「ない」の受肉  江尻潔

 

 「ない」の受肉とはいかなるものか。一連の〈ウィルスの視覚共同作業)において円環をなしたと思われるオバナの仕事は螺旋を描いて「ない」へ向かって上昇していく。「ない」とは文字どおりの無ではない。「有」を内包していながら未だ出現していない、いわば「種」のような状態である。たとえば植物の種は枝や葉や花を未出現のものとして内包している。では人を種の状態にしたらどうなるか。さしあたり受精卵の状態を思い起こすが、それは「身体」という物質的な側面での「種」である。精神的な営みを絶えず行う私たちはもう一つ「種」の状態を有する。それは行為に移す以前の「意識」のみにとどまっている状態である。私たちが行動する場合(特別な場合を除いて)、まず意識としてこころに浮かべそのイメージを後づけるように行動に移す。未だ行為せぬ意識のみの状態はまさに「種」に匹敵する。オバナのいう「ない」とはこの「種」の状態を示している。明確な外的な輪郭を現す以前の意識のみの状態、これは私たちのこころの内にすぐさま見いだすことができる。種としての意識をいかに摘出するか、これが九九年以降オバナのテーマとして浮上する。

 オバナはまず身体のなかで最も「種」に近い器官として「目」に着目し、《たまみ》を制作する。思えば目は最も意識や感情が表情として表れやすい。《たまみ》は目を映し出す小さな鏡であるが、これには一つのしかけがある。中心に直径一~五ミリの穴が穿たれているのである。そのため目を映すと瞳の中心に穴があき、穴の向こう側の様々なものと瞳が「交換」されたように見える。空に向けて《たまみ》を覗けば瞳のなかに空が広がり、太陽や月に向ければ瞳が即太陽となり月となる。たちどころに私たちは見るという行為は目のなかに村象を宿すことだということに気付く。目は世界や宇宙を吸い込む「穴」なのだ。あるいは「見られたもの」は私たちの内面にすでに「ある」ものが外部に流れ出たものなのかもしれない。穴から流出した「意識」そのものが入れ替わり立ち代わり現れる。なぜならば目という穴は「見たい」という意識によって内から「穿たれた」ものに他ならないからだ。やがて私たちは目の内にはかりがたい空間が広がっていることに気付く。これはこころそのもののあり様なのだ。外部での出来事はことごとくこころに入り込み、またこころで起こつたことは外部に投影される。外部と内部の交換が行われるが、これを可能にしているのは両者に共通する「空間」であろう。外部に空間が広がるように内部にも同様、空間が広がる。しかし、両者の空間は質が異なっている。外部は物理的広がりを呈するが、内部は非物理的であり三次元の体をなさない。いわば「虚」の空間といったものがひろがっていることになる。ここでは想起されたものが自由に無限に生まれ出る。外部の空間ではありえないものも内部空間ではありえてしまう。こうした点で内部空間は外部空間を包摂しているといえそうだが、そうとも限らない。なぜならば外部にありながら内部にないものも数多く認められるからである。私たちは自身の意識の幅でしかものを見ることができないのだ。さらに言えば内部空間は外部空間を「素材」として広がっていく。私たちが新たに外部を認識できるのはこころの内にそれを感得する枠組みが形成されるからである。枠組みは外部との接触で得られるものでありそうした意味において外部は内部を形づくり内部は外部を吸収する。外部もまた内部に形成されたさまざまな思惟を受け止めることにより変化をきたす。人は、物質的には影もかたちもない頭のなかのアイディアをかたちにすることができる。家や車や作品等は私たちが外部へはたらきかけて初めてかたちを得たものだ。それらは手を介してなされるものばかりではない。私たちは手を使わずとも外部にはたらきかけることができる。それはことばを介してなされる。いわば「はたらき」として外部に存在させる。ことばは相手の内部空間つまり虚の空間にはたらきかけ相手を動かすことができる。ことばの究極的なはたらきに呪文がある。呪文の対象は人とは限らず、天体気象にもおよぶ。明らかに人ではない「なにものか」に向けて言葉が発せられている。ではこの「なにものか」とはいかなるものであろうか。それは端的に言えばことばにより動かされる自然の部分である。もしこのようなことが本当に起こりうるとするならば、自然の内にも「内部空間=虚の空間」が存在するのではないか。虚の空間とは意識でありこころである。あるとすればおそらく私たちのそれとはくらべようもなく大きく、そのため気付きにくいものであろう。自然の大きな「虚」と私たちの小さな「虚」が共鳴しあい様々な事象が引き起こされる。「ない」の受肉とはすなわちこのことなのだ。

