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 「りんごのはなし」

 

 

何も飾らないリナの首筋が明るく輝いて見える。朝の弾むような木漏れ日が髪に降れると、わけもなく嬉しくて、向かい風に笑いかけたリナは、スキップしながらくるりとスカートを翻した。

「おはよう」

太陽と手を繋いでいるような輝きの中を振り返えったらマホが笑って伸びをしていた。めいっぱい吸い込んだ大気が手のひらを夏の空へと開かせる。

蝉しぐれが熱中症の警報を発しているというのに、風のそよぎも小鳥たちのさえずりも全部のみ込んで、青く澄んだ快晴の空は樹と樹の向こうで気高くも清ましていた。

「じゃあ、今からうちに来る? マホちゃん」

「行く」

ひとまず玄関に戻ったマホは、戸を開けるなり家の隅々まで届くような明るい声を上げた。

「おかあさん、リナちゃんちに行ってくるね」

「マホ、待ちなさい。お帽子」

ピンクのリボンのついた麦わら帽子を掲げて、沙織が慌てているではないか。

「ありがとう。おかあさん。じゃあ、行ってくるね」

「気をつけてね。行ってらっしゃい」

 

 

玄関には見慣れないが掛けられていた。

「閏さんの?」

「パパのじゃないの」

誰かを待っていたかのように左側のドアが開いた。

「あっ、パパ。マホちゃん」

「ちょうどよかった。いい時に来たね。お嬢ちゃんたち」

閏が絵画教室を始めるところだった。

「マホです。アトリエを見せてもらいに来ました」

「どうぞ、こちらに」

スケッチブックを持った人たちがモチーフ台を取り囲むように座っていた。何故か?空席が二つ。

「マホちゃん、そこに座って。リナちゃん、描くもの貸してあげなさい」

「・・ここ?」

― どうしょう。

「マホちゃん、これを使って」

「今日はリンゴの話をしようと思います。一つ持ってきました。これから皆さんで描いてもらいます。早速始めましょう」

「リンゴを描くことになっちゃったね。マホちゃん」

「・・みたいね」

モチーフ台に白いハンカチを敷くとその上にリンゴが置かれた。

 

 

リンゴを観つめていたマホの指が動いた。画用紙の上を鉛筆が走る。その音が小刻みに繰り返されると、リンゴのアウトラインが徐々に浮かびあがって形を成していく。誰かに手ほどきを受けたわけではなかったから、感覚的に自己流でやっているのだろう。写実的に描こうとか、そういう指針のようなものはなく、ただただ気の赴くままに鉛筆を走らせていた。

形が整うと鉛筆から赤いクレヨンに持ち替えたマホは、はらで円を描くように軽く滑らせた。ざらっとした紙の凹凸がリンゴの真ん中で赤く発色し丸みをおびてくる。

リナが貸してくれた画材は、どれも閏がリナのために与えたものだったから質が良かった。

― 何て描きやすいんだろう・・いいな。

その滑らかな描き心地のよさがマホの背中を押した。

「リナちゃん、水汲んでくるね」

「あそこ」

「うん」

絵に一瞥を送るとバケツを取り、水を汲みに席を立った。

リナが指を差した北側の壁は、窓に沿って腰の高さの棚になっていた。その中央が細長いステンレスの流し台になっている。水を汲んだり、筆やパレットを洗ったりするための水道の蛇口が三口、60㎝ぐらいの間隔で並んでいた。

真ん中にバケツを置くと三分の一ぐらいで水を止め、ゆっくりとバケツを回転させながら濯いだ。

― これくらいでいいかな。

「リナちゃん、一緒に使おう。ここに置くね」

「ありがとう。マホちゃん」

何色にするのか? なんてことよりもお尻のところに小さな角ができるのが嬉しくて、次々と絵の具が紙パレットに搾り出されていく。

「可愛いい。リナちゃん見て」

「色虫の運動会だね」

「でしょ」

「マホちゃん。角、作るのうまいね」

「こうやってやるの」

「ほー」

マホは中ぐらいの平筆を選んだ。それに水を含ませると、赤い色虫を捕らえパレットの中央で円を描くように混ぜた。白い毛先が真っ赤に染まっていく。たっぷりと馴染んだ絵の具をリンゴへひと塗り、クレヨンの油に弾かれ絵の具だけが沈んでゆく。クレヨンの赤の背後に絵の具の赤が周り込む。マホはこういう色味のコントラストが好きだった。

