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第一話
新人だった頃のお話 その@
 士官学校を卒業し、晴れて軍に入って間もなく、私はまず基本的な仕事を覚えるのが精いっぱいだったけれど、それでも元々情報処理系は得意だったから、覚えれば覚えるだけどんどんこなせるようになり、達成感を覚え、働くことが楽しくなっていった。
 ただ、問題は体力的なこと。
 私に体力がなかったわけではない。士官学校時代は実技も筆記も成績で同級生に劣ったことはなく、そして喧嘩も強かった方だと思う。それなのに私の直属の上司であるヒュウガ少佐は、新人の私を見るたびに、いつもこう言っていた。
「今日もひょろいね」
 私にはこれが屈辱だった。そう言われて喜ぶ人間なんて居ない。初対面でひ弱そうと言われてから、入隊した途端に「ひ弱そう」が「ひょろい」になった。どちらも同じような意味だと分かっていながらも私は悔しくて一々辞書で調べたほどだ。でも、ここで腹を立ててはいけない、きっと私の度量を試しているのだと思って、
「これから頑張って鍛えます」
 そう答え続けた。大体、私は確かに体格はよくないけれど、人に非難されるほど痩せすぎてもいないし、決して小さいわけでもない。だから、成長と共に逞しくなっていくのだと自信があったし、私もそれを望んでいた。そもそもヒュウガ少佐こそ、人のことを言えるほど大男ではないと思う。背は高いけれど、体重だって100キロを超えているようには見えないし、何を根拠に私のことをからかってばかりいるのか理解出来なかった。けれど、真面目に仕事をしていた或る日、ヒュウガ少佐がふと私に話かけてきた言葉が切っ掛けとなり、私は自分の弱さを知ることになった。
 それは、平日の昼近く、大量の書類を抱えてフラフラしていた私は、それらを崩さずに自分の机の上に置くのもやっとで、目の前に出来た書類の山に呆然としながら、まずは仕分けをすることから始めようと手を伸ばした時、隣で私の行動を一部始終見ていた少佐が一言呟いた。
「ねぇ、コナツ。なんでオレと手合せした時、あんなに吹っ飛ばされたか分かってる?」
「……」
 それは私がひ弱だからですよね。
 私の頭の中にはその台詞しか浮かばなかった。むしろこれを言わせるために、そんな質問をしてきたのかとひねくれた考えしか出来なくなっていた。鍛え方が足りないとか、剣術がまだ未熟だとか、色々言い訳をすることは出来たけれど、彼の目的は私の自虐的な答えを聞くためではなく、
「じゃあ、君の躰に聞いてみようね」
 そう言って椅子から立ち上がり、私に近付き……。
「ちょっと、これ邪魔」
 そして折角積んだ書類の一部を手で払って床にバラ撒き、空いた机の上に私を押し倒した。
「えっ!?」
 あの時ほど動揺したことはないというくらい、私は何が起きているのか分からずパニックに陥った。予想もつかない仕打ちに、
「何をされます!?」
 起き上がろうとしたら、
「駄目だよ」
 肩を押さえられ、私は動けなくなった。彼の腕すらよけることも出来なかったのだ。
「ほら、全然抵抗出来ないじゃない。っていうか、細い肩だね……」
 少佐は笑っていた。
 私は見上げるだけで身動き出来ずにいると、今度はもっと妙な行動に移った。
「これは序の口。本番はこっち」
「!!」
 なんと、彼は私の両足を掴むとグイと広げ、その間に自分の躰を滑り込ませてきた。そんなことをされたのは初めてで、私は仰天し、
「やめて下さい!」
 と叫んでしまった。
「何もとって喰おうとしてるわけじゃないよ、っていうか体力テストだから」
 少佐は呑気に答えていたけれど、殴られて倒れた方がまだマシだと思った。すると、
「さて、どのくらい締めてくれるか確かめようね」
「?」
「このまま両足……いや、足というより太腿でオレの腰を力いっぱい挟んで締めて」
「えっ」
「オレの腰を砕くつもりで、ココで締めてみて」
 彼は私の内腿をスッと撫でた。普段から他人にそんなところを触られたこともなく、私はビクリと反応してしまった。
「……」
「ほら、やらないといつまでもこの体勢のままだよ?」
 ヒュウガ少佐はずっとにこにこと笑っていた。
「……ッ」
 結局私は観念し、言われた通りにした。私の脚の間にある彼の躰を、力いっぱい挟み込む。
「ん? それだけ? あんまり締め付けられてる気がしないけど……」
 少佐は冷静にコメントをして、私は腹が立ち、両足に更に渾身の力を込めた。それだけで全身の筋肉が硬直して眩暈さえ覚えるほどだった。
「うん、この程度かな、ま、予想通り」
 様子を見ていた少佐が一人で勝手に納得して、私はいつまで続ければいいのか分からず、
「もう……力が出な……っ」
 降参した。すると、
「ああ、ごめんね。はい、もういいよ」
 ようやくお許しが出たのかと安堵したが、わずか数秒の出来事が、とてつもなく長い時間に思えて、
「何故……このようなことを……っ」
 息も絶え絶えに問うと、
「だから確かめるって言ったじゃない。君は予想通り下半身に力がない。オレの腰を砕くにはまだまだだね。違う意味では砕けたけど」
「……?」
 その時は言われた意味がよく分からなかったけれど、考える間もなく、
