それは、突然。
は、くいと長い髪をひかれて足を止められた。
“またか”と、は眉をひそめた。
なぜならば、の髪の色は、銀に近い金。
茶や黒の暗い色が大半を占めるこの土地では、この色は呆れるほど目立つ。
そのため、人の目を集めるのもこうやって髪をひかれるのも、珍しいことではなかった。
この髪は、尊敬する父から引き継いだもので、誇りに思っている。
そんな大切な、しかも女性の髪に断りもなく触れる不躾なその行動に、ひとこと文句でも言ってやろうと、は振り向いた。
「悪い」
が文句を言う前に、髪をひいた犯人はもう触れないとでも言いたいのか両手を上げ、意外なほどにすんなりと謝った。
は、驚いた。
彼がすんなり謝ったこともだが、その人の容姿に。
着ている上質な着物のせいだけではない。
こんな田舎にはふさわしくない端麗すぎる顔、華やかな雰囲気を惜しげもなく放っていたからだ。
は、その雰囲気に圧倒され、半ば呆然となっていた。
そんなに、男は艶やかともいえる笑顔を浮かべて話しかける。
「その髪が本物か確かめたかった」
「髪?」
「いい色だろう」
「・・・・・・ああ、同じ色」
見かけによらず、案外気さくな話し方のおかげで、の肩の力もすうっと落ちた。
「若干俺の方が明るいな。ホラ、こうやって近くで比べてみたら、な?」
確かに、並べてみると一目瞭然。
の方が、若干温かみのある色に傾いているが。
「“な”、じゃありません。断りもなく人の髪に触れないでください」
「だから、それは悪かったって。同じ髪の色が珍しかったっていうのもあるし、あんたの髪、絹糸が日の光を吸ったみたいにすごくキレイだったからさ。つい」
「つい、じゃありません」
「俺のもそうなのか? 自分では見たことがないが」
そう爽快に笑う表情には、まったく悪びれた風は感じられない。
悪い人ではないと惑わされてしまいそうなくらいに。
は、ふいと視線をそらした。
「ここまで似た髪の色に出会ったのは初めてだな。 何処の出身だ?」
「ここです。ただ、父がローマの出だったので、その血が私に色濃く出たのだと思います」
「そうか! 随分と遠くから来たんだな」
「いえ、私は生まれも育ちもここです。父がこっちの占星術に興味を持って、研究を続けています」
すると、彼は、興味津々な瞳をキラキラ輝かせた。
「ということは、おまえの父は、他国のおもしろい話を色々知っているわけだな? おまえの家に行ってもいいか? 最近、暇で暇でしょうがない」
「丁重にお断り申し上げます。暇つぶしならどこか他のところへどぉーーーぞ!!」
「なぜだ!!!」
(なぜも、何も)
は、白い目を向けると、再び踵を返した。
「待て、待て!! 俺はけっして怪しいものじゃない!!」
(遅すぎる。やっと、自分が怪しまれているということがわかったのか)
は、すたすたとスピードを上げ、歩き始めた。
しかし、所詮は女の足。
男で、背も高く、鍛えているのかたくましく見える彼にとって、それは無いに等しい変化だったのだろう。
難なく、後をついてくる。
「ああ、そうか! 名か! 名だな!? 名も名乗らずに悪かった! 俺の名は、馬超という! 今は、劉備殿のところで働いている」
(馬超!?)
は、足を止めて、振り向いた。
(この人が?)
馬超と言えば、このへんでは知らないものがいないくらい有名だ。
勇猛果敢な将軍で、そのうえ二枚目で女性に大層モテると。
まさか、こんな辺鄙な地にいるとは思ってなかったので、はつい大きな目で見てしまう。
「・・・・・・・・人のことをジロジロ見るのは失礼なことではないのか?」
「偽者ですね」
は、また身体を翻して歩き始めた。
「まーーーーーーー! 待て待て待て待て!!! 悪かった、悪かった! 頼む! 頼むからおまえの名だけでも教えてくれ!」
「嫌ですッッ!」
力強く手をつかまれ、身動きがとれなくなったは、仕方なく足を止めた。
続いて馬超の優美な唇から紡がれた言葉は、その姿にふさわしくないほど脅迫めいていた。
「俺は名乗ったんだ。 知らない奴だなんて言わせないぞ。 それにな、俺はかなりしつこい。 自信がある。 今日、教えてくれないのならば、明日も来る。 明日も駄目だったら明後日だ」
「 !!!!! 」
(やばいのにつかまってしまった)
は、この目立つ髪に産んだ親をはじめて恨んだ。
もうこうなったら、腹をくくるしかない。
ひとつため息をつくと、その親につけてもらった名を告げた。
「・・・・・・・・・・です・・・・・・」
「か。 美しい名だな。 おまえのその美しい髪にぴったりの名だ」
馬超のような二枚目にそう言われたら舞い上がるのが常だと思うのだが、何故だろう。
不思議との心は、沈んでゆく一方だった。
(面倒ごとはごめんだ。・・・・・・・・ああ、なんだか嫌な予感がする)
は、彼に出会ってしまった不運に、がくりとうなだれた。
2009.7.13