― 余白に淡く滲んで消えていく色、何にしようかしら? アッ、そうだ。

クレヨンの白とピンクを交互に使い分け、こんがらがった糸の溜まりをリンゴの背景に走らせる。筆を洗い、これを浮かび上がらそうと次に捕まえた色虫はエメラルドグリーンだった。

― リンゴもうちょっと描かないとだめかな?

マホは小筆を取った。アウトラインに沿って内と外に色を重ねたり拭き取ったりした。

― こんなもんかな・・

最後に背景に淡い雫を数滴おとして、そのぽたぽた、ぽつぽつという絵の具を弾く音が円く滲んでいくのを見て納得したらしかった。

 

「一時間経ちましたのでそろそろいいでしょうか。ここに並べて観てみましょう」

イーゼルが西側の壁面に沿って並べられた。この奥のもう一つの部屋が閏のアトリエなのだが、そのドアは閉まっていた。

「お嬢ちゃんたち。ちょっと、手伝っていただけますか?」

「何をしたらいいの?」

「こちらに来てください。絵を並べ替えます。そこの絵を一番右に。三番目を一番左に。それを隣の絵と入れ替えます。その絵はもうひとつ右です。そう、そうです。こんな感じかな。ありがとう。席に戻って。さて、岡平さん。この並べ方は何だと思いますか?」

「右から上手い順、だったりして・・えへっへ」

「松井さんはどう思います?」

「右側に置かれた絵の方が正確に描けてるかな。左端なんか、形、変だし」

「提箸さんはどうです?」

「う~ん。先生の意地悪。私の一番左端だから。でも、いいの。可愛いから」

「誰か、もっと意見はありませんか」

「あのう、こちらの双子の可愛こちゃんたちは先生のお嬢さんなんですか?」

「ワッハハハ」

「今はリンゴの絵の話なのですが・・気になります? リナちゃん、吉田さんが自己紹介してほしいそうです」

「娘のリナです。こちらはお友だちのマホちゃん」

「マホです。今日は閏さんのアトリエを見学に来ました」

「よろしくね。吉田さん、皆さんも話しを戻しますけど・・いいですか?」

「あっ、はい」

「ちょうど十人で十色のリンゴの絵ができあがりました。でもリンゴは一つです。どうしてこんなことになるのでしょうか?吉田さん、先輩からお嬢ちゃんたちに教えてあげてください」

「僕ですか? さあ、どうしてなのかな? 個性がそれぞれだから、ですかね」

「いきなり正解です」

「ワッハハハ」

「ではそれぞれの個性は何をしていたのでしょう? 創造力のとても大切な三つの要点が見えてくるのですが・・鈴木さん」

「リンゴをよく見て、感じたことを描きました」

「そう、その三点ですね。初めによく見て捉えます。そこで何かを感じたということは、自身の内なる世界と関係を結んだということになりますね。そしてそれを描き表したわけです。捉えること、結ぶこと、表すことの三点ですね。まず捉えることから話を進めますが、一つのリンゴを十人で描けば、ご覧のように十色のリンゴの絵ができあがりました。一つのリンゴにたいし、十人十色の捉え方があることになりますね。このことは百人でも千人でも同じことが言えます。捉え方は無限にあるのだということに気づきます。私が捉えているリンゴは無限に捉えることができるその一つです。あなたが捉えたリンゴと私が捉えたリンゴは明らかに違いますがどちらが良くてどちらが悪いというようなことはありません。いいですか?左端の提箸さん?」

