詩篇

 

 

きんぴかな鎧をつけて俺は悲しがっていた。ひ弱な魂を押し潰す重

量、視界の利かぬ眼に鋭い閃光、歩こうとしてしりもち、もがき喚

きおうおうと泣いた。非力な家族どもが支え歩かせやがった。俺の

体力では鎧は重すぎる。立っているだけだった。崩れては家族ども

をなじり悲しみは彼らのせいと罵った。二十四年茶番が続いた。あ

る朝俺は失神した。身体を被う鎧はじめじめと悪臭が立ち込めてい

た。敗残兵、夜盗ら小悪党のひからびた涙と汗でてかてかと光沢を

帯びている。夜陰に紛れついに俺は素っ裸で脱走した。敗者の歴史

から逃れ俺の歴史をつくるために。俺は初めてひとりでおうおうと

泣いた。冬の寒気の中で涙は凍り見る見るうちに透明の鎧となって、

俺をすっぽりと被った。

 

見晴らしのよいバルコニーにも忍び合う四畳半にも素っ裸な人はい

なかろう。それぞれの負っている傷を透明な鎧に隠し、他人はその

上をかかわるにすぎない。それなのに偽善者たちは素早く感動して

見せる。己の傷を悲しむ俺は演技どころではなかった。飢える演技

さえ下手くそだった。寒かった。暖房のある場所へ行きたいが「大

根役者」を恥じていた。俺は満足な観客にもなれなかった。俺は凍

えながら鎧を脱ぎ捨てて歩く。脱ぎ捨てる間もなく被ってくる涙の

鎧、この透明な…。

(一九六一年)

 

 

 

 

洞窟

 

そのころ俺は祈りを込め波立ち寄せ砕けながら、星のレリーフを刻

んでいた。岩肌はしっとりと、もどかしげに崩れ、不意に凍てつき、

歪み、膨れ上がり、拒み、気まぐれな媚に終始していた。俺は手持

ち無沙汰になり緩慢になり、進展のない恋や情事にまぎれ、それで

も星の輝きに祈っていた。イメージはすり減り、耐性となり、俺は

焦りカンフルを時化を待ちわびた。そのチャンスに岩肌にくい込む

しかなかった。しかし波は騒々しく怠惰な疲労しか運んでこない。

俺の待つ時化とは歳月を吹き飛ばす暴力だった。けれども時化はこ

なかった。あるいは俺が選り好みしすぎたのか。待ちくたびれて俺

はぶよぶよになり、さざ波に押し流されていた。ああその刹那不意

に大津波が襲ったのだ。俺は惰性で岩肌にへばり付く力しか残って

いなかった。

 

祈りのない疲労は快楽に似ていた。確かに岩肌はなめらかで弾力に

満ちていたが、オルガスムスは安易に消えていく。見る間に時が流

れ、またしてもイメージを探しはじめ、しかし帰らず、やむなくそ

の作業に没頭するしかなかった。海を遮断して洞窟を押し広げよう

とするだけの。だが、この時、俺はもはや少年ではなくなっていた。

そのあまりにも不確かな岩肌に気付くと、力はさらに退化し、虚ろ

な重量を背負っていただけだ。ゆらゆらと浮遊し、歳月を浪費した

だけで、俺は振り出しに戻っていた。

                                  (一九六五年)

 

 

 

 

あの夏

 

