Photo Documentary - Panca Bali Krama '99

1st. Story - 浄化儀礼

Photographs and text by Nobuya Ohki

神々は神輿に乗せられ、ムラスティと呼ばれる浄化儀礼を行うためにブサキ寺院を出発する。神輿の行列は海岸で儀式を済ませた後、再度ブサキへ戻って来るが、その全行程約70キロを3日間かけ徒歩で移動するのである。
神輿は大小様々で、特に大きなものはジュンパナと呼ばれるが、複合寺院のブサキではこのジュンパナが各寺院の主的存在となっている。
私は本格的に儀式が始まる前に、正確なスケジュールを確認するため、デンパサールのPHDI(インドネシア・ヒンドゥー教評議会)を訪ねた。そしてその時に応対してくれた男性から、とても興味深い話を聞いた。

「神々は不浄のものを嫌います。例えば、行列の進む先に不浄の何かが存在すれば、それ以上先へは進まないでしょう。」

image2それは突然の出来事であった。
チャンディ・ブンタル(割れ門)の間から、階段の上に敷かれた白い布を伝い、何十もの神輿が順番に長い行列となって降りて来た。列の後方から、次第にバラガンジュール(移動型ガムラン)の軽快なリズムが聞こえて来ると、最も大きな神輿に乗せられた最後尾のジュンパナが階段を降りきろうとしていた。その時、突然、物凄い勢いで神輿が前後左右にぐいぐいと動き始めた。担いでいる者たちは、神輿の動きを押さえるのに精一杯で、傍から見ているととても苦しそうだ。周りの人達が手伝って暴走を必至に食い止めながら階段を無事降りきると、近くに居たプマンク(僧侶)の一人があわてて辺りを見回し、遠くの高い場所にいた普段着姿の子供たちを見つけ大声で追い払った。すると何とも不思議な事に、神輿は何事も無かったかのようにゆっくりと進んで行ったのである。

一方、ムラスティの儀式が行われるクロトック海岸には、すでに多くの人々が集まっていた。時折大きな波が幾重にも重なりながら海岸に打ち寄せ、ガムランの音をかき消している。遠くに見えるのはヌサ・ペニダ(ペニダ島)だ。

1980年代に入り、バリ島では大規模なリゾート開発が進められた。ヌサドゥア地区の広大な敷地にはいくつものリゾートホテルが建てられ、海外から訪れる観光客の数も激増していくと、バリの人々は裕福になっていくのだが、急激に押し寄せる観光化の波は、同時に様々な社会問題を生み出していた。1997年のアジア通貨危機によりインドネシア通貨のルピアが暴落すると、国内の経済は一気に混乱した。そして1998年5月にジャカルタで大規模な暴動が勃発し、建国の父と称されたスハルトの30年に幕が降ろされた。
そんな時代を反映してか、この浄化儀礼がとても重要だと感じていたのは、恐らく私だけではなかっただろう。何しろ、スハルト体勢崩壊後は、スマトラのアチェや、東ティモールの独立運動などの抗争が各地で激化するなど、暗いニュースばかりが連日のように報道されていたのだ。

image3西の空を被っていた雲が太陽を遮ると、海岸は日中の熱気を放出する間もなく、色とりどりの衣裳を着た人々によってあっという間に埋め尽くされていった。唯一神々の通る場所だけが、黒い砂を露出させている。
神々の一行は、予定の時刻より少し遅れたものの、夕暮れ前には先頭集団が到着し、儀式の行われる場所へ次々と入っていった。最後の神輿が到着した頃は、すでに辺りが薄暗くなっていたが、暗くなるまでまだ十分に余裕がある。やがて例の大きなジュンパナが大勢の人々を従えてやって来た。人々は皆お互いの手を繋ぎながら神輿が暴走しないよう取り囲むように歩いている。さながら人間バリケードといった風情だ。

神々の一行はここで浄化儀礼を行うと、クルンクン(現スマラプラ)の寺院へ向かい、そこで一夜を過ごすのであった。

>>>つづく>>>


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