしてしまいました。まあ、こんな事故自体に関しては今更斬ることも無い
んで、今回は別のモノをメッタ斬りしたいと思います。
事故直後、スグに車を路肩に停めて降り状況確認、歩行中の方の「救急車を!」という声とそれに応える声が聞こえたので自分は交通
誘導に(見ず知らずの人にも手伝ってもらいました!)、片側一車線の二車線道路だったのでほっとくと簡単に渋滞します。最もお盆休み
の帰省ラッシュもあったので、ガードマンの経験がある自分が交通誘導をしても、渋滞の緩和はできてもゼロにはなりません。それにも
関わらず、少なくない台数の通行車がスピードを緩め・トンでもないのは完全に停車してこの状況を眺めていました、愕然としました・・・
まあ、言うまでもありませんがコイツ等アホです、クズです!救いようありません。コイツ等のせいで渋滞が悪化したのは間違いありませ
ん。一分一秒を争う救命作業の中でそれが何を意味するのか分からないのでしょうか?お願いだから小学校から再教育されて欲しいで
す、このゴミ野郎ども。「何が起きているか分からなかった」という人もいたかもしれませんが、それこそ論外です。だったら余計にジャマ
しないように気遣うべきでしょう。
自分は「運命」とかその類の言葉はあまり好きでは無いのですが、自分がとった行為は良くも悪くも、不思議と自分のもとに返ってきま
す。事故処理作業を妨害したコイツ等にも、逆の立場になる可能性大です。その時、例えば大事な人を失うこともあるかもしれません。
こんな奴等に限って、邪魔をした野次馬にギャーギャーわめきますね。ただ、彼等・彼女等には失った人のことを哀しむ権利はあっても、
決して自分と同じクズを糾弾する権利など全く無しです。願わくば、その時に昔自分がいかに同じ愚行をしたのかを思い返して欲しいもの
です。ま、最も、こんな低知能な奴等にはハイレベル過ぎる要求かもしれませんがね。
「価値」 vs 「価格」2001年7月4日現在
携帯電話の普及台数は5000万を超えたそうです。その中でも「NTT DoCoMo」は、やはり他社の追随を許さず、不動の地位を築いてる
ことは誰の目から見ても明らかでしょう。しかし、決して通話料が安いわけではない、通話エリアの大きさ・i-modeという他社と比較した際
のネット環境の充実さがこの事実の土台にあるのでしょう。
この不景気の中、自分も含めた「消費者」は「価格」の価値基準を最重要事項として生活をする習慣にとらわれることを余儀なくされて
きました。多分、仕方のないことでしょう。そして、そんな価格破壊の波の中でその物自体の「価値」を判断の要素に入れることをあきらめ
てきたことも事実です。今でも「価値より価格」という流れは大部分を占めているのかもしれません。しかし、そんな中にあってドコモのよう
な、価値が価格を駆逐する流れがあること、自分はそこに希望を見たいですね(^^) 価値の無い物に価格分の消費をするなんて、本末転
倒もいいところです。
牛丼業界では大幅な価格破壊競争が繰り広げられている中、業界最大手の吉野家は、価格よりも価値を優先させる路線をハッキリと
声明しました。個人的にはこの価値と価格の競争も、価値の勝利を信じたいです。でも、大切なのは「どちらかの勝利」ではなく「価値ある
適性価格の発展」なのでしょうね(^^)
8年目にして初の栄光を捨てた男2001年5月23日現在
「サイクルヒット」、1試合で一塁打・ニ塁打・三塁打・本塁打と全種類のヒットを打つことを意味する言葉です。1試合で1人のバッターに
訪れる打席は大体3〜5打席、打率3割を超えると素晴らしいバッターですから、1試合で2本のヒットを打っても好成績、3本打つと「猛
打賞」と言われます。それを4本、しかも全種類のヒットを打たなければならない、というのは想像以上の至難の技です。パワーヒッター
は足を生かさなければならない三塁打・アベレージヒッターはパワーを必要とする本塁打がでない。自分の記憶が正しければ日本プロ野