 オバナの《たまみ》は自然に潜む「ない」を気付かせるはたらきをもつ。《たまみ》を太陽に向ければ、ただちに目と太陽は重なり、巨大な目玉である太陽がこちらを見る。空や海や山や川、《たまみ》を通して見た世界のいたるところ「目」が現われる。こちらが見れば向こうも必ず視線を投げ返す。そのとき私たちは自分の目と「ない」存在の「目」を相互交換していることに気付く。太陽が目となり目が太陽となるのだ。外部と内部はこのように交換可能であり私たちは視線を介して「意識」を交流させている。視線はことば以前にすでに意識を乗せる楳体として機能している。ことばの素材は音であるが視線の素材は光である。ことばは闇で機能し、視線は光のなかで機能する。ことばの本質は闇のなかにあるのではなかろうか。オバナは闇のなかのことばについて、さらには闇と光との関連について作品化する。それが一九九九年六月ART SPACE LAVATORYで行われた展(ウィルスの視覚 未だ名前がない〉である。暗室化したトイレという特種な場所で行われたこの展は、一連の(ウィルスの視覚共同作業〉を補完するものだが、「ない」との交流が一層明瞭なものとなっている。トイレは本来体外に排泄したものを処理する場だが、暗室化されることにより内臓の延長のように見えてくる。オバナはまず入口で来客にガムを噛ませ、噛み終わったら透明の袋に入れトイレ内に置いてくるよう指示する。さらに自分のガムに対して名前をつけるよう要請し、来客は思い思いの名をラベルに記入してガムの入った袋に貼付する。懐中電灯を持ってトイレに入るとそこには「未」の字がスタンプされた黒い封筒が壁一面にはり付けられていた。来客は任意の封筒を選び名を付けた自分のガムと交換して持ち帰る。ガムの入った袋は選んだ封筒のあった場所に留めてくる。私はこの展に参加して自分自身が食べ物となって大きななにかに「食べられる」思いがした。完全に呑み込まれてしまうのだが自分の身代わりとして名の付いたガムを置いてくることにより再び外へ出られる。しかも「黒い封筒」というおみやげ付である。私は大きな「なにものか」と魂を切り結んだ印象を受けたが、これは恐らく「食べられた」という意識から生まれたものだろう。究極のコミュニケーションは「食べる」「食べられる」ということに他ならず、私は自身の体を捧げ物として「食べられ」、それに対する見返りとして封筒が授けられる。結果として食べられることなく外へ出られたわけだが「我が身を守った」のは名の付いたガム、すなわちことばに他ならない。しかも、このことばは「物実」としてのガムをともなった嘘偽りのない「本当の名」である。身体を捧げる代わりにことばを捧げその返答としてなにかをいただく。思えば大昔、私たちの祖先は同様の行為を日常繰り返していたのではないか。生け贅を捧げていたのがいつしかことばを捧げるようになり、ことばは祈りとなった。古い記憶がよみがえるような気がした。封筒のなかには《たまみ》が一つ入っていた。それぞれ《たまみ》は白、紫、青、緑、黄、赤の布で包まれ、どの色の布で包まれているかは偶然による。私は布の色が気になった。《たまみ》は魂観であり魂を見る道具だからだ。お前の魂はこの色だ、と示される思いがした。穴の大きさも様々であり、オバナによれば小さな穴は「遠くのもの」を見るのに都合がよいという。意識の望遠鏡なのである。この展の参加者は身体=名と引き換えに《たまみ》という「魂を見る道具」を授けられた。私は会場から出てあらたに自分が生み出された気になった。それは《たまみ》によって今までにない意識がそなわったことによる。意識を開いてくれるものとして《たまみ》は文字どおり「光=意識の種」だ。「光の種」をいただき、あらたに世界を見渡す。私は聖所に参籠して出てきた感覚もこれと同様なのではないかという気がした。このあらたに得た意識によってまず見なければならないものは私たちを食べ、生み出し、「光の種」を授けた「なにか」である。この「なにか」こそ「ない」存在であり、オバナは「ない」にむかって様々なアプローチを始める。そもそも《たまみ》が初めて世に出たのは九九年五月の〈木術界(きじゅつかい)〉だった。これはオバナの立案によるもので今年で二年目を迎える。佐野市旗川のほとりに植えられた桜並木を会場とし、参加者は任意の桜の木を選んで「術」を使って桜と対話するという試みである。桜を傷つけてはならないこと以外制約はなく、参加者は桜と意識を交換すべく様々な「術」を駆使していた。オバナは桜の木に《たまみ》を実らせていた。訪れた者は桜から「実」をいただいて帰った。このときは桜が《たまみ》の授け役となった。《たまみ》の黒い封筒には「未」のスタンプがほどこされ次に掲げる文章が記された紙片とカプセルが同封されていた。