仰ぐと、太陽が二つあり、三つになり、さらに無数に増え、それを

だれも気にしていなかった。メーンストリートを歩いていた。何を

セールスしていたのか。蒸れた都会の下水がひたひたと俺の中に流

れ込んでいた。また一つ汗が落ち、アスファルトがよじれ四散した

液が舞い上がり、俺を包み、ああ虹が映える。汗は別離の臭いをよ

みがえらせ、美しい蝶のまき散らす毒粉を、それを知り触れたあの

夏の事件を、その時、冷房の効いたデパートで休息しようとする俺

を捉えた。そうだ、この地上に一人俺は知ることをセールスし続け

てきた。あの夏、少年は酷暑に敗れることなく、プールで、松林の

ある海で泳いでいた。あの夏、平らな胸をビキニの水着で飾った少

女が、俺を辱めた。あの夏、つましげに声を交わす闇の中の二人が、

俺を罵った。あの夏、予告もなく夜がきて俺をしっかりと抱きしめ、

あの夏、野外ステージでメロドラマが上映され、あの夏、平穏な日

常が俺を苛立たせ、ああ、あの夏、平和すぎるゆるやかな暦がやせ

衰え、俺はサロメのようにみじめに一枚一枚、脱ぎ捨てていったの

だ。路地裏を歩いていた。抱えた女はいつもセクスを広げて眠って

いた。それもあの夏、ふと思い立ち、横浜で降りた。外人墓地のめ

ぐらした柵の合間の、見知らぬ白い花が俺を平静にし思念を取り戻

させ、汚れたワイシャツの襟が俺を追いやったといおうか。いや、

それは不義の子の成長のように、端的なエネルギーの発育にすぎな

かった。「むだだ」。そこに薬局があったので薬を買った。あの夏、

俺は親しい友に何も告げず、理由が分からないという理由で、命を

絶った。

                                             (一九六五年)

 

 

 

 

愛について

 

眉間に縦皺が寄り、深く深く刻まれ、真っ二つに割れ、

金太郎に似た顔が現れる、鬼を相手に相撲をとって、

汚いと死んでしまった少年。

 

糸がもつれる、あわくって、ほどきかかる、ぷつんと、

感情が切れた、ぼくとマリをむすびつけていた糸の、

その一本がたれさがり、ぼく自身に踏みつぶされた、

ぷつぷつと糸が切れた、ふわふわと感情が浮き上がった。

 

愛しい人に会えず、憎らしい人に会う、いつも不意、

神の呪術というか、めくりめく天地の風雪か、

なぜ今まで気づかなかったのか、小憎らしいマリよ、

好きなんだ。

 

あんまり愛しんでくれるので、疑いたくもなります、

ぼくの余分なものを、あなたにあげる、あなたもまた、

それだけで十分だ。

 

だまされたのはぼく、あなたはぶくぶくと太り、

停年がないとだらけている、献身と怠惰は紙一重、

使い古された武器で、いつまでぼくをおびやかす気。

                                (一九六五年)

 

 

 

 

戯歌

 

   1

ねえベティ 詩なんて書くのはおよしよ あれはカリエスの少女が

自慰するようなもの ベティはヘビイペッテングがたくみだ だが

おれはだめなのさ なぜって お願いだから聞かないでくれよ 夢

ならさめろ 人の悲しみなんかたかがしれている 性交するときの

ように ちょっと相手を感じるように それでいい それが愛 い

ろやかたちは最初からなかった 諧謔などもはや通用しない黄昏 

さよなら 救いがたき無力なベティ

 

   2

膝こぞうの擦り傷 乳房を縮ませた寂しさ 五臓六腑をわしづかみ

された悲しみ 消える消える 腐れ縁に慣れ 子の親となり 老い

ぼれてみれば 古傷はまぼろし 清流の行く果てをおもうよう と

らえどころなく 迫りくる淋しさ 永遠の薄明 なぞなぞの世界 

だけどおれはこだわるのが好き うすれゆく憎しみに憎しみをかり

たて 子をいじめる 娘をからかう 老いぼれをけっとばす 天下

御免の向う傷 退屈の虫が騒ぎやがる

 

   3

あなたはまちがっている 戦っているのは女ではない 長髪にも飽

き ノーパンティの女の子と踊るには 年をとりすぎた 怨恨こそ

汚れなきうた 知ることが空腹をうめようか 好き嫌いが 煮えた

ぎる欲情を静めようか かろうじて発狂を耐える 宿命も無神論者

の神話の遺物 女神よ あなたの淫蕩がうんだ おびただしい男た

ちは あなたを憎んでも愛さない 愛って 性器を摩擦するだけじ

ゃないか 氾濫する個人的体験 うたうことによって あなたは救

われたか 陰鬱な詩人 かまいたちのような町 林立する巨大な陰

茎のような偉大な国の黄昏も ずっと上 ずっと上からは点でしか

ない だからさ 俺は町の底で にやりにやり まきぞえになるの

を待っている 檻のなかに入ったけものは けものではない ライ

フルは武器ではなく 兵士が武器だ 指揮官はいずこ 指揮官はい

ずこ 戦っているのは断じて男である 脳天に刃をあてる 狂うこ

とをのぞむ 狂わぬ男の血は渇いている

 

