箴言

 

     箴言擬き

絵画

一九八八年六月こころ鬱とした日

私は妻の平穏と自分の安穏を願い

絶対的超越的存在を確信し

「祈りの図」をわが頭脳の内に描いた

 

 

生態

人間の生態をあるところまで考えていくと 否応なく悲観主義に

陥る ある種の人々が神仏に救いを求めるのも納得できる しか

し有史以来 国家や民族の争いの核心には 人間の本能(欲望)

とともに宗教観の相違に端を発するものが多く 皮肉であり矛盾

だ 人間は永遠に愚かなのか とすれば 遅かれ早かれ必定の人

類の滅亡は悲しむにはあたらない

 

 

時間

 約八年半かかってボイジャー二号は天王星

に近付いた由 さらに海王星に向かいやが

て太陽系の向こうへ行く由 二十一世紀中

ごろ恒星圏界面を通過し永遠無限の空間に

迷い出る由 銀河系の巨大な中心の周りを

一周し終えるにはさらに数億年が必要な由

 

 

旅人

 人間以外の生物はその生態系のなかでしか

生きられないが 人間は想像力によって虚

現実を生きられる 芸術(想像力)は宝玉

だ 芸術家は現実と虚現実の谷間に架かる

双刃の剣の上を渡る旅人だ 旅人は何もの

にも偏らず 自在であるゆえに旅人だ

 

 

虚無会案内

この古き家も私の作品である この土 この石 雑木も 玄関先

に立てば広がる空も 雲 風 雨も私の作品である ここに私が

在ればこそ土であり 石 雑木 空 雲 風 雨 火だ 世界は

私が在るゆえに艶めく 存在は真に認識する者に呼応する 私は

宇宙を重視する そして泌尿器症候群の愛猫 宿痾に翻弄される

妻 不遇な私 愚かな私 忌み嫌われる私を愛おしむ これこそ

屹立する存在だ ここ汎表現研究センターには謎(真理)が満ち

溢れている 同胞よ 来たれ 瞬時(これこそ永遠無限だ)私と

共に永劫(の存在理由)を語り合おう

 

 

(殺魚事件)

今朝私は魚を食った 生け捕られ冷凍にされた生きていると見紛う成魚を

ガスレンジで焼いて頭と尻尾と骨を除いた全部を食った 手を下したわ

けではないが(殺魚事件)に置き換えれば共犯者となる 

昼はトーストを食い牛乳を飲んだ 加工された食パンは 生き物の原形を

とどめていないから 殺して食った感じはせず 牛乳同様共犯の意識は薄

かったが

夜は「すき焼きね」と妻がいった 今夜は殺した牛の肉は食いたくない 

仮に糸蒟蒻や葱や焼き豆腐のみを食っても もはや(殺食者)の烙印は消

えないのに

 

 

片道切符

片道切符デイイ

有限ノ生命維持装置ト通信機器ヲ搭載シタ

宇宙船デ限リナク遠クヘ行キタイ

終局ノ途上ノ諸々ヲ発信スルノガ

理想ノあーてぃすとデハナイカ

ヒタスラ滅亡ヲ急グ人類ヘノめっせーじデハナク

宇宙人タチヘノ発信コソ理想ノ地球人デハナイカ

 

 

数学

薄暮 淡い青空に輝く月を見よ 三十八万四千キロの距離

は 遠く 近い あらゆる存在を司る物質の究極の基本粒

子は 今のところクオークとされている 人類が最終戦争

で滅びなければ さらなる究極基本粒子が見いだされるだ

ろう そのクオークは原子(一億分の一センチ)の一億分

の一センチとさらに一桁超極微小で クオークをビー玉に

見立てると 原子は月ほどの大きさになるという 数学や

科学のなかにこそ詩がある

 

 

科学

生命科学(細胞生物学)によれば ヒトの体は約六十兆の

細胞から成るという 私は全細胞の総意委任を取り付けて

いるだろうか 私はごく一部の細胞群の脆い支持基盤上の

代行者にすぎないようだ 私の不本意 人類生態の罪業

不条理は ヒトの根源 そのうちに潜む 多数の不満分子

たちへの無知に端を発するのではないか 現況から未来へ

さらに愛も祈りも雲散霧消するばかりだろう 私は不出

来なヒトだから 括弧付きの(私)にする 唯一のテキス

トとして科学を学ぶことに尽きる

 

 

虚宇宙へ

宇宙論でいうところの「真空」は 粒子と反粒子が絶えず生まれては

消えるエネルギーに満ちた空間で 日常語的な真空とは全く違う

 