 

「想像の未(たね)」

 このカプセルにあなたの念(おも)いをこめてお好きな宙(ところ)に播いて下さい。どんな芽が出るかはあなた次第!

これをみるのに「魂観(たまみ)」を用意しました。どうぞお使い下さい。

                               タカユキオバナ

 

木は人や動物に対して無抵抗である。木と村話するにはよほどこちらの意識をこまやかにしなければ木の波長と同調できない。木は葉をむしっても枝を折っても「怒り」を示さない。桜に実った《たまみ》は木のこまやかな意識を気付かせるため訪れた人に与えられた。こまやかな波長をこちらが持たないかぎり木との会話は不可能なのである。

 オバナは人以外のものを介して《たまみ》を手渡し「ない」存在が人々の意識に浮かぶように企てた。さらにオバナは特定の地に宿る「ない」存在に着目した。地霊と言ってさしつかえない存在であろうが、オバナは有名な聖地ではなく「気になる場所」を対象とした。その行為が次に記述する〈「ない」の受肉〉である。本展は二〇〇〇年三月に足利JAZZオーネットにて行われた。実のところこの展は私の詩と写真がもととなっている。私は気になる場所を訪れ、そこで感得した「なにか」を詩にしている。より正確に言うならば「なにか」をことばに変換している。オバナは私の行為を「ない」存在に響きという「かたち」を与える仕種と見なした。私はオバナより詩とその詩が生まれた場において写した写真を求められた。私は場所の地名とともに六葉の写真と九編の詩をオバナに手渡した。詩と写真の数が合わないのは二編の詩はオバナ撮影の写真と密接な関わりがあり、彼の写真と組ませたためである。さらに最後の一編は彼が制作した《たまばこ》と関連している。オバナはそれらを情報加工して展に仕立てた。写真の真下にその場と関連ある詩がピンで止められさらにその下に小さなアクリル板の棚が設けられていた。棚の上には例の《たまみ》が白、青、緑、紫、黒、赤、黄の布にそれぞれ包まれていた。布の色は私が指示した。会期中一日ごとに鏡の包みが開かれ「光の種」が発芽するようになっている。「鏡開き」されると同時に小さな水晶玉が鏡の穴に据えられ、日ごとにあらたに開かれた鏡へ移動された。この水晶玉は近隣の足利伊勢神社から購入されたもので、《たまばこ》の中にも同種の玉が仕込んである。写真は一点ずつ照明され《たまみ》の影が下方にのび柱のように見えた。さらに「鏡開き」されたあとは鏡の反射により光の柱が生じ、《たまみ》を境に上方に光の柱、下方に影の柱が立った《たまばこ》会期中八つの柱が立つことになるが《たまばこ》はそのもの自体が「柱」であり光の柱を絶えず放射しているので全部で九つの柱が立っていることになる。ここで《たまばこ》について少し説明を加えたい。