   4

身を立てようとするなら 銀行員のような礼儀作法 白痴ように

従順に もっともっと平身低頭せよ いつの世も王さまは助平 

大臣は狡賢い このうそざむき風に ぬくぬくと笑う 功成り名

遂げた 赤ら顔の男の 軋む 肋骨の音を聞け

 

   5

何のために縄をほどくのだ 昼も夜も 食卓も便所も ひそやか

な吐息も 噛み殺す嗚咽も 見えない 聞こえない がんじがら

めに縛られた男よ 羽ばたく鳥にも戒律がある 蛇には長い冬が

 恋には終わりがくる せせこましく わめき散らす豚どもに背

を向けて 見たものは 聞いたものは 打つ手立てのない看病に

疲れた 老妻の入れ歯をけっとばす 神(男は信じていた)の眼

をかすめて たくみに吸殻を食う げろを吐く そんなにも自由

なのに がんじがらめに縛られた男よ 何のために縄をほどくか

                      (一九六八年)

 

 

 

 

わが白書

 

移り気である 朝 何気ない微笑に含む狂気に慄き すれ違う娘た

ちを避け 黒衣のように生きたい 中風の老人に出会うと自殺した

くなる かくして禁断症状 ひらめくまま突っ走るしかない 情け

をかけてくださるな 満腹時には山海の珍味も路傍の石 飢餓にカ

ロリーを見いだす 射精の後には冷酒をあおり 絡みつく手足を振

りほどき 手紙なぞみんな燃やしてしまうのだ 風景は白くなる

 

愛さないゆえに愛が溢れる やむなく電信柱に放尿する ほとばし

る愛が干からびる それは本当に愛だったのか

 

ああ朝日が美しい 雲一つない空に感情が行き場を失っている な

のになぜ こうも淋しいのか

 

昼だというのに 家々の戸口は閉ざされ 人の気配はない 物語に

は飽きた 虫一匹いない見事な終焉を夢見る

                            (一九七〇年)

 

 

 

 

知らないうちが花なのよ

 

産婦人科医の微笑を浮かべ

シューマンの「こどもの情景」を流し

カラスの行水だが洗髪しドライヤーをかけて

ビールを飲む

感情たちは綱渡りを始め

壁について考察する

あ 見覚えのある光景だ

(愛の詩社だってさ)

路地を疾走する中古車

睦言を垂れ流してゆくアベック

 

常に酔いはさめる

二月五日(ぼくの誕生日です)は過ぎ

わが書物は佳境に入った

急くな急くな

こういう時は愛の物語を読むことだ

たとえばR・ダレルの「アレキサンドリア・クワルテット」

そして愛について考察する

 

ぼくの恋は終わった

ありふれたエピソード

父も灰になった

忌まわしいイリュージョンは不要だ

ぼくは知りすぎてしまった

 

かくて一日の終わり

野良猫の嗚咽を遠くに聞きながら

シーツの皺を伸ばし

寝ることにする

(疲れると痔が出るようになった)

                  (一九七〇年)

 

 

 

 

この平和な光景のなかで

 

ちいちゃなパンティがパタパタ揺れているよ

暑い日差しのなかで俺は本当のことを考えている

透明人間になりそこなったうえは

真っ黒になるより仕方ないんだ

クロについてその一切を認識できるまで

 

ちいちゃなパンティがパタパタ揺れているよ

汗にまみれた優しい友

ジャン・ジュネ全集をあげよう

神を信じている君に

聖ジュネは縁があるかな

俺にはパッカスさえ無用だ

 

ちいちゃなパンティがパタパタ揺れているよ

本当のことをいおう

おやじは狂おうとして狂ったのではないが

狂った以上狂人である

夜がんじがらめに縛るのが長男の役目だ

 

ちいちゃなパンティがパタパタ揺れているよ

女は羞恥の裏側に残忍にして多淫なけだものを飼っている

「花のいのちはみじかくて…」などと物乞いはやめろ

母性本能とは利己主義である

 

ちいちゃなパンティがパタパタ揺れているよ

別れた女を思い出す

「あなたでもあなたでなくともよかった…」

ああ暑い日差しのなかで

ちいちゃなパンティがパタパタ揺れているよ

目に染みる白だ

それにしても何て美しい青空

ずっと前に書いた遺書の「さよなら」しか書けなかった

有り余った空間に似ている

 

遺書は燃やした

何もかも灰にするのは気分のいいものだ

燃やすことは人生を愛すること

 