「あのね、結論を言うと、体幹が弱いんだよね。要するに、躰の中心に力がないんだ。内側から鍛えていかなきゃいけないってこと。分かる? 内側って内臓のことじゃないよ、躰の真ん中のライン、胴体もそうだし、内腿やここ、腓腹筋」
 そう言って私のふくらはぎの内側を撫でた。
「本当の意味で強くなるなら精神も鍛練しなくちゃいけないけど、それに関しては文句ナシだから合格」
「?」
「それと、関節は柔らかいみたいだから、それも合格、鍛え甲斐があるよ」
「……!」
 褒められたのだろうが、その時の私には褒められているという認識はなく、ただ呆然としてヒュウガ少佐の言葉を聞いていた。そして私はまだ机の上に乗った状態で、書類の山に囲まれ、少佐が薙ぎ払って床にバラバラに散った書類をどうするか、こんなふうになってはどうすることも出来ないのではないかと本当になす術もなく頭の整理がつかなくなっていた。
「どうせ整理するつもりだったんでしょ? オレがバラ撒いたのは処分してもいいものだ。ざっと見たところ古い資料だし。でも、机の上に残しておいたのは、きちんと仕分けしてね? そっちは重要だから」
「!」
「ちなみに処分する方はオレが許可したってことで何かあったらオレが責任をとるよ。……何もないと思うけどね。逆に要らないものまで運ばせられて気の毒なくらいだ」
「は、はい」
 私は余りに大胆な指示の仕方にまた呆然としていた。すると、
「あっ!」
 ヒュウガ少佐が突然大声を出した。
「どうなさいました!?」
「お昼過ぎてる! オレとしたことが! メシ! ほら、メシ食いに行くよ!!」
 今度は私を机の上から引きずりおろし、強引に腕を掴んでグイグイと引っ張って食堂まで駆けていった。私は目まぐるしく変わる展開についていけず、ほとんど口を利くことも出来なくなっていた。せめて散らばった書類を片付けてから出てきたかった……と心の中で呟いていると、食欲がないのかと聞かれ、
「机周りのこと、気にする必要はないよ。アヤたんには言ってあるから」
「?」
 私は心の声が読まれたのかと驚いたし、いつの間にアヤナミ様に報告をされたのかと二重に驚いたが、私達ブラックホークのメンバーがアヤナミ様と離れていても会話が可能だということに気付いたのは、もっと後になってからのことだった。
 彼はまるで何事もなかったかのように平然としながらカツ丼を平らげ、私が食べ終わるのを待ち、そして、
「じゃあ、午後も頑張ってね」
 そう言って何処かへ行ってしまった。その日、彼が参謀部に戻ってくることはなかった。私は業務連絡や日報を書きながら、ヒュウガ少佐の自由奔放な性格に唖然とするばかりで、その後も度々驚くような行動をとって散々振り回され続けても、どうしてか、私は彼を嫌いにはなれなかった。呆れることはあっても、関わりたくないと思ったことは一度もなかったし、思い起こせば彼の行動はすべて、私にとってプラスになる要因が揃っていた。要塞に上がったばかりの私が周りから謹厳実直と言われるようになったのも、元々の性格もあるけれど、彼が私をそうさせたのだ。
 そして次第に、ただの「不真面目な上司と真面目な新人部下」という関係だけではなくなっていった。 



第二話
新人だった頃のお話 そのA
 私が参謀部に所属して分かったこと……それは、アヤナミ参謀長の偉大さや、驚くべき趣味や人間離れした生活の仕方……だけではなく、何よりも衝撃的だったのはヒュウガ少佐が全く仕事をしないということだった。軍の中でも名高い参謀部という部署に所属し、少佐という幹部としての役職があるのだから、事務仕事の達人なのかと思っていたら、書類は見るのも嫌だと毎日のように呟いていた。始めは私の聞き違いかと耳を疑ったけれど、本当に資料や文書には手を付けようとしない。では、いったい何のために参謀部に所属しているのかと疑問を持ったが、口に出せずに心の中にしまっていると、ふとした時にヒュウガ少佐が、
「オレがここに居るのはアヤたんのため」
 と、教えてくれた。この時から既にヒュウガ少佐のアヤナミ様への執着はハンパではなく、姿が見えないと思うとアヤナミ様のそばに居て、後でクロユリ中佐から聞いたところによると、昔からこうだと言っていて、自分たちはもう見慣れた光景だと笑っていた。私はアヤナミ様のおそばに居るのがいけないと言っているのではなくて、アヤナミ様の邪魔になっていないか、それよりもご自分の仕事をして頂きたい……と思っていただけで、もちろん、思うだけで、でも、まだ私は言えずに居て、黙って彼の分の仕事もこなしていくしかなかった。けれど、重い書類を運ぶのを手伝ってくれる時や、私が困っている時に手を貸してくれる絶妙なタイミングは、たとえ私が大人になっても、こう巧くこなせるものかと尊敬してしまうほどだった。まるで見計らったかのように現れ、労いの言葉を掛けて、私一人では時間のかかる雑務を手助けしてくれる。それは今も変わらず、本当に困った時には必ずそばに居てくれるのだった。普段だらしがない分、少しでもいい面があると人ってこんなにイメージが変わるのだと感心してしまう。もし真面目な私が不真面目になっても他の人は私をずっと真面目扱いしてくれるだろうか?
