ペットロス・愛猫の死を悼んだ詩

日本では最近、ペットとして猫を飼う人の割合が増えてきて,空前の猫ブームだそうです。理由として日本の社会がギスギスしてきて、心身ともに疲れて動物に癒しを求める人が増えたことや、 高齢化が進み、散歩が必要な犬に対して猫は部屋飼いができ、犬のように大きな声で吠えたりすることなくおとなしく、ガサガサしたところが少なく、ウンチの躾なども楽である などが考えられます。そして、なにより心を癒してくれる点では、 下手な人間より、ずっと猫ちゃんの方が役に立っている場合もあるのです。 そして飼い猫の死は、たかがペットの死じゃないかと言うなかれ、それを愛する人にとって、とても悲しいものなのです。

猫に関する歌や詩は古来多くありますが、ここでは、昭和初期に新興芸術派の作家として活躍した龍胆寺雄が猫の死を悼んだ長編の詩編「ゴキのALBUM]より抜粋した詩のいくつかを紹介したいと思います。 ネコブームの折り、いささか共鳴される方もいるかと思います。

生前作家・龍胆寺雄は猫好きでいつも家庭に猫が飼われていましたが、詩に出てくる「ゴキ」という名の猫は、特に気に入っていたようで、既に飼われていた母親の「コナミ」が自宅で生んだ猫で、0歳から作家が手塩にかけて育てたこともあって、特に可愛がっていたネコでしたが、 二歳半で首の怪我がもとで、懸命の看病の甲斐無く、死んでしまった事を悼んで作られた詩ですが、200行に渡る長い詩なので、1部を割愛したものを紹介します。



ゴキのALBUM

美少年の頃ーなまいきざかり


覚えているか、カアちゃんのそばで、苦労も無げにムクムク太って、驕慢なおまえの青春


ゴキの墓に

けさ早く 夜明け前の午前4時すぎ 軽い痙攣からはじまる死の発作で病が急変してから      五時四十分に息を引き取るまで               カアちゃんはおまえのからだじゅうをなめ おれはおまえを手枕させて抱いてねて 一時間半 脈を取った 死ぬ直前 おまえは いつにない大きな眼をあけ 冴え冴えとした黒い瞳をしきりに左右に動かして へやの中や スタンドの灯りや おれの顔を ふしぎにマジマジと長い間 見入っていたな まるで そこにみなぎっている すべておまえに向けられた愛情を その眼で見て 心の中に たたみ込もうとするかのように------ そして おまえは しずかにやすらかに 息を引きとった おれの手のひらのくぼみに 痩せて軽くなった頬をのせて 二年半前の四月三十日の明け方 おれの寝床でカアちゃんがお産をするのを 俺は手伝って おまえを生ませた それと ほぼ同じ時刻に 同じ寝床で 今またおれは おまえの短い生涯のおわりを ひとりで こうして看取ってやった かくして今はこの部屋は おまえがいなかった昔にかえったわけだが それにしては今 この部屋にただよっている 虚無と落莫と孤独と切なさは 一体何がもたらしたものだろう 止まり木をなくした愛情が 飄々と空をさまよって どこかへ やがて消えてゆくまでの間の しばしのオロカしい迷いなのか それとも ゴキよおまえが おれの人生に遺していった ただ一つのこれが おミヤゲなのか さて アズキ・アイスの段ボールの箱に おまえを入れて おれの居間の床の間にすえ オバちゃんがそなえた即席づくりの お線香立てと ママが 猫にはこれを使いなさいと 「猫」という字を書いた欠け茶碗に おれが水を入れたのをならべ 今おれは 粗末なおまえのお棺の方へ頭をむけて 電気あんかにゴロリとひとり寝ころんで この詩を綴っているのだが  寒気がするようなこころのこのムナしさは 一つは十一月ちかいこの雨空のせいもあろう この冷たい雨の中で おまえを埋めるのも忍びないが さりとて今晩ひと晩枕もとに おまえを入れた段ボールのお棺を そのまま置くのもちょっとこたえる 軽くフタを開ければ ただ無心に睡っているのとちっとも ちがわないおまえが 生きている時と そのままの姿で冷たくなっているのが 眼に入るからだ あまり遠くない「過去」は まだ「現在」の中にはいるのに 「死」だけは その瞬間に 何とはるか無限の遠いかなたにあるのだろう  だが ゴキよ これはすべておまえのせいではない 二年半生きて そして死んだだけだ お葬式をするのは(こころのお葬式をも兼ねて) むろん生きている おれのすることなのだ では ゴキよ さようなら 段ボールの箱の中で 冷たく堅くなってしまった ゴキよ さようなら 寝床で もはや 二度と 抱いてやれなくなった ゴキよ さようなら (ゴキのお葬式に) ママから貰った水飲みの欠けた茶碗 オバちゃんから貰った白い毛糸の編みの 古いチャンチャンコ ゴキよ これがおまえの財産のすべてだ この二品と おれの詩の一篇と これだけをおまえの お棺に入れておくよ 今日は昨日にひきかえて 風は強いが 雲一つない秋空 お墓の前で おまえを見送る  カアちゃんの白い毛並みが眩しく光る ゴキよ さあ 今日から おまえは ここでひとりだ ---- このつぎは ひとと生まれよ わが家の----

(昭和60年8月発行:龍胆寺雄全集第7巻 或いは;2003年秋発行誌「猫びより」No.14より)