ちいちゃなパンティがパタパタ揺れているよ

ああ真っ白な真っ白な

ちいちゃなパンティがパタパタ揺れているよ

            (一九七〇年)

 

 

 

 

うたの終わり

 

カレンダーを外すと空間が広がる 遅れる腕時計を捨てて勢い

よく出発だ 永遠の扉を開け トランポリンをスタート台にし

て 開演のベルが鳴る 宇宙を装置としたドラマが進行中だ 

始まりも終わりもない 舞台も客席も区分けなく 太陽は炎々

とカンツォーネを熱唱する

 

ぼくは騙されていた 近松門左衛門の人形たちに 怨念は腰巻

の下ではない そこここにある 廃墟の美学は涅槃思想研究者

に任せ 某の割腹自殺は無視し 出掛けよう そよ風に乗って

 H・G・ウェルズ秘伝の透明人間用水薬を服用し ハレンチ

学園の校庭を突っ切って真っ直ぐに 風俗店の扉を破って個室

の壁を突き破り真っ直ぐに そこで何が行われているか あら

ゆる暗部は黙殺して 美しい魂を捨てて ここからが真の出発

だ 去る者は追わず 来る者は拒まず 孤立無援の者よ 進め

                     (一九七二年)

 

 

 

 

無題

 

   1

本報告書に対する原因改良点およびその時期 規格全般を連絡せよ

第一回会議だ 実施せよ 使用頻度 常温 手配である 至急だ

従来通り抜き取り検査要項 接着剤組み合わせ 引っ張り 段差 

寸法 周長 切断測定 クレーム発生報告書だ 業務 技術 生産

部長殿 発生先 扱い店 品種 被研磨物 材料はどうか 作業方

法はどうか 状況は具体的に 剥離だ 改良品提出希望時期を明記

せよ 処理せよ 回覧 ますます競争は熾烈だ 厳粛なる管理 協

力せよ 納期厳守だ 標準納期の検討だ 日本工業規格 カッター

台ヘッド付き 鉄骨 原反 鉄板 フレキシングマシン 曲がり修

正機 スカイビングマシン 集塵機 カッター 攪拌機 温風機 

旧型 丸型 角型 鉄パイプ 日立モーター 製造所 金額 受け

渡し日時を明記せよ 売り渡し最低価格決定 非価格的競争への移

行 傾向はどうか 消費者 本質 要求 把握せよ 供給せよ 使

命だ 代理店在庫 姿勢 出荷せよ 集中管理だ 短縮だ 適用範

囲 種類 材料 基材 関連規格 許容量 差異 備考 接合せよ

 

 

 

   2

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歳 妻以外の女性にも惹かれる 性波なし 性交苦痛性 不感症 

スバズモディックオーガスム 多回絶頂感 一山型 二山型 三山

型 山脈型 高波型 高台型 消失型 開発せよ 前技だ 後技だ

 あっあっあっ 楽しく豊かな生活設計だ

 

 

 

   3

営利の伐採やめて ハンドバックひったくられる 園児はねられ重

体 世間から隠れるように暮らしていた 首相が裁断 六年ぶりに

復活 党内批判に高姿勢 加盟 普遍性 重視 世論逆行 暴力で

ある 爆発 過激派 テロ 国益合致 情勢の流れに逆行 締め出

し 明白 反発 教祖だ 立ち見席 制服のイメージを破った 県

警方針だ 書類送検せよ 撤去だ 空からゼリーが降ってきた 夜

の出勤 侵入 課長補佐だ 台風一号だ 殺す 遭難だ 行方不明

 今日の天気 生き埋め 売春で客だます 開発反対 老人問題 

また地震 背景と波紋 裁判 距離 認知せよ 圧力だ 概要 協

調せよ 執着 配慮 反主流 手掛かり 無条件全面撤退 共闘方

針 要求する 開放だ 展開だ 支持する 押しに徹する 警告す

る 不正使用だ 参加せず 振るわず 根絶せよ 怒りの声 軽症

除外 信教の自由 心を結ぶ 食える職業 閉村に追い込む 首都

圏 高級分譲地 絶賛発売中 市況 ハネムーンは海外 新メカニ

ズム 若者の孤独 老人の孤独 当局は否定 調停だ 焦点は非公

開だ 爆発相次ぐ 誘拐 異常男 八方破れ 都政の現場 都市問

題 使命 直視 流動的だ 減配を考慮 人員整理 集約する 再

編へ 救済策 公式要望 当事者で解決せよ 壊滅的打撃必至 絶

対拒否 擦り切れる個性 冬に向かって準備は万全か

                       (一九七二年)

