Whittle Unit |
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Patent 1907年に英国で生まれたFrank
Whittle卿は父親が町工場を経営していたことから、幼少のころから機械いじりに親しんでいたという。1923年に英国空軍に入隊し、水上機等の試験飛行を行うTest Pilotとしても勤務し、Cranwell Collegeに在学中の1928年頃からJet Engineについて考え始めるようになった。学期毎にテーマを選びレポートを書くことが課せられていたので、1928年の4学期のテーマをJet
PropulsionとGas Turbineの将来性としてレポートを作成した。最初はPiston EngineでCompressorを駆動し圧縮空気を作りその空気に燃料を投入し燃焼ガスを噴出する方法を考え、最終的にTurbineを使う方法を考え出したという。[7] Fig 1は1930年1月16日にFrank
Whittle博士が22歳の時に提出したTurbo-Jetに関する英国特許16.03.30(347.206)に描かれている模式図である。Fig1から軸流式のCompressorおよび遠心式Compressor, Combustor,軸流式Turbineにより構成されていることが分かる。恐らくFrank Whittle博士はTest Pilotとしてその当時の吹きさらしのCockpitの中で操縦しながら、高度を上げるほど出力が落ちるPiston
Engineに限界を感じ、高度を上げれば空気抵抗が小さくなることから、より長距離、長時間飛行するには連続燃焼を行うTurbine Engineしかないと確信したのだろうと想像される。1920年代はまだ複葉機の時代であり、Cockpitも前方に風除けの風防があるだけの機体が主流であった。 この特許は英国空軍では採用されなかったために、1932年には出版され、ドイツ空軍省も入手することになったという。Frank Whittle卿は1934年から1936年の間はCambridge大学で学んでいる。. |
1. Axial compressor casing 2.
Intake 3. Compressor body 4. Compressor blades 5.
Stator blades 7. Centrifugal compressor 8.
Compressor outlet 9. Elbow (Diffuser) 10. Combustion chambers 11. Fuel injector 13.
Turbine disk 14. Turbine blades 15. Stator blades 16.
Shaft 17. Divergent nozzle ring Fig 1 [4] |
Whittle Unit
Model 1 Jet
Engineの開発に英国空軍の許可は得られなかったが、Cambridge大学に在学中に二人の英国空軍退役士官、R. D. Williams氏及びI. C. B. Tinling氏にJet Engineの開発を勧められ、1935年11月に協賛者によりPower
Jet Ltd社を設立しFrank Whittle博士のEngine開発は開始された。 Frank Whittle博士もHans Ohain博士と同様にCombustorの性能に不安を持っていたので、British Thomson-Houston Company(BTH)およびLaidlaw, Drew and CompanyでCombustor単体での試験を行い、単体での性能が満足できるレベルまで達した後、全体の組み立てを開始した。BTH社はその後もWhittle Engineの製造を行うこととなる。Fig2, 3, 4、5にOriginal Whittle Unit Model 1を示す。Fig3, 5に示されるように、Compressorは遠心式の性能不足を補うため背中合わせに2つのImpellerを組み合わせたもので、圧縮空気はFig4に示されるHoneycomb Diffuserを通りながら圧力上昇し, Cascadeが組み込まれたElbowを通り整流され、Single Combustorに導かれる。Frank Whittle卿はCombustorを複数設置しても、燃焼を同調させるのが困難であろうとの予測に基づきModel
1ではCombustorを1個としている。燃焼GasはそのままTurbineへ導かれ、Turbineを回転させる。現代のEngineではTurbine直前のGasを整流するNozzle Guide Vaneが装備されるがこのWhittle Unitにはまだ装備されていなかった。その代わりに螺旋状のDuctにより導かれた燃焼Gasが角度を持ってTurbineに吹き付けられた。Fig5の左部分に示されるようにTurbineは水により冷却される機構を持っている。このWhittle Unit
Model 1は1937年4月12日にRugbyのThompson-Houston工場で運転に成功し、計算推力は1389lbであった。試験運転は4月23日まで続けられCombustorには問題は無かったがCompressorの性能が全く不十分であることが明らかとなった。[1] |
Fig2[9]
Fig
3 [2]
Fig 4 [1] Fig5 [1] |
Whittle Unit
Model 2 1937年8月23日 Frank Whittle博士は改良を施したEngineの制作を決心した。1938年4月16日にWhittle Unit
Model 2 (Fig 6)が運転を開始した。Whittle Unit Model 2では、Whittle Unit Model 1にあった大きな螺旋状Ductを廃し、10本の細いDuctとし、Compressed
AirはEngine後方に導かれそこでSingle
Combustor内で燃焼し、燃焼Gasは前方に向かいTurbineを回し、その後180度方向転換し後方に向かい、10本のExhaust Pipeから排出される。計算推力は1240lbであった。このEngineはTurbine Failureにより破損してしまった。このModelはなかなか奇異な形状を呈し開発期間の苦労がにじみ出ているModelだと言える。[1] |
Fig 6[1] |
Whittle Unit
Model 3 再度の改良が1938年5月6日より行われ、試験運転は1938年10月26日より開始された。このWhittle Unit Model 3 (Fig 7)の最大の特徴は10個のCombustion Chamberを装備したことであった。そのLayoutは現代のAPU等の小型Engineで見られるようなReverse Flow Typeであった。このReverse Flow Typeは、低温のCompressed AirがChamberの外側を回るのでCombustion Outer Caseが比較的低温に維持され熱膨張による問題を回避できることになる。Turbineは前方から燃焼Gasが流れ込む、通常の形となり、Exhaust GasはModel 1と同様に1本のExhaust Ductから排出されることとなった。Combustion Chamberは燃焼を同調させるためにお互いがConnecting
Tubeにより結ばれていた。このConnecting Tubeのアイディアはその後のCan Combustor Typeにも採用されている。またTurbine
Bladeは現代のEngineでも重要な特徴であるFir-Tree
Root(根元の断面をクリスマスツリー状の形状に加工しDisk内にはめ込む構造)としていた。 Whittle
Unit Model 3 は1940年10月9日に運転が成功し、16500rpmを記録した。 初期のWhittle UnitにはFig8で示すようなCombustor内にFuel Tubeを入れてFuelの圧力を上げ噴霧する方法も採用されたが、Whittle Unit
Model3ではNozzle先端でFuelを霧状にし噴霧する方法を採用した。[1] Fig9はLondonのScience Museumに保存されるWhittle Unit Model 3。Science Museumは有名なHarrodsデパートから地下鉄で一駅のSouth Kensington駅にあるので、Londonを訪問の際は是非見学することお勧めする。 |
Fig 7[1] Fig8
Fig9
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参考Web [3]Frank
Whittle : Invension of the Jet [4]Frank
Whittle Founder of the Jet Age |