突然ですが、本日3月31日をもって三十数年間の教員生活の幕を閉じました。定年まではまだ何年かあるのですが、やりたいこともあるので、数年前からいつ辞めるかを考えていました。格好良く言えば、自分の描いていた人生設計通りの退職ということです。
「辞めたら海外旅行にでも行きますか。」とか聞かれることもありますが、「まずは、花見に行きます。」と答えています。去年は3月末の休みに鏡野公園に行くとまだ二分咲きくらいで十分楽しめませんでした。それで次の週に行ったのですが、あいにくの雨で牧野植物園の屋根の下で弁当を食べました。でもこれからは休みを気にせず、見ごろと天気に合わせて行くことができます。海外旅行にも行ってみたいとは思いますが、身の丈に合わせて近場を楽しんでみようと思っています。
異動発表だけを見た人からは、「どうして辞めたのですか。」とも聞かれるのですが、「予定の行動です。決して悪いことをして辞めたのではありません。」と答えています。ところが、その時に気がついたことがあるのです。
やりたいことがあると先に書いたのですが、それは趣味の世界のことです。おじさんが宴会好きなのを知っている友人からは「居酒屋でもやりますか。」と聞かれましたが、居酒屋だと店主が酔っぱらって商売にならないでしょう。他にも「次の仕事はどうされるのですか。」と聞かれます。それには「とりあえず1年くらいはのんびりします。」と答えています
定年前に辞めたと聞くと、それからの収入はどうするのだろうかと誰もが思うようなのです。受け継いだ財産があるわけでもなし、蓄えがあるわけでもなし、宝くじは買っていない、となるとどうやって生活していくのだろうかと思うのは当然なのですね。
最後に勤めた中学校は、生徒にも地域にも恵まれたとてもいい職場でした。早く辞めたいと思いながらではなく、もっともっと働きたいと思える環境での退職、まさに理想通りの人生設計を実行した訳なのです。でも一つ大事なことが抜けていたのです。
そうです、おじさんの人生設計は退職までは完璧で、その後の花見や趣味の世界までは盛りだくさんのプランが描かれているのですが、働くというページがどこにもなかったことに気がついたのです。
とりあえず収入の道を考えなくてはいけませんが、「質実剛健 優柔不断」なおじさんのことです。すぐには決まるわけがないので、まずは花見で一杯飲りながらじっくり考えることにしてみます。