 

 

 

 

 

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

                                (一九七二年)

 

 

 

 

無題1

 

サクラが舞ったいわれを

妻と娘をひきつれて

濃い緑の貌をした男が立ったまま

これから何度めぐる秋だろう

聞きたくても

ブラウスがひらけない

唯一の療法と信じて

世界の庭によごれた素足の

ちりぢりに舞いおちるひとふし

華麗なる音韻をふんで

戦死した日本兵のドクロを

かつての深渕の思い出のさわやかな息吹きに酔って

積乱雲のように大きくもりあがる怒りを

たった今

汚水の海からあがったばかりの

ガタンと汽車はとまる

きみちゃんの充血した目から

胡麻が三粒でてくる

はて聞いたことねぇな

空壕を渡って聞こえてくる

しゃべりまくる彼女の二十五年の性の膣まで飲みこまねばならない

鳥の泪

ロカルノで投函された

近所の人は誰も見えず

くくくと泣く声

彼もまた語る

血の音をききながら息をつめ

頭を包んだまま転がった

チーク材の把手にすがり

私は無我夢中で逃げだしたが

結局は書いている現在に近づく

星明りではない!

闇のなかにむかいあう二人

若さはたとえようもなくやさしい

目に見えぬヒマワリ一本

にわかにたおれ

闘士の姿もどこにいるのかわからなかった

閉じられた肛門を通過し

もう一度ゆっくりと手を打ち拍らし

喪に服した際の

たまゆらの太鼓の遠い高鳴り

天父母

波がうちよせ

海にはどす黒い藍がただよい

檪の木をおおうすりきれた葉は

相似形の骨体を求めて歩く

       (一九七二年)

 

 

 

 

無題2

 

ぼくは書くおまえの名を

ただ光の核心を見つめ

寂静

もののあわれを知るゆえに

高らかなながい音楽につれて

その頬はバラの棘をやわらげ

嬰児にうたいかける

男の胸によりかかった娘の胸に何がある

このゆたかさのなかに憎むものが

かぎりなくおごそかに

ゆたかな水量に変わっていくので安堵する

愚かなり

草木のささやきは時をわかたず通るとも

バラの花を踏みにじる風にもにて

ときにわが心に鳴りわたる

あるいは月光の清光に

沖ゆく舟にみとれる

歩いて行く驢馬はやさしい

盲目の光から侮辱の闇へ

おまえはいま荒れ狂う暴風雨を貫ざいている

そしてひとつの岩が炸裂する

憂国人の恥らい

我執で陰鬱な炎を持ちすぎ

茫漠としたまなざしで

私はそれを追うばかり

すきとおる冷たい雫にみちた私のまえにあるものは

夜空に輝く宵の明星

うねりだけが身をゆさぶった

窓から外をながめると

砂の上に時が足跡を残している

春になって果樹だけが茂り伸びて

一羽の鳥が西の方からとんできて

天然の強面を中和する

留らぬ雲によって

湧いてくる笛の音

いちめんにはびこる雑野原のなかに

空全体が小川のなかに

清い首飾りをした白鳥がかなしい音でうたいだす

人の精神が音楽の調べのうえをわたる

               (一九七二年)

 

 

 

 

夏の一日

 

一九八九年夏の朝

聖者になりそこなった私は

宿痾に苦しむ妻にいわずもがなの暴言を吐いて

郵便局に税金の支払いに行く

スーパーに中元商品を買いに行く

(優しくなったのか弱くなったのか)

近時すこぶる短気になった

どこにでも阿呆がいてケダモノがいて通り魔がいる

不毛の闘争と分かっていても

断固戦わなければならない世の仕組み人の性

血縁のない土地では人を大切にしなければならない

心は互いに見えないが軋轢は見える利害は見える

せめて一編の詩を添える

 