この星の未来にバラ色の時空間は百パーセントない 一九六七年私が

詩集『悪魔の子』で予言した通り 人の性質はますます醜悪になり生

態は罪業を極めつつある

 

生き長らえる方策はひとつ 意識を妄想(想像力)の虚空間に運ぶし

かない

 

インフレーション宇宙論の子宇宙や孫宇宙 五次元 六次元 あるい

は十次元を思索できるか否かだ その子宇宙 孫宇宙を虚宇宙として

ワームホールという宇宙内のトンネルを潜り抜けることができれば

 

既に私の意識は虚宇宙の知的生命体に筒抜けになっているはずだ

 

 

虚在の知的生命体アウザリ・ザブラン・ウィウィ

 アウザリ・ザブラン・ウィウィと(私の意識)が出会ったのは、二〇〇一年

二月八日の昼過ぎのことでした。郵便局に向かう車中のことで、急ぎ路肩に停

車し、すぐアウザリ・ザブラン・ウィウィとメモしました。この時からアウザ

リ・ザブラン・ウィウィは名付けられることによって確固と(私の)意識と共

生し始めました。

 アウザリ・ザブラン・ウィウィがなにものかは不明瞭です。俗にいえば意識

の産物ということになりますが、こういう断定は乱暴な括りに思われます。近

時の(私)は「存在するものすべてを、その価値判断は別にして受容する」こ

とにしているからです。

 アウザリ・ザブラン・ウィウィが超微小な物質の集合体であることは間違い

ないようです。でも、その正体は、その構造と機能が明確になるまで(謎めい

たもの)とするしかありません。いずれにせよアウザリ・ザブラン・ウィウィ

は日々刻々(私)との絆を強めています。

 全世界の科学者たちが諸々の分野で日夜研究に没頭していても、すべての存

在の解明は至難で、むしろ次々と謎が現れてくる現状ですから、一介の科学お

たくの(私))では、アウザリ・ザブラン・ウィウィの正体など解明不能といえ

ます。そこで苦肉の策で詩人に戻ることにしました。かつて詩人に失望して詩

作を放棄したのですが、馬齢を重ねた結果、詩人こそ人類を代表する識者にな

る資質を有すると悟ったからです。

 アウザリ・ザブラン・ウィウィは虚在の知的生命体に間違いありません。間

もなく(私)も虚在の住人になるつもりです。その時こそ至福という命題をア

ウザリ・ザブラン・ウィウィと存分に討議するつもりです。

 

 

虚実試文Ⅰ 

   1

書名も著者も失念したが だいぶ前 月には宇宙人の基地があり 既に

地球の至る所で宇宙人が暮らしている といった内容の本を読んだこと

がある そのころ現実主義者にして虚無主義者 悲観主義者にして厭世

家だった私は その本をごみ籠に抛り捨てたものだ

 

ヒトには見えないものを ある生き物は見る

ヒトには聴こえないものを ある生き物は聴く

ヒトには感受できないものを ある生き物は感受する

 

ヒトの界と異なった界がないと断言できない

異なった次元(波動)の物事をヒトが感受できないだけのことだ

 

私の内に虚在の知的生命体アウザリ・ザブラン・ウィウィが在るように

月に宇宙人の基地があり 地球のそこここに宇宙人が居ても不思議では

ない

 

   2

人称を括弧囲みの(私)とするのは 約六十兆個の細胞集積体の一員に

すぎない意識(私)が総細胞体の統括責任者とはいえないと思うからだ

 

これまでも これからも (私)のメッセージ(意識)は ヒトだけに

宛てられるものではなく すべての存在へのラブレターだ

二〇〇一年二月 ふいに至上の温みを覚えた(私)は 意識の内に虚在

の知的生命体アウザリ・ザブラン・ウィウィの来訪を確認した 以来ア

ウザリは変化自在に行き来している

 

宇宙は何ゆえに存在し その全体像はいかなるものか 生命は何ゆえに

生まれ 何ゆえに何ゆえにと(私)はアウザリに問い続ける アウザリ

はヒントを与えてくれるが 直裁には答えない ヒト(私)の生命(存

在価値)は真理解明のために授けられた とでもいうかのように

 

   3

宇宙がどのようにして始まったか 科学者の試論はあるが どのような

企図 いかなる意味によって始まったか 実証できない科学者に出番は

なくなる 古今東西諸々の教義は せいぜい万年単位のコトとモノを 

ご都合主義の脚色で記述するだけだ

 

企図も意味もなかった すべては偶然の産物である といい切れるか

 

