東雲
後
真っ暗な水の底に居た
冷たく暗いそこには自分以外の誰も居ない
水面でキラキラと揺れる光は酷く眩しい
ただぼんやりとそれを眺めていた
このまま死ぬのだと思った
だとすればあの光はさながら家康か
自嘲気味に笑い、それでも直視することも出来ないその光を美しいと思った
音も無く水面から差し伸べられた手
差し込む光は温かく穏やかなものに変わっていた
鈍い動作でその手を掴めば強く握り返される
温かい手のひらに涙が出そうだった
「石田、起きれるか?」
ゆっくりと瞼を開くと長曽我部の心配そうな顔が目に入った
痛む頭を押さえながら起き上がると水を差し出された
「昨日は悪かったな、飲ませ過ぎちまった」
ばつが悪そうに頭を掻く長曽我部に昨日のことを思い返す
そうだ、私は膝を借りたまま眠ってしまった
あの後長曽我部はどうしたのだろう
そしてなぜ、私は今布団に寝かされている
「…貴様はどこで眠ったのだ?」
「ああ?あの後一人で機巧作ってたらこんな時間になっちまった。寝づらくなかったか?」
眠っていないと明るく言われ頭が痛くなる
それでも一国の主か
「私の心配をする前にきちんと睡眠を取れ!貴様は一国の主だぞ!」
「そう怒鳴んなって。頭痛ぇんだろ?」
「…っ、うるさい!」
実際、自分の怒鳴り声がガンガンと頭に響く
それでも、自分よりも私を優先する長曽我部に腹がたった
「私のことなどどうでもいい!貴様が睡眠を取っていないことの方が今は重要なのだ!」
「何だ、心配してくれてんのか?」
「……っ」
嬉しそうに笑う長曽我部にそういう話をしているんじゃないと怒鳴りたかったが言葉が出なかった
「嬉しいねぇ、心配してくれる程度にはあんたの心の中に入れたってことだろぉ?」
くしゃくしゃに顔を歪めて笑う長曽我部の言葉にため息が出た
「…もういい。私は部屋に戻る。貴様も少しは眠れ」
ニコニコと笑う長曽我部に背を向け戸を開く
「…すまなかった。感謝している」
外を向いたままそう言えば長曽我部に何かを放り投げられた
「意地っ張りのくせに素直だなぁ、あんた。それ飲んどけ、二日酔いに効くぜ」
「……ああ。…っちゃんと眠るんだぞ、長曽我部!」
足早に部屋から出るとすでに日は高くなっていた
「石田ぁ!野郎共があんたの分の朝餉とっといたみてぇだから、腹が減ったら食っとけよぉ!」
後ろから響く長曽我部の声に返事もせずに歩く
昨日の自分の醜態が今更になって恥ずかしかった
長曽我部や兵の優しさを持て余す
今までこんな風に扱われたことなど無かったのだ
どうしていいか分からなくなる
最近ではようやく皆の優しさに慣れつつあったが、
自分のこんな失態を見られるなど、いっそ消えてしまいたかった
自室に戻り頭を抱える
「…情けない」
これからどんな顔をして皆に会えばいいか分からなかった
「三成さーん、戻ってますかい?」
居留守を使いたいと思ったが、わざわざ声を掛けてくれたのだからと億劫ながら返事をする
「大丈夫ですか?昨日アニキと飲み過ぎたって聞いて…。腹減ってません?朝餉がありやすよ」
「ああ、すまない。後で貰う」
「あ、それアニキの二日酔いの薬っスね。水持ってきましょうか?」
「…頼む」
「へい!」
何度か挨拶を交わしたことのある、だが名前も覚えていない兵にまで心配される始末
皆の優しさに居たたまれなくなる
自分には機巧の知識も、人に優しくするすべも無い
ここにいたいと思うのに、何も返せない自分が歯痒かった
「三成さん!水です!」
走って来たのか息を切らせる兵に申し訳なくなる
「…すまない」
「そんな、謝らないでください!俺が勝手にやってるだけなんですから」
なぜここの者は皆こうも温かなのだろう
「それじゃ、今日はゆっくり休んでくださいね」
長曽我部に渡された薬を飲み込めば薬草のような、何か爽やかな香りがした
「…不思議な薬だな」
長曽我部軍の者は皆何の利益も得ようとはせず、ただ心から相手を思いやる
自分にそれを向けられるのはいつまでたっても慣れない
むず痒く、気恥ずかしく、落ち着かない気分になる
だが決して嫌なわけでは無い
花を愛でたり、月を眺めたりするゆとりが持てた
それはきっと心が豊かになったということなんだろうと思う
長曽我部に、兵の者たちに、四国の民に教わったことだ
温かい皆の心に触れ、感化されたのだと思った
満たされる心
確かな熱を持つそれは、秀吉様のお側にいた頃には無かったものだった
自分にも他にも厳しくするばかりだった日々
言葉を交わすことすら煩わしく、一人鍛練に打ち込んだ
全ては秀吉様の為に
空っぽだった
秀吉様に依存していただけだったのだ
何と言う傲慢だろう
秀吉様の為にと言いながら、自分の生きる意味をなすりつけていただけだった
「…私は馬鹿だ」
