犬と私の一つの約束 1











犬を拾った
大きな赤毛の犬だ
大人しく、一度も鳴いたことが無い
まるで北条の傭兵のようだと思い小太郎と名付けた

「小太郎、来い」

さらさらと指通りの良い毛並みを抱き締める
少しの身動ぎもせずに私の足の間に収まる小太郎の背を撫でてやれば、気持ちよさげに目を閉じた

どこから来たのか、誰かに飼われていたのかも分からない
一人修練をした帰りに見つけたのだ
じっとこちらを見つめる瞳から目が離せなかった

『行く所が無いのならついて来い』

口をついて出た一言
犬に言葉が理解出来るかと馬鹿らしくなったが、尾を振り後をついて来る賢さには感心した

行儀よく座り、よしというまで物を食べない
外に放しても目の届く場所までしか行かない
どんなに離れていても、例え眠っていても、一声呼べばすぐに来る
忙しく、構う時間が無くとも大人しい
ただ、躊躇いがちにおそるおそる側に来る
足下で寝そべり、触れていようとする

無償の愛を知った

一つの欲も無く、思いやる心を持った

暇が出来れば時間が許す限り戯れた
抱き締め、背を撫でながら、その日に起こったことを話す
穏やかに目を閉じる小太郎を愛しいと思った

秀吉様と、半兵衛様と、刑部と、家康と、
誰と居るときより、小太郎の側は安らいだ

「小太郎、散歩に行くぞ」

嬉しそうに尾を振り立ち上がった小太郎の頭を撫でる

ずっと、こんな毎日が続けばいいと思った




足下にまとわりつく小太郎と川辺を歩く
冷たい風が心地好かった

「小太郎、私はここにいる。好きにしていろ」

柳の根元に腰を下ろし小太郎に声を掛ける
何度か振り返りながら駆けていく小太郎が愛らしかった

「…置いていく訳がないだろう」

風に流された自分の一人言があまりに穏やかで笑ってしまう

小太郎と出会って私は変わった
兵に話しかけられることが増えた
刑部には丸くなったと言われた
草むらに首を突っ込む小太郎を微笑ましいと思う
今までの私には無かった感情だった



「………」

一陣の風と共に現れた風魔小太郎がこうべを垂れる

「っ!北条の忍が、私の首でも取りに来たか?」

愛刀を手に取り身構える
何の気配も無く舞い降りた風魔に、伝説の忍の呼び名が嘘ではないことを実感する

「……」

風魔が膝をついたまま顔を上げるが、兜で口元しか見えない
ふるふると首を横に振る動作から攻撃する意思は無いと示しているようだが、敵である以上は信用出来なかった

「…何をしに来た。なぜ私の前に姿を見せた」

刀を構えたまま問い掛ける
目の前に居るというのに、存在感さえ感じさせない風魔に冷や汗が出る

「答えろっ!秀吉様に害をなす輩は私が切り刻む!」

また、風魔が首を横に振る
自分の喉を指差しもう一度首を横に振る
そしておもむろに立ち上がると自分の武器をこちらに差し出してきた

ガチャガチャと積み重なっていく武器の山に眉をしかめる
大から小まで数多くの手裏剣
常に背にしていた小太刀

あまりの量に一体どこにしまっていたのかと呆れてしまう
それらを広げられ、武器の行商でも出来そうな勢いだった

全て出し尽くしたのかまた膝をつき、両の手のひらをこちらに向けて開き地面につける
そうしてまた首を振った

「………」

「…敵意は無いと、そう言ったつもりか?」

コクコクと頷く風魔にため息を吐く

「何をしに来た」

刀を構えたまま睨み付ける
風魔が何をしたいのか分からなかった

「……」

ゆっくりと手を上げこちらを指差す
パクパクと口を開くが、私が読唇術を使える訳もなく何を言いたいのかは伝わらない

何度かその動作を繰り返し風魔は首を傾げる
伝わらないことが分かったのか、立ち上がり私を指差し手を出してくる
手を出せと言うことかと思い疑いながらも手を出せば、恭しい動作で手を取られた

