東雲
前
長曽我部の元に来てから、戦場に出ることは無くなった
今は亡き秀吉様も半兵衛様も刑部も、遠いことに感じられる
家康を憎むことも、秀吉様の死を悼むことも、もう殆んど無くなった
私の命は長曽我部に預けたのだ
長曽我部は大きな男だ
知らずとはいえ、私が最も嫌っていた裏切りを働いたことを許し、あまつさえ側に置こうとする
初めの内は何故戦場に出して貰えないのかと問い詰めた
せめてもの償いをしたかった
私が力になれることなど戦での戦力くらいのものだ
だが長曽我部はその申し出に首を振り、ゆっくり休めと笑った
毛利のことは俺の問題だから気にするな、と
日当たりの良い広く清潔な部屋を宛がわれ、何をするでもなく日々を過ごした
修練だけは続けたが、自分でも意味があるのか分からなかった
賑やかな兵や温かな民、今更人と関わることを煩わしいと思ったが、
時間が経つにつれ心が解けていくのが分かった
長曽我部が大将であるからか、元々そういった者たちばかりなのか、
裏表の無い、小気味いい程に真っ直ぐな者ばかりだった
穏やかな暮らしだった
秀吉様や刑部の側にあった時でさえ感じたことの無い安らぎがあった
昔家康が言っていたことを思い出す
皆が互いを思いやり助け合う、そんな軍を作りたいと
今思えばそれは軍だけでなく、この国そのものの在り方を言っていたのかもしれない
だからこそ、絆の力を掲げるのかもしれない
きっと家康が目指すのは、この長曽我部の治める四国の様に温かな国なのだろうと思った
確かに、富国強兵を謳い外国との戦を進めていた秀吉様とは相容れないものだ
ここに来て、温かな人の心に触れ、家康への憎しみは薄れた
その考え方に共感する部分もある
秀吉様も家康も、ただ目指した国の形が違っただけだと思えるようになった
それでも、あの日の後悔も決意も無くなった訳ではない
目を閉じればありありと思い出せる
雨に打たれ冷えていく秀吉様の体
嵐のような後悔
秀吉様の御為にと生きてきた自分は、肝心な時に守ることが出来なかった
家康を少なからず認めていた分余計に許せなかった
こうなる前に、気付くことの出来なかった自分を呪った
私には秀吉様だけが全てだった
絆の力を説きながらも、私の絆を奪った家康
殺してやると慟哭した
今なら、それがただの仇討ちでしかないと分かる
秀吉様の為にと言いながら、結局は自分の為でしか無かったのだと
ただ裏切りを憎んだ
誰に対しても、裏切りだけは許せなかった
自分が長曽我部を裏切っていたことを知りもせずに
私の為に、義の為にと側にいた刑部
その心は確かなものだったと思う
不幸を願いながらも、私を気遣ってくれた
損得ではないものはあった筈だ
だが、長曽我部への裏切りは同時に私への裏切りでもあった
悲しかった
心が千切れそうだった
刑部の裏切りも、私が長曽我部を裏切っていたことも、苦しくてどうしようも無かった
だが、長曽我部は私を許した
長曽我部になら殺されても仕方無いと思った私に、生きろと言ってくれた
「何してんだ?」
武器こそ持たなかったが、いつも通りの格好で長曽我部が近付いてくる
「…貴様はまたどこかへ行くのか?」
「いや、しばらくは何処にも行かねぇよ」
何が楽しいのか豪快に笑う長曽我部に柔らかな気持ちになる
「そうか」
「…良い顔になったじゃねぇか!」
突然背中を叩かれて驚いていると、長曽我部が頬を撫でた
「今みてぇに笑ってろ、石田。おっかない顔しると、心の中まで荒んじまう。
…あんたには笑ってる方が似合ってる」
慈しむような目で長曽我部が私を見る
頬に触れる温かさに、触られることは肯定されることだと知った
「それはきっと貴様のお陰だ長曽我部」