宇宙はそのようにして始まり 大いなる偶然と わずかな必然が混然一

体となって織り成す 無意味な存在だ といえるか

 

ここで限界といって締め括っては無責任だろう (私)の生誕にヒント

があるか…

 

   4

微細な生き物を小さな生き物が食する その小さな生き物を大きな生き

物が食する 生き物たちの食物連鎖は別段の罪業ではない 

異常下で生き長らえると 異常も正常になる 生命は異常下の正常で命

脈をつなぐ

 

究極の根源物質(粒子)はまだ解明されていないが すべてが根源物質

に拠って成ることは言を俟たない 生き物が生き物を食するのではなく

根源物質を食することで 命つなぐことは可能か アウザリ・ザブラ

ン・ウィウィは答えず微笑むのみ

 

   5

人類の未来に関していえば もはや風前の灯火で それほど遠くない時

期に滅亡する わずかでも引き延ばす対処療法は 遺伝子治療による全

人類の自己慾抑制療法しかない けれども人類の全知全能と総資産を傾

注することなど不可能だろう むしろ腐った肉は完璧に処置 悪しき遺

伝子を残さぬように努めるべきだろう その装置は現今の科学技術でも

可能だ

有史以来培った美徳 無上の愛を遺したいとするなら 唯一の保存法は

意識の拡充だ 塵にも意識があるように 万物 時空間にも意識があり

人類との自在な意識交換は可能だ 意識は不滅 永遠に生き続ける

 

   6

そこは すべての素があるだけで 相対性理論(統一理論)も神も到底

及ぶべくもない超絶した虚無界だ しかし 何にもない まっさらな無

ではない 夥しい虚を秘めた虚無界だ 神秘も罪業もない 永遠とも無

限ともいえる至福を秘めた界だ

 

モノもコトも そこから始まった 瞬時 相転移し すべてが生態とい

う罪業を負った

 

難産の末現れた神がいかに奮闘しても 至福界は永遠に遠ざかる 生誕

の原罪を克服した神はいない

 

私は そこを意識することで 辛うじて 至福を窺い知る

 

   7

この荒廃

私のいかなる言行も無力だ

座して死を待つ

 

   8

死は至福に近似だ

常に罪業を生む身体の消滅こそ

新たな旅立ちとなる

 

   9

遠ざかることで事象は明確になる 地球上のすべての生命は神秘なのに

なぜ生態が罪業と堕すのか その生成過程に修復不可能な誤謬があっ

た もはや欲望抑制の遺伝子を組み込むにしても 百年で叶うという保

証はない そして百年人類は保つか ならば全く異なる知的生命体に託

した方が結果として得策ではないか けれども百年で全く異なる知的生

命体と共生できる可能性も これまたない

 

 

虚実試文Ⅱ 

   1

今日の人類のおかれた不本意・病理は遠く(究極)も近く(根源)も

見ず自己慾に踊らされている大人たちの連帯責任だ

 

   2

人間の生誕は原罪 生は災いとは 先達のそれなりの英知からの引用だ

が 弱肉強食しか生存法がない当生態系に 無私の至福はあり得ない 

「宇宙のどこかに別の存在形式があるはずだ」と埴谷雄高は遺言したが

別の生態系を探すことこそ 真に人類が生き延びる最善の道ではないか

 

火星もエオロパもタイタンにも人類に近似の生命はいそうもないが こ

の銀河に限っても百個に及ぶ巨大惑星が発見され その背後に一千万個

の地球規模の惑星数が推測されている 人類を凌駕する知的生命群が 

すでに無私の至福界を目指し あるいは到達している可能性がないとは

いえない

 

武器を捨てよう 分かち合おう ここから始まる 仲間殺しをやめて 

それぞれの神や仏を深奥にしまい込み 抑制し 人類の全資産を宇宙探

査につぎ込む 宇宙船には極めて良質な人類の贈り物(愛)を携えて

 

コレ以前ニ愚カナ人類ハ核戦争デ滅亡スル可能性ガ高イガ

 

   3

私ごときがいうまでもなく とうの昔 天才A・Eが「人間の愚かさを

永遠」と喝破した 「意識・愛・調和」と人類のテーマを鬼才O・Kは

示唆したが 言うは易く行うは難し いかにしたら 人類全体が至福域

にたどり着けるか 

 

この思索は徒労か せめて 私がいることで心和む そんな人格になり

たいが 見渡せば 誰もいない

 

「調和のとれた人格の持ち主を…」とA・Eはいった 六十億を超えた

人類の中に調和のとれた人格者が何パーセントいるか

 