手のひらを指でなぞられるむず痒さに耐えながら、書かれる文字を読み取っていく

《あいにきた》

「…私に、会いに来たのか?」

嬉しそうに何度も頷く風魔に疑問を抱く
伝説の忍が私を訪ねる理由など分かる筈もなかった

「なぜだ?私には貴様に訪ねられる理由が無い」

《れいをいいに》

益々分からなくなる

私と風魔には何の接点も無い筈だ
ましてや礼を言われる覚えなど何処にもない

「待て、私には貴様に会った記憶すらない」

そう言ってやれば首を振り考えるような仕草をした

《こたろうにやさしくしてくれた》

小太郎を拾ってからまだ日は浅い
他の軍の者が小太郎を知っている訳が無かった

「…なぜ貴様が小太郎を知っている。返答次第では貴様を殺す!答えろっ!」

「………」

一つ頷き風魔が中空に印を組むとたちまち姿がかき消えた
後に残ったのは漆黒の羽と赤毛の大きな犬だけだった

「…………」

「…………」

「……風魔か?」

小太郎にそう問い掛ければぶんぶんと尻尾を振った

目の前の出来事に理解が追い付かない
忍の技には様々なものがあるとは知っていたがまさか人が犬になるなど思ってもみなかった

「……元に戻れるか?」

頭を抱えながらも小太郎に声を掛ける
意思の疎通が出来るだけ、まだ風魔の方が楽だと思った

低く地に伏せ小太郎の姿が闇に覆われる
小太郎の姿が消えると同時に漆黒の羽と共に風魔が現れた

「…私を騙していたのか?」

敵を懐に入れるなど、あってはならない行いだった
知らぬこととはいえ、敵に情報を取られる機会をむざむざ与えるなど、愚かな自分を悔やんだ

「豊臣の情報を持ち帰る為に、私に着いてきたのか?」

小太郎と出会って心が豊かになったと思った
小太郎も私になついていると思っていた
全て私のひとりよがりだったのかと思うと、あまりにも惨めだった

「………」

風魔が首を横に振る
何度も何度も、痛めそうな位激しく首を振る

「…何が違うと言うんだ。初めから、豊臣に近付くことが目的だったのだろう?」

悲しかった

短い間でも、確かに心が繋がったと思っていた

《ちがう》

項垂れる私の手のひらに力強くそう書かれた
噛み締められた唇が震えていた

《とよとみのじょうほうはさぐっていない》

「貴様がいくら否定しようと、私に確めるすべなどない」

信じたかった

風魔が姿をあらわさなければ、ずっと小太郎と居られたのに
何も知らずに居られたのに

「さっさと北条に帰れ!二度と秀吉様の治める地に足を踏み入れるな!
…次に会ったら貴様を殺す!」

勢いよく手を振りほどき背を向ける
涙が零れてしまいそうだった
悲しさと悔しさと不甲斐なさに押し潰されそうだった

「っ!」

強く腕を掴まれ歩みが止まる

《うそはない》

一字一字ゆっくりと、祈りのように文字を紡がれる

「…っ、黙れぇっ!」

振り向き様に抜刀し風魔に迫る
何も聞きたくなかった

「……」

刃が風魔を切り裂く前に、一つ礼をして風魔は消えた

感謝なのか謝罪なのかも分からなかった
後に残る漆黒の羽が空しさを煽った

「………っ」

一人きりの川辺に涙が落ちる

死ぬまで共に居ようと思っていた
これから沢山の時間を過ごすのだと思っていた
次はもっと遠くまで散歩に行こうと思っていた
今日は一緒に風呂に入ろうと思っていた
時間が許す限り小太郎の気が済むまで櫛をいれてやろうと思っていた