「えっ、はい」

「捉え方に優劣はないのです。ただ同じリンゴの別の側面を捉えたのです。何かを捉えるときの癖と言ってよいでしょう。第一歩はこの癖と向き合うところから始まります。自身の癖の範囲を見極めるのです。心から納得すればそれは自分が捉えきれる限界を知ることになります。そこでこの捉え方の他に別の捉え方はないものだろうかと思いめぐらすのですが、誰かになったつもりでもう一度リンゴを見てください。さあどうでしょうか?心の中に別のリンゴが浮かびましたか? 立花さん」

「そんなこと急に言われても無理です」

「ですよね。すぐには難しいかと思います。私たちが何かを捉えるときの癖というものはそう簡単に直せるというものではありませんね。でも創造力にとっては、自在に捉えることがとても重要なのです。それが気づく力を養い私たちの内側の生活と深くかかわっているからです。何かに気がついたときの喜びや悲しみを想像してみてください。捉えることは直接心の働きと結びついています。自在に捉えることができれば心の働きを自由にコントロールすることができるようになります。喜びや悲しみを自由に操れるようになるのです。ところで河村さん」

「はい。何でしょう?」

「ちょっとお尋ねしたいのですが、描きながらリンゴとは何の関係もないほかのことを考えていませんでしたか?」

「えっ、何でわかるんです?」

「差し支えなければどんなことを考えていたのか? 話してください」

「先生がリンゴを持ってきた時、ニュートンの万有引力の話でもするのかなって思ったの。それで物理の授業が浮かんできて、何の実験だか忘れてしまったのだけれど、わたし眉毛、燃やしちゃったことがあるの」

「プㇷ、キャハハハハ」

「で、その実験のことが気になって、リンゴを描きながら思い出そうとしてたの」

「眉毛?」

「それからそれがわたしの字名になっちゃったの」

「ワッハハハハ」

「河村さんに眉毛なんて可愛らしい字名があるとは知りませんでした。どうでしょう。河村さんのようにほかのことを考えていた方は?あっ、はい、小山さん」

「去年の夏におばあちゃんを亡くしたのだけれど、リンゴを見た時、よくおふくろが擂って食べさせていたことを思い出しました」

「介護大変だったでしょう。ご冥福を祈ります」

「ありがとうございます」

「描きながらリンゴとは何の関係もないほかのことを考えてしまうのは?私たちは白紙ではないのです。経験した自分だけしか知らない秘密をたくさん胸に秘めているのですね。この皆さんの記憶たちがリンゴとごく自然に結びつくのです。過去と今を結びつけたり、どこか遠いところとここを結びつけたり、一見何の関係のない事や物がきわめて自然に結びついてしまいます。リンゴを捉えようとすると、無意識に記憶の引出をあちこち刺激していることがわかりますね。リンゴは一つ、でもそれを描こうとした皆さんには捉えるための膨大な触手があるのです」

「先生」

「はい何でしょうか?」

「リンゴの色とか形とかに集中して描いたのですけれど」

「一番右端の岡平さんの絵を見てください。今ご本人言った通りの仕上がりですね。写実的によく描けてると思います。実は並べた位置にも関係しています。右に行くほど写実的に描かれています。先ほど絵に優劣はないと言いましたね。提箸さん」

「ええ」

「では、提箸さん。この中で最も抽象的な作品はどれでしょう?」

「私のですか?」

「そう思いませんか? 優劣を決めているのは写実的にとか、抽象的にとか、どんな物差しをあてるかによるのです。物差しによっては誰もが一番になれるということですね。それにはまず自分の物差しを自覚しなければなりませんね。絵はそのことをとても正直に伝えてくれます。自身の絵をもう一度見てください。その絵が一番になる視点がきっとある筈です。マホちゃん、見つかりましたか?」