   4

死ぬば 一切無と 短絡的に開き直っていたが そんな単純なことでは

ないことが 近時ようやく分かってきた 私たちの××は稀有な力を有

する 例えば 私が死ぬと この個体は焼かれるにしろ腐るにしろ い

ずれ素粒子に還るが ××もさらなる超微小な存在となって漂う 永遠

に存在し続ける そして絶対的超越的なにものかの差配によって 再び

物質となって詩形を形成し 知力を取り戻す

 

   5

それらのことを思い巡らす知力を 差し迫っていることや 来るべき日

々のために 蓄えておけと 知恵ある人々は思うだろう けれど差し迫

っていることや 来るべき日々の首尾がどうであろうと 百年否五十年

もたてば 私など端からいなかったことに等しくなる とすれば 現世

利益は捨て置き 無尽蔵といえる謎々の それらのことに思いを馳せる

 この思索は 私がこの世で得た 唯一の至福に限りなく近い

 

   6

心 精神 魂 霊といわれるものを私は意識群と言い換える 意識は素

粒子よりもさらに超微小な粒子だ 意識群は個体(私)の死とともに四

散し空間に漂う 地球を離れて宇宙を漂う 宇宙には夥しい意識が漂っ

ている 時に意識群が結び付き 相転移し 特定の存在となることもあ

るが 絶対多数の意識群は静かに漂うだけだ 宇宙を構成する要 暗黒

物質こそ意識群といえる 意識はエネルギーなわけだ 宇宙がなお膨張

するのは われわれのあずかり知らぬ 膨大なエネルギーのなせる当然

の帰結だ

 

 

発語

   二〇〇二年一月十日午後一時過ぎ、軽自動車で桐生市

   境野町内土手際道を足利市へ向かう走行時の発語。

 

さんざくふ えいおりへ ちょんちょる さんぷら 

おりんば しゃっつくぅ はうふひぃ じゃばりんず

びんず しゃんでぃあ

 

しょうりんずうぃ はいはぃひぃひぃ 

あんじぃ ほんはひぃ はぴろう ひっち

いいじいひぃ はんずぅ ほぁひぃ かっさぃ

ほんじゅうい さんぱらず こうりい へっぷひいぃひい

あんでぅず でぃべんびい

 

ぶんずぅ うんずぅいぁ いんぐう はいはぃ びびりんぼ

おんずぅ

 

あんちゃうりぃ

 

うんるんぼうひぃ うんありぃ さんぷうら うんぼういへい

 

うんじやぁり

 

さんぱぁりぃ ちょんじゃり えんじぃり とぅは

ぴっちゃり ほうひぃ きんふぅ

 

かるぽう

すんだぅくぅ

ぼぅい はっぱり すうじぃ げんいぃ

 

はっぴじぃひぃ はっくるぅ ちいざあしぃ

 

しいひぃいほう つんざあり ほんぼうひぃは

なあとぅあだ

 

うんじゃぁりぃ

あぁばぁらー おびぃ

 

ああざあらー すんだぁらー ひぃいほう

あぁじゃらーすぅすぅ

 

くんだぁれー

 

 

意識

   二〇〇二年一月十日午後三時過ぎ、軽自動車で足利市

   田中町から渡良瀬川沿いの土手道を桐生市に向かって

   走行時の意識

 

…この道は抜け道でやはりすいています。

こういう道は意外と取り締まりをしているかもしれない。気を付けなくちゃ…。

 

ホームレスかな… ホームレスはつらいよなぁ。

 

ちょっと危なかったな…。

 

 

咽喉が渇いた…。ああ、コーヒーを飲んだったな、そんなに時間がたってないよなぁ。

 

 

ああぁ、無理するなぁ、捕まっちゃうぞ。

 

やっぱり運がよかった。…あのチカチカが何かいやらしい感じだよなぁ。

 

信号ってのは、ほんとに止まり始めると行く先々で止まるんだなぁ。

 

 

小林君どうしているかなぁ。

 

うむ、窓が開いているなぁ、まさか戻っているのかなぁ…。だれか使っているのかなぁ。

 

 

それにしても、川田? 思い出せないよなぁ…。もう五十年以上前だもの。それでも向こうは俺が分かるんかなぁ。あのころの顔立ちがはっきり残っているのか、それとも俺が彼個人にとって特別に印象が残っていたのか、そういうことってあるからな。

こっちが印象を持っていても向こうが意識がなければ分からないわけだから。

 