 《たまばこ》はウィルスの視覚共同作業の最後の展〈星を見よ〉で登場した観者を星として祀る装置が基となっている。〈星を見よ〉の装置は総延長一七.六メートルの鏡の帯に直径三~四ミリの穴を二四〇穿ち、内側に豆電球を一つ一つ点して奥に記された観者の「名」を照らし出すものだった。この装置では二二四人の名が「未」という文字で一列に繋がれていたが、当初の《たまばこ》は一人の名を取り出して作品化するために考案された。《たまばこ》の天板は一五・五センチ角の方形の鏡であり、その中心に穴が穿たれなかを覗くとガラス板に名が記されていた。名前は箱の底に設置された豆電球によって下から照らされている。ほどなくしてオバナは手を加え、名の記されたガラス板の代りに天板と同様、穴の穿たれた鏡を仕込んだ。覗くと穴の穿たれた二枚の鏡の向こうに豆電球の明かりが見える。光は穴の周囲で乱反射し虹状の暈がかかることもある。オバナはさらに加工し二枚目の鏡の穴に小さな水晶玉を据え、箱の内側すべてを鏡張りにした。その結果ことばでは形容しがたい現象が起こった。水晶玉は光をあつめ内側で焦点を結び、内部に小さな太陽を宿しているように見える。箱の内側が合わせ鏡となっているため小さな光の点が一六方へ無限に広がっていく。箱の内部に無限の空間が広がりたえなる秩序をもってゆっくり回転しているように見える。小さな箱の内の無限空間、これはとりもなおさず私たちそのものだ。私たちの内にもこころという無限空間が広がっている。こころは先述したとおり「虚」の空間であり《たまばこ》は明らかに「虚」の空間にかたちを与えたものである。また夜、部屋の明かりを消し《たまばこ》を点すと箱の内部の光が小さな穴から外へ漏れ、天井に一六方放射の大光輪が現れる。内部空間=虚空間が外部空間へはたらきかけ、そのすがたを外界へ転写したのだ。虚の光は実の光となつて外へ現れる。これは「虚」の状態にあった私たちの意識が現実として外部に姿を現すことの雛型である。実はそもそも《たまみ》は携帯用《たまばこ》として作られたものなのだ。さて話を本論に戻そう。

