「高知弁はしゃべりたくないよね」と、やはり高知に嫁いだ友人と話したのはいつのことだったでしょう。インパクトの強い語尾(〜が、〜しちゅう)や、時に荒っぽく聞こえる言葉が何となくイヤだったのだと思います。おじさんがあまり高知弁を使っていなかったことに加えて、県外に住んでいた期間があったことも大きいかもしれません。
そんなおばさんも、この3月で高知在住歴15年になります。イヤだ、イヤだと言っていても、毎日高知弁を至るところで聞いていれば、喋らなくても自然と覚えていきますよね。そしてとうとう・・・・。
つい半月ほど前のこと。いつものように、自転車でスーパーへ買い物に行った帰り道。一人の老人が歩いていました。その側を通り過ぎようとした瞬間、絶妙なタイミングでつばを吐いたのです。すんでの所でかわした(と信じたい)ものの、ちょっとバランスを崩しそうになりました。マナーの悪いことも加わっておばさんはカチン!!そこで振り返って一言
「何しゆうが!」
(でも、小心者なので、聞こえるか聞こえない程度の声で)
今では、おじさんとの会話でも高知弁が結構出てくるようになってはいたものの、言った自分に驚き、ある意味ショックを受けてしまいました。
でも、このことは高知県民らしくなってきたという証拠で喜ぶべき事かもしれませんね。実際、今は誰に対しても高知弁で会話ができるようになれたらいいなと思うようになりましたから。方言は人の心を和ませ、また、心の距離を近づけてくれるような気がします。
言葉にもTPOがあるかもしれませんが、どこへ行っても方言で会話ができる人をすごいなと思ってしまいます。そして、方言で喋ることを恥ずかしいと思わず、堂々としていられる自分でありたいと思っています。
おばさんは、NHKの朝ドラを見るのが日課で、舞台になっている土地の方言を覚えてはおじさんに報告しているのですが、現在放映中の「だんだん」は島根の方言で「ありがとう」という意味です。でも、私には馴染みのある言葉でした。子供の頃、祖母がよく使っているのを聞いていましたから。おばさんが育った愛媛以外にも、九州の一部や新潟でも使うと言っていました(3/9放送:NHK「お元気ですか日本列島」の中の「ことばおじさんの気になることば」)。ルーツを辿っていくと意外な接点があって、そんなことも方言の魅力のひとつになっているかもしれません。