やりきれなかった

小太郎との別れがこんな形になるなど思いもしなかった

「…小太郎」

呼べばいつでもすぐ側に来た

「………小太郎っ」

嬉しそうに尾を振り、後を着いて回った
慰めるように、労るように頬を舐めてくれた

全ては風魔の戯れだったのだ

温もりも愛しさも忘れてしまえばいい
何の支障もない、ただ元の生活に戻るだけだ

涙と共に記憶も流れてしまえばいいと切に思った




辺りが暗くなった頃にようやく涙は止まった
吹き抜ける風の冷たさに身を震わせ、重い体で城へと歩みを進める

犬が一匹居なくなっただけだ
たった一月程しか共に居なかった犬だ
何の思い入れも無い
一歩足を踏み出す度に心の中でそう反芻する

城の明かりが今は救いだった
一人ではないという実感
姿は見えずとも、誰かが居るという安心感

通りかかった女中に酒を用意するように言った

もう何も考えたくなかった

暗い廊下を抜け、自室で着流しに着替えると少し気分が落ち着いた

小太郎の為にと揃えた櫛や器を手に取る
黙々と、意識的に何も考えずに片付けていく

畳に一つ染みが出来る
二つ、三つと増えていくそれを見つめた

「三成、入るぞ」

戸を開けるなり酒瓶を持ったまま刑部が動きを止める

「…なんだ」

いつも通りに発した声は微かに震えていた

「いや、女中がぬしに酒を持っていくところだと言っておった故代わってやったまでよ。
…だが、何故泣いておる三成よ」

後ろ手に静かに戸を閉め、刑部が膝をつく
肩に触れる手の温かさに、また涙が溢れた

「あの犬の姿も見えぬし、一体何があった?」

「………小太郎が、戻ることはもう無い。
次に姿を見かけたら、…殺せっ」

自分の言葉が重くのし掛かる

「小太郎はっ、敵だ!」

そう、敵なのだ
本来なら殺しておかねばならなかった

それが出来なかったのは飼い主としての情からか、共に過ごした日々故か

嬉しそうに礼を言いに来たと記した風魔の姿が目に浮かぶ
違うと、全身で否定した風魔
ならばなぜ私の側に居たというのだ

「…語りたくなければ深くは聞くまいよ。
ぬしが自ら酒に溺れようとする程なのだからな。
次にあの犬の姿を見かけたら屠るよう、皆に伝えておこ」

「っ、ふっ…」

刑部の口から小太郎を屠ると言われただけで全身から冷や汗が出る
小太郎の死に様など考えたくなかった
堪えきれない嗚咽が、涙が溢れる
手の中の櫛をきつく握り締めた

「刑部、私は愚かだ…。
秀吉様のお側にわざわざ敵を近付けるなど…、
死んでも詫びきれない……」

「生きて尽くすことの方が太閤は喜ばれると思うがの」

「私がっ、私を許せないのだ…」

「…やれ三成、全てを否定したい気持ちも分からんではない。
だがな、真もありなんだろ?故に苦しんでおるのであろ?
ぬしの想いまで否定する必要など無いと、われは思うがな」

「…っ」

「われが見るに、あの犬もぬしを好いておったように思う。
ぬしと共に居ることを喜んでいるように見えた。
…それすら謀りだと言われてしまえばそれで終いだがな」

刑部にあやすように背を叩かれる
一定のリズムに安心する

「例え攻められようと豊臣は落ちまいよ。案ずることなど何もない」

刑部の言葉が胸に染みる

誰かに大丈夫だと言ってもらえることがこんなにも大きいとは知らなかった

「ぬしがあの犬と分かち合った時間も、ぬしの気持ちも、ぬしだけのものよ。誰も否定などせぬ」

諭すように掛けられる言葉に、肩に触れる手に、肯定されていることが分かる
「ぬしはかけがえのない友よ、やけ酒ならば付き合おう。
やれ、そろそろ泣き止め三成よ」

「………すまない」

涙は止まらないが掠れた声で返事を返す
自分が思うよりも、刑部が私を見ていることに、理解していることに、仲間の有り難さを知った
言葉一つでこんなにも救われるのだ

私は間違っていたかもしれない

だが、小太郎と過ごした日々を、私の想いを、覚えていようと思った
確かに心は通っていたのだから、それでいい

次に会ったら殺すと言った
それだけは違えるつもりはない
私は秀吉様に尽くす為に生きているのだから

だが、小太郎がくれた温もりを忘れる必要はないのだ

「刑部、今夜は飲むぞ」

「あい分かった。だがまずは鼻をかめ、全てはそれからよ」

「…ああ」

後悔はしない
過去は無くならない
私は確かに小太郎を好いていた

その事実は覆らないのだ

二度とまみえることが無かろうと、私にとって小太郎は大切なものだ
ほんの一月ばかりでも、とても特別な日々だった
喜びに、安らぎに溢れた時間だった

こんな別れになった今でも、小太郎が大切なのだ

私は生涯小太郎と過ごした日々を忘れることは無いだろう
小太郎がくれた感情を、温もりを、安らぎを、覚え生きよう

次に会った時には敵同士だとしても、共に過ごした時間は真実なのだから



戸の隙間から冷たい空気が入り込む
外からは虫の声が聞こえていた

小太郎が凍えていないか、それだけが気がかりだった






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