クーラーのない軽自動車の中は

一九四五年夏の炎天下が蘇る

雑音のないラジオが不思議ですらある

それにしてもたかが高校生の野球に大騒ぎしすぎないか

虚しい平和がけだるい

私は新聞社で禄を食んでいる

吹けば飛ぶような身分だが給与も賞与も過分にいただき

あまつさえ夏休みまで頂戴した

平和だ平和だ

もう少し辛抱すれば年金がもらえる

義理を果たして私は私に戻る

禿げ頭の皺くちゃ男

妻が死んだら永遠にやもめだろう

 

私は輝けるアーチストだ

未踏のマクロへミクロへの旅立ちの支度は整っている

一日一日を闘牛士のように綱渡り芸人のように

生きているぞ

一皮剥けば私の視力は二十代だ

感情はうねる波

思想は樹齢千年の大樹だ

草原を歩けば見る見る背丈が伸び

皺が消え頭髪が波立つ

世の濁りは薄れ

世界は夢見たように澄んでいる

 

人間は病んでいる

闘争の歴史が人類の歴史だ

生きることはリハビリティションである

不幸を包んだソフトクリームをなめる少女

正常と異常

幸不幸の検証に時間を費やせ

 

ちらし寿司とのり弁を買って帰宅した

妻はどちらも食わなかった

人間は二、三日食わなくても平気だ

私は妻を愛している

生きるも死ぬも大差ない

永遠に続く小説を手掛けた後

美空ひばりを聴きながら西脇順三郎を読む

息苦しい熱帯夜だが

私は不幸ではない

           (一九八九年)

 

 

 

 

闘病記

 

うららかな春の朝など

私は発病する

視界が閃光のまま静止して

世界の終わりに立ち会っているような

限りなく不確かな気分に陥る

勤めなど放り出して

急ぎ野原に寝そべり

束の間の時を

人類の生誕と滅亡に思い巡らせたくなる

 

私は完璧に病気だ

みんなが何でもないように

やり過ごしている何でもないことが

いちいち勘にさわって

怒り心頭に達して絶望する

私は辛うじて病識のある精神病者だ

当たり前のことができない

やろうと思わない

それがいけないと思わぬ生きものだ

 

暗喩を用いようと感懐はおおむね泣き言である

私は詩人ではない

ハードボイルドでもない

耐えることは不健康だ

恰好をつけるのも嫌いだ

仕方なくとぼとぼと

日に何度か側にいる妻と猫に愛をささやき

不意に眠るようにそっと消えたい生きものだ

欲はいわない

私より短命な人は探せばいくらでもいる

明日私の心臓が止まっても

脳の血管が破れても

ちっともおかしくない

妻よ悲しむな

私は充分生きた

 

私の死は瑣事である

日は昇り日は沈む

小鳥は囀り猫はあくびする

人類は悪行を重ねる

地球は回り続けながら巨大な廃物となり四散する

神を締め出してしまえば陳腐な方程式が崩れる

闇の中から光が生まれる

いいかげんな偶然の結果

また生きものが生まれる

 

ああまた束の間の朝がくる

眠り薬を服用して寸時まどろもう

        (一九九〇年)

 

 

 

 

初心

 

肉片はすべて鮮度が肝要で「生きている」ほど美味ですよね

動物や魚を殺しても罪にはなりませんよね

木の実や草の根には「心」や「意思表示」はあるのでしょうか

 

雨上がりの空が本当にきれいです

土も雑草も精霊を孕み輝いています

地球や宇宙を認識し名付けたニンゲンは主役を演じ続けます

(大根役者だけど)

                (一九九五年

 

 

 

 

詩擬き

 

殺したのが男だったか女だったか定かではない

確かなことは目撃者(娘)が私を庇ってくれたことだ

夢だから辻褄が合わなくてもいいが娘の本意を知りたい

いたずらに日が過ぎて娘の姿が定かではなくなる

 

文芸の源泉は詩といわれる

空虚な人生を言語の魔術で豊饒な草原を創るようなものか

方法と技術で暗黒の世界を彩るというわけだ

 

夥しい数の詩人たちよ

あなたは幸せか

 

私は詩人もどき運命論者である

減点法を好む

妻と出会ったのも猫を拾ったのもご縁というものだ

某を疎み某を軽蔑し某を弾劾するのも減点法による

 

もはや私には

詩として書くべきことがあるだろうか

              (一九九七年)

 

 

 

 