長曽我部の手に自分の手を重ね目を閉じれば、頬だけでなく心まで温かな日が差すようだった
「家康がしたことは許せないが、憎しみは薄れた。
忘れることは出来ないが、笑えるようになった。
…感謝している」
紛れもない本心だった
こんなにも穏やかな今があるのは、全て長曽我部のお陰だ
温かな気持ちを持てた
人を慈しむことが出来るようになった
笑えるようになった
秀吉様を失った時、もうこんな気持ちは無くなったと思った
また笑える日が来るとは思わなかった
長曽我部にはどれ程感謝しても足りないくらいのものを貰った
あの日に刃を向けられた時、長曽我部の言う通り私は死んだ
だから今、生きていられるのだ
「分かったから、いい加減手を離せ」
「…振りほどけばいいだろう」
困り果てた顔をする長曽我部を一瞥し、また目を閉じる
もう少しこの手に触れていたいと思った
温かく大きな手が心地好かった
「…っ」
指を絡めれば長曽我部が息を飲むを感じた
それが何だか可笑しく、どんな顔をしているのかと目を開けば、
困り顔のまま赤面するのが見え思わず声を上げて笑ってしまった
「っ笑い事じゃねぇ!さっさと手を離しやがれ!」
名残惜しく思いながらも手を離せば長曽我部は後ろを向いてしまった
「怒ったか?」
「…別に、怒っちゃいねぇさ」
「…恥ずかしいのか?」
「……んな訳ねぇだろぉがよぉ!」
まだ頬に赤みを残したままの長曽我部を覗き込めば、また耳まで赤くして明後日の方を見る
見掛けによらず初な反応に笑ってしまった
今までにこんなに腹の底から笑ったことがあっただろうか
「〜っ、笑うな石田!」
「楽しければ笑えと言っていただろう」
「それとこれとは違うんだよ!」
言って気付いた
自分は楽しいのだ
心を許し笑い合うことが
長曽我部と、共にいることが
自分は変わったと思う
ここに来て私の世界は広がった
それが良い変化だと思えることが嬉しかった
「ったくよぉ…。今野郎共が酒盛りの準備してんだ。行こうぜ石田」
ふてくされた顔で、それでも手を差し伸べて共に行こうと言ってくれる
長曽我部の存在がありがたかった
長曽我部がいるだけでこの心は温かだ
「ああ」
長曽我部にとっての私もそんな存在になりたいと、そう思った
どんちゃん騒ぎも終演を向かえ、死屍累々といった広間を出ると冷えた夜風が通り抜けた
火照った体に心地好いそれにそっと目を伏せた
こんな風に大勢で騒いだり、明日のことなど考えずに今を楽しむのも悪くないと思った
昔の自分には有り得なかったことだ
常に先のことを考え、秀吉様の為にと尽くしてきた
それ以外の生き方を知らなかったのだ
「石田、酔ったか?」
振り返れば穏やかに笑う長曽我部が立っていた
「いや、宴ももう終いだ。部屋に戻ろうかと思っていたところだ」
「そうかい。俺はまだ飲み足りなくてなぁ、良かったら付き合え。とっておきを開けてやるぜ」
ニヤリと笑い酒瓶を掲げる長曽我部に笑い返す
「ああ、一度二人で飲んでみたいと思っていた」
長曽我部の部屋はあまり物が無かった
「…もっと散らかっているかと思っていた」
「自室には寝に来るだけだからなぁ、散らかりようがねぇんだ」
確かに部屋にこもっているところは見たことがない
いつも機巧を作っていたり、執務の時は執務室にいる
だが、長曽我部の回りは賑やかだ
いつの間にか人が集まる
自分とは対照的だと思った
「まぁ飲めよ。良い酒だぜ?」
「あぁ」
杯になみなみと注がれた酒はずいぶんと強そうだが、立ち上る香りは上品なものだった
口に含めば濃厚な酒の味がする
だが後味は甘くまろやかなものだ
確かに良い酒だな、と思いながら杯を重ねた
「…私は、ここにいていいのか?」