 時折私にかけてくれる言葉も温かかったりする。私がもっとも喜ぶのは、
「何か旨いもん食べに行く?」
 という現金な言葉だ。ヒュウガ少佐は色々な所を知っていて、それも身近な低価格のお店だけではなく、高級店のお得意様でもあった。一晩で大金を払うなんてことは、まだ新人の私には到底不可能だったから、私は少佐の気前の良さにすっかり気分を良くして、これなら仕事を多少さぼっても許せる……と思うようになっていった。
 けれど、暫く経って、少佐がよく私に食事を奢ってくれるのは、それが餌付けではないのかと気付いて私はいいように利用されていただけだと一人で勝手にショックを受け、それならばと対策を考えたのが、誘われても数回に一度は断ろうということだった。
 或る日、その数回に一度の時がやってきて、何処かに食べに行こうと仰った少佐に向かい、
「今日は結構です」
 そう言ってみた。すると、これは私の想像でもあったのだけれど、
「何処か具合が悪いの?」
 常套句かもしれないが、私を心配する台詞が出てきて、そして、ここからは私の想像とは違い、
「もしかしてオレがご飯誘うのは餌付けだと勘違いしてるんじゃないだろうね」
 と怖い顔をしたのだ。
「えっ」
 図星をつかれて、私はうろたえ、
「いえ、あの……」
 ただみっともなくしどろもどろになるだけだった。
「新人が上司の誘いを断ろうなんて、100億年早い」
 そんなことも言われてしまった。
「餌付けだと思うなら、おとなしく餌付けされときなさい」
 とも言われ、私は返答に困り、
「でも、だからといって少佐がお仕事をして下さらないのは……」
 わざと聞き取りにくいように言うと、
「オレの仕事はお前の仕事、お前の仕事はお前の仕事」
 と……はっきり……おっしゃった。
 私はこの傍若無人な物言いに唖然とするばかりで、一体どんな教育を受けてきたのか、親の顔が見たいと思ってしまったのは言うまでもない。
「オレは食いもので釣って、その代わりオレの分も働いてもらおうなんてこれっぽっちも思っちゃいない。ただ、オレは釣った魚には餌をやるタイプ」
 とも。意味がよく分からず、またポカンとする私だったが、気が付いたら外に出ていて、美味しいコース料理をご馳走になっていた。その時から少佐は私を見ては、
「かわいいねぇ」
 と口癖のように呟いて、私はまだ新人だったから、少佐の目には初々しく映るのだろうと思って理解するようにしていたし、私がよく食べるので、喜んでいたのだろうと思っていた。
 そんなことがあってから、少佐は仕事中にも私を見ながら、
「かわいい、かわいい」
 と連呼するので、私はだんだん恥ずかしくなり、
「やめて下さい」
 と苦し紛れに抵抗した。
「だって、かわいいんだもん。うちの参謀部には愛らしいクロたんも居るし、かわいい子が居ると、やっぱり仕事する気になるよねぇ」
 と満足そうだ。っていうか、仕事してないじゃないですか……と突っ込みそうになったけれど、そんな気力すらなく、
「私は男らしくなりたくて軍人になったのですが……」
 私の思いを述べると、
「うん、分かるよ。当たり前じゃない。それを前提でかわいいって言ってんの」
「……」
 私は馬鹿にされているのだろうか……そう本気で考えた。すると、
「ちなみにオレもかわいいでしょ?」
「は?」
「オレも十分かわいい系だとと思うんだ。自分で言うのもなんだけどね!」
「……」
 という展開になった。
 この頃から、私はヒュウガ少佐が少し変わっている人なのではないかと思い始めた。あれほど腕が立つし、とても強い人だから、それに比例して真面目で何に対しても熱心な人だというイメージを持っていたのに、だんだんその人物像が崩れていって、ただの変わり者なんじゃないかという証拠だけが増えていく。ただ、そんな具体像は、結果として不真面目で何を考えているのか分からない食えない人……という見解に至った。そして確かなことは、私とは真逆な性格だということ。だから、私も戸惑うことが多かったが、かえってそれがいい社会勉強にもなった。
「世の中にはいろんな人が居るからねー」