 オバナは《たまばこ》を「ない」(虚)の「しるし」として会場の中心に据え、これを取り巻くように八葉の写真と八編の詩、そして八つの《たまみ》が配置される。さらに水晶玉が一日ごとたまみからたまみへと移動する。観者は《たまみ》を自由に取り覗くことができる。このとき写真と詩を「発生」させた「場」は《たまみ》の授け手として機能する。「場」から「意識の種」をもらい受け観者は外界を見直す。このとき「場の意識=虚」は私たちの「虚」と共鳴している。本来ならその場に赴くのが一番よいのだが、「会場」という限定された空間であるため、写真と詩を「共鳴の一例」として展示している。しかし、「場」との共鳴を観者に伝えるにはこれだけでは不充分である。どうしたら観者に「ない」との共鳴現象を実感してもらえるか。オバナが特に配慮したのはこの一点である。[「ない」の受肉]は[「ない」の実感]なくしてありえないからだ。「ない」の受肉とは虚が実としてのはたらきをもって現れ出ることであり、そこには当然「実感」がともなう。オバナのとった手法を次に述べる。彼は《たまばこ》の脇に一枚の地図を用意した。足利近隣両毛広域の五万分の一の白地図である。彼はひととおり見終わった観者に地図を示し、気になる地名や場所にコンパスでしるしを付けるよう指示する。円の大きさは任意である。さらに選んだ場所に著名してもらう。場と名を重ね合わせるのである。名を記した観者は三七名いた。展終了後オバナは実際に三七人の選んだ三七ケ所をまわり、その土地の「しるし」を採集した。(二〇〇〇年三月二十六日~五月二十三日)「しるし」は石や木の実であった。採取した「しるし」にはその場を選んだ人の名と円をコピーした小紙片が張り付けられた。この紙片には「おそばにまいりました」と言う文字が赤インクでスタンプされていた。オバナはこれらの「しるし」に荷札を付け選んだ本人のもとへ郵送した。選んだ「場」から突然の「たより」が舞い込むわけだ。人が「場」を訪れるのではなく「場」の「ない」存在がふいに人を訪れるのである。「おそばにまいりました」のことばは「ない」存在が発している。「しるし探しには私も参加したが、私たちが念頭においたのはその人がどのような人物か、またなぜこの「場」を選んだのかという点だった。不思議と選ばれた地は選んだ人物を彷彿させる雰囲気を漂わせていた。近寄りがたい場所もあればやさしく包みこむ場所もあった。土地と選んだ人物とのあいだにはある種の共鳴現象が起こっているのではないか。土地の持つ記憶や土地のかたち(これらは地名としてことばに変換されている)が人の意識にうったえかけ人もまた「選ぶ」という行為により「場」に対して応えているのではないか。私たちが採取した「しるし」は興味ぶかいことにその土地の「しるし」であると同時に選んだ人の「しるし」でもあった。土地と人との共鳴の「しるし」として「もの」は拾われ「もの」は両者の「しるし」としてそれぞれの人のもとに送られた。そこには土地と人双方に共通する「なにか」が記述されている。この「なにか」によって人は土地に呼ばれたり、土地を選んだりする。[「ない」の受肉]とはこの「なにか」が目に見えるものとして現れる現象に他ならない。これは意識の物質化とも言える。ただし今回の場合はオバナが媒体としてはたらいていた。取り持ち役としてはたらくことにより土地とそこを選んだ人物の契りは結ばれた。本展を契機に実際その土地を訪れた人が何人かいたことを記しておく。「たより」に対していかに「返信」するかは観者の意識に委ねられているのだ。

 以上九九年五月から二〇〇〇年五月までのオバナの活動を見てきた。〈ウィルスの視覚〉の最後に現れた「虚」の概念がより深化し具体的なものとなって提示されているのがわかる。オバナは私たち「実」の側と未出現の「虚」の側を二つの対立するものとして提示せず、重なり合い、入れ子式になっていることを明示する。私たち「実」の側は内なる「虚」=こころを基点として行動し、「虚」の側は私たち「実」の側にはたらきかけ「実」のすがたをかりてかたちを得ようとする。どちらか一方では立ち行かないしくみとなっている。オバナは「実」の側から見た「虚」のはたらきを[瞑想と免疫の連立方程式の解は虚]という命題で簡潔に表現している。他者と融合しようとする瞑想と他者を排除しようとする免疫のバランスによって私たちは個体を維持しているが、この異質な両者を取り持つ仲介役がなければこのようなことは有り得ないのだ。そこでオバナは仲介役として「虚」をもってきた。「虚」は「未だ然らず」であり、正にも負にも行くことができる。「虚」が基点となって私たちの個体維持はなされる。瞑想に進むか免疫に進むかこれは意識が「実」となる際の最初の重要な方向付けであるが、以後オバナは界から界を繋ぐ仲立ちとしての「虚」のはたらきに着目し活動を繰り広げる。さらなる活動については次稿にゆずりたい。

(二〇〇〇、一二、二一記)

 

 

 

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