解釈

わが家から徒歩五分の所にオノサト・トシノブの家がある。さらに十五分の所には遺族が建てたオノサト・トシノブ美術館がある。「織物のデザインのようだ」と敬して遠ざく学識豊かな男がいたが、一九一二年生まれの画家として、私はオノザトを敬愛していた。キャンバスに「太陽とともにある、生物としての明るさ」を描き続け、絵画に「不変」なるものを定着させようと希求し、「芭蕉は…」などとつぶやき、晩年には星座(宇宙)を描き始めたオノサトは十二年前七十四歳で死んだが、あと十年生きていたらどんな仕事を見せてくれたろうか。町外れ、山ぎわの清流の流れる所にひっそりと建つ白いちいさな美術館の壁に、オノサトの絵画群は派手な緞帳のように並んでいる。作者が死んでも廃棄しない限り作品は残存する。しかし、わたしにはかつてのような感興が湧かない。「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」ではなく、一切合財の消滅を考えるからか。オノサトは多くの版画を発注制作販売した。オリジナル一点の高価さは愛好者を限定する。複製作品は芸術振興に役立つ、と同時に作者を潤したか。話変わって、今日もきれいに印刷されたチラシ広告が、空っ風に吹かれて舞い上がっていた。

 

 一九八六年一月に八十五歳で死んだ岡崎清一郎の詩業は、世情の変転が判然としない、詩人の魂のみの記録とも見られる。時代を越脱(超越)した人は幸福だ。岡崎は最初から詩人であり、それ以外のなにものでもなかったようだ。幸いなるか世には無能な者を支える奇特な人が常にいる。そして芸術は摩訶不思議だ。有能な人はおおむね策に溺れる。この世(芸術)は与し易く、また恐ろしい。岡崎の弟子ともいえ、わが師ともいえた三田忠夫は常に人生の晩年に身を置くような人だった。「もうすぐ死ぬ…」というような詩を綿々と書いていた。彼は長年役所に奉職した地方都市の文化功労者だから、その葬儀は大掛かりだったろう。もし密葬だったら大いに敬愛するのだが、離れていてその死を知らなかった。今さらの墓参も憚られる。もっとも死ねばそれまでの話で、三田詩を記憶するだけで充分だ。私も「もう残りわずか」と書く。「あとどのくらい?」と妻はいう。十年かもしれない。この二月五日で私は六十一歳になった。

 

 浅田晃彦著『安吾・潤・魚心』によれば、桐生に滞在中の坂口安吾の行状は、高尚にいえば天上天下唯我独尊のようなものだろう。稀有な才人は常に世情を賑わす。『日本文化私観』も『堕落論』も確かに当時の傑作だが、もはや今日では色褪せている。早熟な安吾は二十歳すぎから絶えず脚光を浴び夥しい著作を著わしたが、流行作家の常で、書きなぐり才任せで現代に呼応する著作がいくつあろうか。小説家は小説を売って生計を立てる。小説は芸術とはいえなくなる。芸術家は職業として成り立たない。安吾はヒロポン、アドルム、睡眠薬中毒で疲弊し四十九歳で没したが、正常好みの私は薬物依存症の人の著作など評価しない。

 

 「敬して遠ざく」などと宣うと、埴谷雄高が立ちはだかる。NHK教育テレビで創作の内実を懇切丁寧に語ってくれ、再度『死霊』を読み返しているが、いつしかまたしても眠くなってしまう。眠ることは宇宙に還ることだから一種の臨死体験といえるが、妻や猫に執着する凡人の私はすぐ目覚める。執着の無為を埴谷は延々と説いているのに。私もまた究極を探ろうとしているのに。この愚かな逡巡に人間研究の素材がある。人間は一足飛びに宇宙を駆け巡ることはできない。埴谷の想像力(妄想)とワインに明け暮れる日常は不可分だったろう。埴谷雄高を思い巡らしていると松澤宥がだぶってくる。アーチスト松澤を論じた多くの気鋭の美術評論家の論旨には常に消化不良の後味が残る。異星人のような松澤だが、私には一九二二年生まれの御曹司にして定時制の数学教師、よき夫よき父親の印象が強い。妄想と現実を等価に俎上に乗せてこそ平等である。人間はきれいごとでは済まない。芸術は悪行を覆う善行でもない。負性をも論じてこそ正当な批評となる。私が「松澤宥論」を書くとすれば盟友水上旬、未知の人今泉省彦の言及が大いなるヒントとなる。

                                 (一九九八年)

 

 

 

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