球で一番多くサイクルヒットを打っているのは、横浜ベイスターズでプレーしてた、セリーグ打点記録も有しているローズの3回。あの天才
バッターイチローでさえ未だにサイクルヒットは記録していません。技・力・足そして運、どれ1つ欠いても成功できないことはこういった記
録からも十分に理解できますね。
自分が1番好きな野球選手の松井秀喜、日本1・2位を争うパワーヒッターでありながら、その俊足にも定評のある彼もプロの世界に飛
び込んで8年間、サイクルヒットを記録したことがありませんでした。しかし、その松井にもチャンスが訪れます。この日、東京ドームの巨
人−ヤクルト戦、1打席目こそレフトフライに倒れたものの、2打席目に本塁打・3打席目に三塁打。ヒットのうち最も難しい2つのヒットを
打った4打席目、何となく予感を漂わせていた中、綺麗にレフト方向へ流した打球は左翼守の横を超えて見事二塁打!残すは一塁打の
みとなった8回裏の5打席目、2アウトで塁上に走者無し。巨人ファンならずとも、野球ファンの目を釘づけにしたこの打席、前打席と同じ
ような、強いて言うならばチョット弱めの打球がレフト方向に、まさにうってつけの打球が飛んで行きました。最も好きな選手が最も栄誉あ
る記録の1つを手に入れた!テレビカメラは打球を追いかけ、松井の姿こそ移ってはいなかったものの、確信は揺るぎありませんでした。
しかし、そんなカメラが打球を追っている画像が流れる中、突然アナウンサーが驚いたような声をあげた。
「松井一塁を蹴って二塁へ!」
結果、二塁打。その後、次のバッター清原も二塁打を放ち、松井が本塁へ生還。多分、松井のヒットが一塁打であったならばあの1点
は入らなかったでしょう。しかし、正直にファンの心境として「一塁で止まって欲しい」「二塁でアウトになって『一塁打+走塁ミス』」というも
のがありました。確かに松井の足で二塁を狙えば100%とは言わずとも、二塁打の可能性は極めて高い。それでも、一塁で止まって欲し
かったし、誰もそれを非難はしなかったでしょう。でも彼は走りました。
彼が以前にこんなことを言っていました。「僕のホームランへのこだわりは、飽くなきチームの勝利への執着心があるからこそです。」
彼のその勝利への執着、そしてチームを引っ張っていかなければいけない4番としてのプライドが個人の記録よりも、10対8へ点差を2点
へと縮める走塁を生んだのでしょう。
結局、この試合は乱打線を制したヤクルトが勝利を手にしました。しかし、記録に残らなかった松井のファイトは自分の中に忘れられな
い記憶を残しました。
期待と哀しみを手に夜明けへ・・・2001年3月19日現在
卒業・退社・転勤・・・望む・望まずを問わず、沢山の別れと直面しなくてはいけない時期になってきました。別のコンテンツでも書いて
あるのですが、自分は高校・大学・就職・・・全て1人で新たなフィールドでスタートをしてきました。ですから、比較的多くの「別れ」を経験
してきたわけですが、正直、何度経験してもなれるものではないし、これからもこの哀しさに感覚を麻痺させることもできなさそうです。も
ともと、寂しがりな性分もあるのかもしれませんけどね・・・(^^; 人との別れ、というものが必然として起こることを恨んでいた時期もありま
した。まあ、自然な感情かもしれませんが・・・
しかし、新たなフィールドでは当然新たな出会いがあります。そして、おそらく「別れの哀しさ」を知らない限り「出会いの喜び」を感じる
ことはできないのでしょう。であれば、「別れ」というものは必要なものなのでしょう。だから別れが必然的に訪れるこの時期は、決して現
実に目をそむけないで、その哀しみを正面から受け止めようとする姿勢が大切なのかもしれませんね。でも、やはり正面に突きつけら
れる哀しみは辛いものがありますよね・・・
よく聞く言葉に「朝のこない夜は無い」「春のこない冬は無い」というのがあります。そして、この時期の別れの後、4月にはまた新たな
出会いがあるでしょう。そして、その出会った人達も、きっとチョット前には別れを経験しています。別れはきっとどこかで出会いを呼び
ます!