「エー?・・分かんない」

「無限の中からたった一つの自分に気づくのはそう簡単ではないのかも知れませんね。いっぱい絵を描くことで本当の自分を見つける旅にでることをお勧めします。さまざまな物差しと出会う旅の中で、無限分の一のご自身の物差しがそれだからこそ、何でもはかれるんだってことに気づけたらいいと思いませんか。大切なのは自在な物差しを最初から身に着けていたことに気づけるかどうかなのです。他とは代えることのできない唯一のとても尊いものだからこそそれができるのです」

「リナにもできるかな?」

「はい。リナちゃんにもできますよ。無限分の一ゆえに無限なんだって気づけばね。最初からそうなんですから。ところで岡平さん。何故、リンゴの色と形に拘ったのですか?」

「リンゴそのものに近づけたかったんだと思います」

「岡平さん、見えたとおり描くにはどんなことに注意を払っています?」

「何回も見比べます」

「微妙な違いに気づくにはそうするしかありませんものね。個性も同じですね。紙の上にリンゴを再現するということについて、もう一人に聞いてみようかな。鈴木さんはどんな考えをお持ちですか?」

「本質に迫ろうとしてもそれを正確に表す力がなければできません。技巧を修得する必要があるのではないでしょうか?」

「では写実的に描ける技巧があれば、そう表しましたか? 提箸さん」

「いいえ・・わたし、可愛い感じにしたかったから。妖精さんを描き足したいくらいなの」

「メルヘンを描くにはまた別の技巧が必要のようですね。妖精さん、描けばよかったのに、何でそうしなかったんです?」

「課題、リンゴを描くことじゃなかったの?」

「あれ、学校のお勉強みたいに考えちゃってるのかな? 皆さんも僕の絵画教室なんだから自由でいいんですよ。堅苦しいことなしね」

「じゃあ、何でリンゴを用意したの?」

「リンゴはね。禁断の実。蛇にそそのかされたイブがこれが終わったら食べるんじゃないかと思って」

「季節外れのって、美味しくないんじゃない?」

「ですよね。この話はこのくらいにして。立花さん、リンゴを表そうとした時に何が受けとめてくれたと思います?あなたを」

「何だろう?・・もしかしてスケッチブック? あっ、紙ですか?」

「自分を受けとめて貰った感じはどうです?」

「ごめんなさい。意識していませんでした」

「リンゴにばかり気を取られていましたね。何かを表現しようとする時、自分を受けとめてくれる相手のことを思いやることがとても大事なのは分かるでしょう」

「あっ、はい」

「それがここでは画用紙なんですね。未だ何も描かれていない紙と向き合った時、どんな技巧が役に立つと思います?リンゴはそのきっかけを与えるだけなんですね。もしリンゴがなかったら、岡平さん、白紙自体を写実的に描こうとしましたか?」

「どうなんだろう。考えたこともなかった」

「私たちが視覚表現をしようとするとき、受けとめてくれる存在のことを支持体といいます。ラスコーやアルタミラの洞窟壁画に見られるように、最初に私たちは地球を支持体として描いてきました。やがて、石やパピルスや竹や木片に描くようになり、紙やキャンバスへと変遷しました。マルセル・デュシャンがモナリザに髭を描いたことからも分かるように、支持体は絵画にも、つまり文化にも及んでいます。当初ギャラリーの展示空間を支持体として表現されていたインスタレーションは、日常空間へと展開し、そこで暮らす人たちとどう関わろうかといったことを模索するようになっています。自分を受けとめてくれる存在を考えることは、表現することにとって、とても大事な側面なのです。では立花さん、改めてお伺いします。あなたを受けとめてくれる最高の支持体は何でしょうか?」

「・・何かしら? あっ、先生かな?」

「キャー、ハハハハハ」

「ありがとう。最高の支持体はイブの心ですね。リンゴは君にあげることにします。思いのたけが自分を含めて誰かの心に届けばいいだけのことなんです。そのためにどんなことを心がけたらいいのか?技巧を含め、皆さんと模索する場がここなんですね」

 

 

つづく

 

 

 

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