「本間 文男」と『大地に蒔いた 一粒の種』

                       若者が 願いを込めて 大地に蒔いた 一粒の種
                       春の日ざしに 照らされて 春の雨に 育まれ
                       やがて やがて 芽を吹く 一粒の種

 「児童文化研究会」の仲間と折に触れ、肩を組んで歌った懐かしい歌詞です。
 彼が、小学校教員を退職する年に集大成として「生きた証し」の「遺言」として書いた本のタイトルにしました。(自費出版150冊)
残念ながら翌年、病気で亡くなりました。山形県小国町の彼の生家を訪ねた時に彼の姉から頂きました。

 思い起こせば50数年前、山また山に囲まれた小学校で過ごした私は、東京国立音楽大の合唱サークルの学生達による僻地巡回公演
で歌を聴く機会があった。♪♪私はだれでしょう、私は誰でしょう、・・・・♪♪という曲で始められたその公演に私は感動し、まさにその時
『一粒の種』を心に植えつけられたのである。児童文化研究会に入会し、僻地巡回公演に取り組むことになったきっかけはこの時の経験
があったからである。
 「子ども時代は、大人になるための準備期間ではない。子どもには子どもとしての文化(児童文化)があり、大人(教師)はそれを大切に
しなければならない。(中略)
 教師生活最後の年、10年ぶりに1年生を担任した。1年生にはとてもすてきな魅力がある。打てば響くような純真で素直な反応がある。
おもしろいことや楽しいことには瞳をキラキラ輝かせ夢中になって取り組み、興味のないことには容赦のない反応を示す。なかには眠って
しまう子もいて、その行動の大胆さに思わず吹き出してしまうこともある。(中略)
 「自分にもこんな時代があったんだなあ」と妙に懐かしい気持ちにさせられる。『1年生は神様からの贈り物』と話された先輩教師の言葉
の意味が、理解できたような気がする。「子ども時代を子どもとして生きることのすばらしさ」を教えてくれた1年生の子ども達に感謝し、教師
生活における最後の担任を終えたいと思う。2012年2月 発行(あとがき)
 教育雑誌等にも様々な実践報告を載せており、勝田台小学校4年生を担任した時にはNHK教育テレビ「広がる広場」に児童と共に出演し
ました。(児童がスタジオで色ペンを使って「宇宙旅行」をテーマに<ぼくらの夢>という大作を描きました) ※下の写真

 「児童文化研究会」では、新入生が入部すると先輩がニックネームをつける風習がありました。彼は人形劇部に入り「ペケ」と名付けられま
した。その経緯はわかりませんが私には真逆の人間に思えます。私が今も敬愛してやまない人物です。舟木一夫の歌をゆっくりと情感込め
て歌い上げました。最も印象に残っているのが「さんざしの花咲けば」です。コンパなどでも場が盛り上がるとリクエストされ歌いました。音痴の
私は、そのたびに感動しました。
 私は「童話部」に入り後に「影絵部」創設のメンバーになりましたが名前の一部「行」を英語にして「goゴー]と名付けられました。今も交流の
ある長尾一夫くんは「一」から「oneワン」、影絵部創設の中心となった先輩の園部俊和さんは、理由はわかりませんが「社長」と呼ばれておりま
した。二人とも福島県の小学校教員になり最後は地域を代表するような大物「校長」になりました。
 彼が亡くなった後、「リズム部」の志賀正夫くんも加わり四人で「さんざし会」という同窓会を続けています



  写真二列目 左から四人目が私、隣が長尾、すぐ後ろが本間

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