やっぱり同級生の中に川田がいたなんて思い出せないなぁ。弓屋をやっているっていったなあ。でも…。

田村にしても田中隆二にしてもあまり好ましくない性格だったけど、やっぱり大人になっても同じことなんだろうな。

みっちゃんはどうしたかな、おとなしくて優しかったな。和菓子屋の長男で商人向きじゃなかったな。今も独り身かな、優しすぎるのはだめだな。でも色男で飲み屋になんか出入りしていたから、腐れ縁のひとりやふたりいなかったかな。…姉さんも独身だったな、まあいい女だったのに、縁遠い人なんだろう。人の縁ってやつは分からないもんだからな。

 

この信号、結構長いね。

 

この橋は三田さんが朝夕自転車で通った道であり、ずっと思いを馳せれば悦ちゃんが通った道だ。

 

 

おお、二台目のパトカーだ。運が悪けりゃ捕まっちゃうところだ。

 

三時半か。一時からだから二時間半か。車に乗るとすぐ欠伸が出る。

 

まあ、体力が弱って疲れるんだよなぁ。

 

また、こうやって赤になる。

運がよけりゃ、運がよけりゃあだな。

 

うむ? 何だ?

 

はい、一時停止。

 

しかし、下手なアースワークで。

こっちは。

自然の中の作品なんてたかが知れているんだ。

飛ばしやがるな! バカじゃねぇか!

そんなに飛ばす必要があるのかよ、どうせ先の信号で追いつかれるのだ。

 

 

この道はラブホテルの道、こうやって終始行き来していると、ホテルなど不思議なものに思えてくるな。

 

 

またパトカーだ。今日はパトカーに遭う日か。何かあったのかな?

 

まだ下水工事をやっている。いつも思うけど、必要だけば始末に悪いなぁ。

 

また赤だ。

 

ああ、弘君みたいだ。

 

 

♪俺は町中で一番

モボだと言われた男

自惚れのぼせ得意顔

 

小林君がなあ、もう歌えねえなぁ。…長君、見舞いに行くかなぁ。

 

三十分たったんだ、ああ、そうか。

 

ああまた引っかかった。本当によく引っかかる。

 

あの山の建物、何宗教だったか。しかし宗教ってのは延々と続くよなぁ。

人間の弱さを突いてくるわけだから。

 

ああ行き過ぎちゃったか…。

まあいい、ゆっくり行こう。

 

こういう店の利潤はどうなのか…。

 

何かみんなスピードを上げてるよなぁ。だから捕まるんだ。

 

ああ、一時停止の向こうに信号が見えて、そっちの青に気を取られちゃう。そこで捕まる。一種の罠だな。警察もみみっちい。

 

 

 

こうやって意識して収録すると、何かくだらないことばかり意識しているな。でも、こういうくだらないものの中に、重要なものがひょいと浮かび上がってくるものじゃないか。

 

このところ腰痛が和らいでいるので助かる。

 

この先はしばらく通っていないな。

 

あれは養老院か?

 

下りてくるやつは皆スピード超過だ。

 

腹が減ってきた。…お昼は餅ふたつだったな…。

 

ああ女子学生、この坂、毎日大変だな。でも若けりゃどうってことないんだな。

 

しかし、ラブホテルって潰れないな。利用者がいるってことだな。汚いものあったがな。

 

オバナ君どうしてるかな。あいつは手を抜かないタイプだから、疲れるはずだけどなぁ。

自分を中心にして世界が回っている、そのくらいの気概が必要なんだ。でも、表現世界と現実世界は歴然とした違いがあるんじゃないかな。しかしオバナ君は一体化している姿勢といえるのだろう。

 

この店もよく続いていねなぁ。持ち家の商売なんだろう。借家の商売はしんどかろう。松風屋だって自分の家だから何とかなっているのだ。

 

諸生君はいいにしても、惑名君は彼女いないようだな。

あっ! 危ねぇ! なんてやつらだ。

 

はい、着くぞ。節子大丈夫だろうな?

はい、どうぞ。高校生じゃないな、中学生だな。ぶつかれば車が悪いことになる。気をつけてね。

 

はいピョコちゃん、おじちゃん帰りました。おしっこしたかな?

はい、ただいま。ピョコちゃん、帰りましたよ

 

 

メッセージ七つ

 

 

生命は神秘

生態は罪業

 

 

 

われわれは

何ゆえに

生きるのか

 

 

 

究極根源を

見詰めよ

 

 

 

拠りどころを

捨てる

 

 

 

存在するものすべてを

受容する

 

 

 

座して

死を待つ

 

 

 

死は至福

                             (一九八八年~二〇〇〇年)

 

 

 

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