紙に交響水彩 四つ切サイズ
個人所蔵
高麗の巾着田は有名だが
どうも私は、人工的に一斉に植えられたものとかに
美を感じることが出来ない。
しかし、ここに流れている高麗川の水辺にたたずんでいると
暑い日差しの中で、
その水音と腰かけている人たちのシルエットに
涼を感じることが出来て、描きたいと思った。
奥に見える深い緑や青と、オレンジにも似た川辺の色合い
手前の彼岸花・・そうしたコントラストも美しく感じた。
太宰治の津軽で、風景という言葉について出てくる箇所があるが
風景は、人との関わり合いの印象がどこかに
残っているものなのかもしれないなあなどと
最近は思う。