 これも少佐の口癖だった。まだ狭い世界の中でしか生きていない私には、少佐自身がいい意味で教訓になったのだ。
 そしてその教訓は時に厳しい時もあり……。
 私が何気なく生活していると、少佐からの鋭い苦言を受けることになる。例えば、
「どう? ちゃんと鍛えてる?」
「えっ!? は……い……?」
「あー、サボってるねー?」
「……」
 当然、鍛えてるという言葉は、参謀部の難しい事務処理を指すのではなく、剣技のこと……だけでなく、私の弱点の克服についてだった。私には剣の腕を上げるために必要なトレーニングがあるらしく、とにかく体幹を鍛えなさいと口うるさく言われていた。下半身の内側が弱く、余り筋肉もついていないこと、外側ばかりが張っていてバランスが悪いこと……など、自分のことながら分からなかった幾つもの難点を少佐が見い出し、それに対してどうすればいいか分かりやすく丁寧に教えてくれた。そしてその鍛え方はとても簡単で、お金もかからず、自室でも道具なしに、そして仕事中でも何気なしに出来る容易なものだった。ただ、その頃の私にはまだそれをさりげなくこなす習慣がついていなかったので、忘れてサボることが多かった。サボり魔の少佐にさぼっていると指摘されて何とも悔しい気持ちになったが、躰を鍛えることは、何よりも私自身のためだ。私だってアヤナミ様の役に立ちたい。私がブラックホークに志願して最初に落とされたのは、他の軍人よりも何倍も大きな危険があること、名を聞いただけで恐れられる部署に好き好んで入る必要はないという半ば慈悲のようなものもあったと聞いた。ただの普通の軍人であれば、確かに命は惜しくないという覚悟はあるものの、うまくいけば難を逃れ、もっと狡猾に逃げ回れば軍人とは名ばかりの安穏とした生活が送れるかもしれないという私への配慮だったのだ。私は安定を求めて軍に入ったわけではない。だから、死を恐れることはないし、アヤナミ様のお役に立てるのなら命だって惜しくはない。しかし、その為には強くならなければ意味がない。少佐は私が何も言わずとも弱点を見つけて、少しでも私が強くなるように自然な流れで指導して下さった。それが助言だと気付かないくらい、とてもさりげなく、そして時には「相変わらず細っこい」などとふざけながらも、私を上へと導いてくれたのだった。
 と、そう言えば凄くいいお話に聞こえるかもしれないが、そうではない時もある。
 これも最初の頃は本当に驚くばかりで、私は自分が何をされているか分からなくなるほど、少佐の行動は突拍子もないものだった。
 或る日、私が着替えの最中にシャツ一枚になると、
「あっ、そのまま!」
 突然少佐が私に向かって叫んだ。
「はい!?」
 着替えてはまずかったのだろうかと慌てたが、まだ軍服の上着を脱いだばかりで下も穿いているし、着なおすことはすぐにでも出来る。が、少佐はにこにこと私に近付いてきてこう仰った。
「薄着になるのを待ってたんだ」
 と。
「!?」
 当然、私にはその意味が分からない。すると少佐は、私の肩を掴み、くるりと私の躰を動かし、私は少佐に背を向ける恰好になった。
「さぁ、感度はどうかな?」
「!?」
 何、と思った瞬間、少佐は長い両腕を私の後ろから脇の下をすり抜けて胸まで回し、ぐっと私の胸を掴んだのだった。とはいえ、私には掴むほどの胸はない。その時の私の反応は……ああ、思い出したくもない、未だに少佐にからかわれるくらい動揺していてみっともなかった。
 そして少佐は大きな手のひらを私の胸にあてたまま、
「オレが今から何をすると思う?」
 そう訊ねてきた。私には答えようがなかった。そこで考えたのは、他人がこの光景を見たらどう思うか……ということだった。それと同時に、こういうのは何となくいやらしい恰好だと認識してしまい、私は自分でも顔が赤くなるのが分かった。
「あ……あの……」
 私は胸を掴まれたまま……といっても、平らなので、手で押さえられたと言った方が正しいけれど、その状態で視線をおろし、じっと少佐の手を見ていた。この時初めて、この人の手がとても大きいということを知った。
to be continued