それはここに来てからずっと感じていたことだった
「俺が勝手に連れてきたんだ、行きたいとこがあったら行きゃあいいさ。
だが行きたいとこが無かったら、ずっとここにいればいいじゃねぇか」
「邪魔ではないか?」
「誰もんなこたぁ思っちゃいねぇさ」
「だが…」
「あんた本当に真っ直ぐだなぁ。確かに馬鹿がつくほど融通がきかねぇ」
「……」
「前に家康が言ってたんだよ。馬鹿がつくほど融通がきかないってな」
それは自分でも分かっているが、変えられないからどうしようもない
「昔からだ。今更変えられない」
「俺はいいと思うぜ、あんたの生き方。嫌いじゃねぇ。
だがよ、それじゃあ損することも多かったんじゃねぇか?」
「損得を考えて生きてきた訳ではない」
「ははっ。あんたのそういう所を俺も野郎共も気に入ってんだ」
優しく笑い、私を見つめる長曽我部に胸が苦しくなった
そんなことを言われたのは初めてだった
有りの侭の自分を肯定されることが、こんなに泣きたくなることだなんて知らなかった
「野郎共もあんたを慕ってる。だから、あんたは悪いヤツじゃねぇ。
それがあんたがここにいてもいい理由だ、それでいいじゃねぇか」
「っ理由になっていないぞ」
うまく息が出来なかった
「細けぇこと気にすんな!おら、飲め!」
何故こんなにも優しい者がいるのだろう
「俺ぁあんたに笑って欲しいんだよ!」
長曽我部は、何故私などにも優しくしてくれるのだろう
「うじうじすんのは性に合わねぇんだ、どうせなら楽しく行こうじゃねぇか!」
温かな手
真っ直ぐな瞳
どこまでも広く深いその心
「なぁ、石田」
いつだって長曽我部の言葉は私に光をくれる
柔らかい笑顔を向けられる度に、この心は温もりを感じる
「…ああ、そうだな」
ここにいたいと思った
長曽我部が、私などもういらないと言う日まで、側にいたいと思った
どこまでも優しく、人を疑うことの出来ないこの男を守りたいと思った
「だろぉ」
ここに来てから貰ったたくさんのものに報いたい
僅かでもいい、優しさを、温もりを返したい
「長曽我部、貴様も飲め。…流石に、良い酒は旨いな」
「当たり前だろぉが、なんたって俺のとっておきだぜ」
長曽我部のその晴れやかな笑顔が曇ることの無いように、力を尽くそう
私を許し、生かしてくれた、優しい者
「…笑っていろ、長曽我部」
「ああ?」
「貴様が笑えば皆も笑う。貴様は皆の灯台だ」
「…灯台ねぇ。良いこと言うじゃねぇか。まぁ、野郎共に情けねぇとこなんざ見せる気はねぇさ」
鼻から抜ける酒の臭いに頭がくらくらする
笑う長曽我部がぼやけて見える
「大丈夫か石田、顔赤ぇぞ?調子に乗って飲ませ過ぎたか…」
「長曽我部、飲め!」
二重に見える盃に酒を注ぎ手渡してやる
全てがふわふわしてとても楽しく感じた
「…ああ、飲むからそこ置いとけ。そんで、あんたはこっちに来い」
ため息を吐く長曽我部に手招きをされて、素直に側に寄れば体を倒された
「何をする!」
「あんたはもう寝てろ」
自分の膝に私の頭を乗せ、幼子をあやすようにぽんぽんと背を叩かれる
熱を持った頭でぼんやりと心地好いと思った
目を閉じればすぐに眠りに落ちてしまいそうで、もったいないと必死に眠気と戦った
「しっかし細ぇ体だな。石田、ちゃんと食ってるか?」
夢うつつに長曽我部の声が響く
口を開こうとするのに、どうにも体が重くて喋れなかった
「色も白いし、あんたみてぇのを綺麗っつーんだろうなぁ」
静かに笑う声を最後に、闇の中に意識が飲まれた
死ぬ時はこんな最後がいい、とおぼろ気な頭で考えていた
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