空しさを振り払うように立ち上がり戸を開く
変わりたいと強く思った
「三成さん、おはようございます!」
「三成さん大丈夫ですか?」
「アニキに二日酔いの薬貰いました?」
口々に声を掛けてくる兵たちに返事をしながら、どれ程自分が想われているか実感する
こんな自分を大切に想ってくれているのだと
「…迷惑をかけた」
「三成さんが気にすることないですよ!どうせアニキが飲ませすぎたんでしょう?」
「ハハッ、違いねぇ!」
「アニキのとっておきは飲みやすくていけねぇぜ。みんな一度はアレにやられてるんですよ」
口々に話す兵たちにつられて心が軽くなる
いままで一般兵に自分から声を掛けることなどほとんど無かった
話すということは無駄なことだと思っていた
肯定も批判も、嘘か真か分からなかった
だからその全てを拒絶した
自分の信じる者の言葉しか聞こうとしなかった
「残った朝餉はいつでも食えるんで、気が向いたら食ってくださいね!」
「朝一で俺たちが採ってきた魚っス、美味いですよ!」
「テメェで言う奴があるかよ!でも、味に自信はありますよ!」
「お前だって似たようなもんじゃねぇかよ!」
楽しそうに笑う姿に頬が弛む
今まで拒絶していた者の中にもこういう者もいたのかもしれない
私は何も知らなかった
関わろうとすらしなかった
それが私の弱さだと気付いた
「おっと、そろそろ調練しなきゃだなぁ」
「もうそんな時間か?」
「早ぇなぁ」
「…よければ、調練を見させてくれ」
「もちろんっスよ!」
「三成さんが来るならいつも以上に頑張ねぇといけねぇな!」
「張り切りすぎて怪我すんのがオチだろぉ?」
和やかに笑いあう兵の後ろを穏やかな気持ちで歩く
これからは、関わっていきたいと思った
この先も、共に笑い合えるように
「せいっ!」
「はぁっ!」
汗を流し木刀を振るう兵たちを何とも言えない顔で眺める
あまりにも統率が無い
これでよく今まで死ななかったものだとすら思う
一人ひとりの構えも隙だらけだ
「…ふざけているのか?」
「何てこと言うんですか、俺たちみんな真剣っスよ!」
「…そうか」
今まで生き残れたのは一重に運ということだろうか
不幸じゃあああぁぁと叫ぶ男を思い出して眉をしかめる
こんな温かい気持ちをくれた者たちを何も出来ずに戦に出すなど、
それこそ死に際を看取るより辛いことだと感じた
「貴様はもっと脇をしめろ。それだけで格段に隙は減る」
「へいっ!」
「貴様は体力をつけろ。疲れてくると動きが鈍くなっている」
「はいっ!」
気が付いた事を一人ずつ助言してやれば
皆威勢の良い返事を返しすぐさま実行に移す
素直な者たちだと思った
「三成さん、どうですか?」
「次はこっちも見てくだせぇ!」
「馬鹿野郎、こっちが先だぞ!」
口々に自分を呼ぶ声に不思議な気持ちになる
今まではこんな風に教えを乞われることなど皆無だった
皆怯えた顔で、理由をつけて逃げ出していた
私の言い方が悪かったというのも少なからずあっただろう
秀吉様の兵ならば強くあれと、その為だけに兵をしごいた
逃げ出したくもなるというものだろう
「順番に見て回る!素振りでもしていろ!」
「へーいっ!」
「分かりやした!」
相手を思いやるというだけで、こんなにも違う
していることは同じかもしれないが、
受け取る側も、与える側も、きちんと相手を思ってのことだと分かっている
そのことが力になるのだと、やっと気付いた
「ありがとうございやしたぁっ!」
「また見てやってくだせぇ!」
嬉しそうに礼を言われてたじろぐ
「私は気付いたことを言ったまでだ。礼を言われることでは無い」
「俺たちが嬉しかったから礼を言っただけですよ」
「そうッスよ!」
優しくなりたい
不器用でもいいから、大切なものを大切だと言いたい
もう無くさない為に
失ったとしても、また前を向けるように
「…ならば受け取っておく」
「はいっ!」
「あ、三成さんそろそろ腹減ってきません?
俺準備しますよ?」
「それ位自分で出来る。
…貴様らも共に何か食え」
「いいんですかい?」
「あれだけ動けば腹が減るものだろう?」
「まぁそうっスけど…」
「いいじゃねぇか、せっかく三成さんが誘ってくれたんだ」
「俺もいいですか?」
「ああ」
嬉しそうに笑う兵たちに、こちらまで嬉しくなる
満たされるということが分かった気がした
強くなりたい
大切なものを守れる力が欲しい
人を思いやることの出来る心のなんと温かいことか
あの夢の中で伸ばされた手のように、
私も誰かの手を取ってやりたいと思った
どんなに暗い夜にも終わりはくるのだと言ってやりたい
眩しい夜明けはくるのだと教えてやりたい
そう思える程に、ここは幸せな空間なのだ
←東雲 前
←三成部屋
←BL
←ばさら
←めいん
←top