"八柱神社の秘仏"
龍胆寺雄 著
H26.11.10に更新しました。
八柱神社とインドの象頭人体合歓仏
ガナパチ・ガネシャに関連した、実録に基づいた著者晩年の力作
あらまし
-------最初に、作者がまだ学生の頃、弟とともに、北関東にある筑波山の
一支脈である加波山で、例年夏に全国から参加する山伏、行者など修験者たちで行われていた荒修行に参加した
経験が記されている。
加波山は50ヶ所ほどの霊場のある、険しい山崖があり、そこで行われた2日間の修行の様子や、そこで出
された昼餉のことなどが述べられている。 しかし、話の本題はそのことではない。 二人でその修行に参加
するべく、自宅の下妻から真壁町の旧街道を早朝にテクテク歩いて、ある村に差し掛かった時、道の脇に木
立に囲まれ小さな丘があり、そこに小さなお堂があるのに気づく。ところがそのお堂は、全面が極彩色の彫刻
におおわれ、あたりの田舎の風景とは全く調和しない、ケバケバしい純欄華麗な色彩をしており、2人で呆気
にとられ、目を見張るばかりだったという。 いったい誰が何のつもりでこんなものをここに立てたのだろうと、
謎の思いだったが、しかしこのことは、そののち、生活の場も遠く他県に移って郷里も遠くなり、以来五十年間
記憶の彼方にあった。 しかし、齢80歳を過ぎ、故郷下妻へ時時帰るようになったこともあって、一体あの奇怪
なお堂はなんだったのだろう、今でもあるのだろうかと、昔の思い出が気になるようになり、帰郷するたびに地元
の人たちにその話をするものの、誰ひとりとして、そんなものの所在を認める人はなく、実家の嫁からは「お義兄
さん、それはなにか夢でも見たのじゃないですか?」と言われる始末で、そのまま何年か経った。しかるに、ある
日突然、地元の識者A氏よりその存在を知らせる連絡とともに、真壁の歴史民俗資料館で入手したという資料が
送られてきた。つまり、夢ではなく、確かな記憶であったのだ。ここから、この小説の本題が始まるのである。--------
この資料によると、この社は八柱神社と称し、建物は県指定の文化財で関東三大金剛院の一つに数えられ
る古刹だった。殿堂の中には、八柱神社の御幣が備えられているが、内陣には昔インドから渡来したと言われる
頭が象で、からだが人間の男女が、腹を接着させて合歓している秘仏、大聖天の像が安置されており、秋の
取り入れ前の御開帳には、この男女合歓している人体象頭の像に、特別な呪文を唱えながら、煮え沸った
熱油を注ぐのを、多くの参詣者が拝むという奇怪な行事が行われていたことが記載されていた。------しかるに、
A氏の手紙には、終戦当時世間が混乱しているドサクサ紛れに、堂内が盗賊に荒らされ、この秘仏が、
紛失されてしまい、空き家同然になり、今ではお詣りする人もほとんどなく、すっかり荒れ果ててしまっている、
と書かれてあった。 作家の好奇心は高まり、この神社のことや、今までの経緯の調査に首を突っ込むこと
になり、その実録が小説の骨子になっている。そして、実際地元の有志の人たちの案内で、見事な彫刻は
昔のままだが、極彩色の色はすっかり剥げ落ちてしまったこの社に50年ぶりで訪れた事、そして神官を招
いて村の古老たちで祝詞を上げる行事に参加したこと、さらに、調査の結果、驚くべきことには、盗難された
と考えられる人体象頭の秘仏がある民家に秘蔵されていること、そしてついに格式のある古い家であるその
民家に行き、その像を見せてもらうこと事などが述べられている。その家の主の女性は、五十前後であるが、
どこか妖艶な面影を残している大変美しい人で、昔に夫と子供を亡くし、最近まで九十三歳の父親と二人で
暮らしていたが、その人もなくなり、今は一人で寂しく暮らしているということだった。この家の家業やこの像が
入手された経緯、などを聞き出すために、何度かこの家を訪問するうちに、その人は、とても無邪気な素直な
女性である事に気付き、作者はあまり幸福でないと思われるこの女性に同情するとともに、その不幸の
要因の一つが、祀られることもなく、この秘仏が本来置かれるべきところでないところに所有されていることに
あるような気がしてくるのである。というのは、前記A氏が知り合いの仏師で僧侶のNさんを八柱神社に案内
するとともに、例の秘仏を見てもらったところ、これは非常に怖い仏さまで、その拝み方を知っているのは
日本中に十人といないはずで、軽々しく人に見せたり、粗末な扱いをすると、必ずよくないことが起こる、
その取扱いには十分気おつけなければならない、というのが敬虔な信仰心を持ったNさんの説であり、
そのような理由もあって、作家はその女性に、秘仏を元あった神社に戻して安置することを承諾してもらい、
また、神社を現在管理している神官や地元の古老の人たちに、その像を受け取ってくれるよう交渉し、ことを
運んだ。その後、物事は作家が考えていたようにはなかなか単純には進まないのであるが、これらの実録を
基に作者一流の筆致でこの作品は描かれているのである。
*「八柱神社の秘仏」の出典:昭和書院
発行「龍胆寺雄全集」全12巻の第1巻に収められています。
*本全集は現在絶版になっていますが、原文はネットデータ化されていますので、ご覧になりたい方は
こちらにお問い合わせ下さい。
*作者については、龍胆寺雄のホーム
ページをご参照下さい。
参考資料
「常陽文芸1993年1月号」に「モダニズム文学の旗手」として10ページほどの特集が組まれているが、その中で、
晩年の作品「八柱神社の秘仏」について、以下のように書かれている。
昭和59年から刊行が始まった「龍胆寺雄全集」全12巻の第1巻に発表した新作の中間小説「八柱神社の秘仏」は、下妻と
その周辺の記憶の場所を訪ねた際に着想を得たもので、真壁町塙世に現存する八柱神社にまつわる話を書いている。
現地調査をし、資料を集め、これを整理して書くのに三年を要したという力作で、八十歳を超えてから完成させたエネルギー
にも圧倒されるが、龍胆寺作品の一般的イメージから離れたものを見事にまとめ上げた創作力・表現力の奥ぶかさに、
さらに驚かされる。八柱神社は、江戸時代は寺院として信仰を集め、明治の初め、神仏分離の折に八神(八柱の神々)を祀る
神社になっている。木彫りを施した特異な本殿は寺院の時のものであって、県重要文化財に指定されている。
龍胆寺は昭和初期、弟と二人で加波山の禅定(山に入って修行すること)に参加するため下妻から真壁街道を歩き、加波山に
向かう途中、道沿いの高台に、忽然と現れた異様な建物を見た。その建物は木彫に極彩色が施され、しかも塗り替えた
ばかりらしく、より鮮やかで不気味でさえあった。再訪でそれが八柱神社と知り、その本殿に祭られていた不思議な仏像が
行方不明になっていることを知った龍胆寺は所在を突き止めようとする。「八柱神社の秘仏」はその経過を小説にしたものだが、
登場人物の殆どが実名で、事実を淡々と述べた随想としても読める。しかし、その巧まざる記述のように見える文章の中に、
実はひそかに謎解きの構成がなされていて、読む者は、この毛色の変わった土俗的・民族的作品にぐいぐい引き寄せられてしまう。
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