自分のモットーの1つにこんなのがあります。「自分がいる場所を去らなくてはならない人に最後にしてあげれられることは、その人の
居場所をそこから徹底的に無くすること」。人は必ず、どんな形であれ、その場での位置・役割を持っています。その位置に「穴」が開い
た時、きっと1番哀しいのは、その場を去らなくてはいけない人ではないのでしょうか? だから、自分はその人の抜けた穴を完璧に埋
めようとします。その人と同じ役割を作るのではなくて、今いる仲間ができる形で埋めます。そして、たま〜にその人が戻ってきた時に
安心できる場所を守って行くことが、その人に対する最高の感謝の証になるのでしょうね(^^)
実体験2001年2月7日現在
つい先日の話なんですが、自分の舌の皮が大きく剥けてしまって、1週間ほどトンでもない状態が続いていました・・・(^^;
喋ると激痛、食事も熱いものは絶対にできず、食べられたとしても痛みを伴いながら、いつもの5倍ほどの時間をかけていました。本
当に喋れないというのは辛かったですね・・・その一週間、筆談等で意思疎通をしていました。
確かに言葉は万能ではありません、電話で話すときに言葉だけではうまく表現できなかったり、表現できたとしてもねじ曲がって伝わ
ってすれ違ったり。でも、その言葉ですら生まれもって口から出すこともできない人達がいる、それが理屈でなく体験として、チョットの期
間ではありますが感じることができました。言葉を過信せず、最大限に活かしていこう、と感じた一週間でした。
善悪決定要素2001年2月2日現在
偏差値教育、この言葉をめぐった論議は、もう何年も前より自分たちに突きつけられています。確かに十分論議されるべき問題では
あると思いますが、正直、この問題は正当に論議されていないような気がして飽きれてしまう部分があります。
とある本で印象に残っている一節があります。「刃物は最高の料理を作る時は『善』になり、人を傷つける時には『悪』になる」
刃物自体は決して「善悪」を決定づける要素ではなくて、「刃物の使い方」がその要素になるわけです。全てを決定づけてしまうような
力を与えてしまうから、偏差値が「悪」になってしまうのです。偏差値はあくまで「学力の相対的評価」に過ぎないわけですから。そして
学力のみを測ろうと思う時にはこんなに便利なものは無く、そのときは偏差値は「善」になります。これを「偏差値自体が悪」などと言う
見解で論議するから、大学入学の偏差値依存の悪性などというところへたどり着いてしまうのだと思います。偏差値以外のところも十
分に評価しろ、なんて大学に求めるのは余りにも身勝手だと思いますね。そういったものは親が教育していって培われていったり、大
学にいて学ぶことがあったとしても、それは大学自体が与えるのではなく、そこに通う人が自分から得ていくものだと思います。
ネットに関しても同様のことが言えますよね。いくらでも不正な行為ができる悪にもなりますし、遠くの人をつないでくれる善にもなりま
すから(^^) 自分はこのネットのおかげで札幌にいながら東京にいる友人とも色々な話が出きるし、またこのネットを通じて全国に色々
な仲間を得ることができました。ただ、あまりにもネットに縛られて「ネットを使ってる」つもりが「ネットに使われてる」ようなことにはなら
ないように心がけています。おそらく、その時ネットは自分にとって「悪」になってしまうでしょうから・・・
謹賀新世紀!2001年1月1日現在
新年明けましておめでとうございます、っていうか新世紀明けましておめでとうございます♪
以前にもここで書いた内容なのですが、高校の時のある数学の先生(習ってはいないのですが)が「受験生でも正月は正月、モチを
食え」と言っていました。20世紀末、チョット先の暗い年が続きましたが、これぐらいのメリハリをもっていけば、いくらでも心機一転でき
るのでしょうね(^^)
ま、今年もヨロシク♪