傀儡








子供が数人、笑い声ともに脇をすり抜けていく。
その様を、太公望は目を細めて見送った。


道の両脇に並んだ露店を、きょろきょろと忙しなく見回しながら、周軍軍師太公望はその大きな瞳を輝かせ、少年の風情の残る丸い頬を僅かばかり紅潮させて満面の笑みを浮かべていた。
右手には糖菓の入った小袋を持ち、左手にはこれまた蜜を絡めた果実を持って、時折それを口に運びつつ目的地などないのか、のんびりとした歩調で人の波の中を歩いていく。
今日は城下で祭りが行われることを耳聡く聞きつけた太公望は、軍師としての仕事も何のその。完全に追いやって城を抜け出し、こうやってサボりを決め込んでいた。


「…キミ、一回りしたらすぐに帰るって言ってなかったっけ?」
そんな怠け軍師の後方に影のようについて歩いていた長身黒衣の青年が、そう溜め息まじりに問いかける。
純粋に祭りを楽しんでいるその様子が本当に嬉しそうで、こんな戦時中に、こんな笑顔が見られるのならばと、それまであえて否定的な言葉をかけるのをためらっていた太乙だったが、いつまでたっても城に帰ろうとしない太公望にさすがに呆れた風を隠せない。
そう。今は戦時中なのだ。
確かにこの祭りだけ見れば、活気の溢れる人々の生活の中にそんな暗いものが渦巻いているなどとは、すぐには思い浮かばないだろう。
しかし暗雲はこの道を行くどの人の背中にも垂れ込めていて、よく見ればこれだけの人出の祭りにしては露店の数も少なく、また並んでいる商品の数もたかが知れている。
ただこの国の王は、民から無法な量の税を搾取するようなこともないため、戦時中といえどもここ周国の民は割合に潤っているだけにすぎないのだ。
そしてそんな中で、彼は軍の最高幹部の一人で。本当ならばこんな、どこの誰がいるとも知れない人混みの中をろくな護衛も付けずに歩くなど、していいはずがない。
勿論、なにかあれば太乙はどんな手を使っても太公望を守るつもりではある。が、自分が護衛の役を十分担えるような器だとはさすがに思ってはいない。
それが太乙の中での拭いきれない不安材料であった。


まあ、こうなることは予想の範疇だったけどね。
そう心中で呟くと、太乙は自分がかけた言葉によっていささか不機嫌になったのか、への字口で振り返った太公望に肩をすくめてみせる。
「そろそろ帰って真面目に仕事しないと、きっと今頃周公旦くんがハリセン片手に怒りまくってると思うけど?」
「人がせっかく楽しんでおるときに無粋なことを言うでない。知らんのか? 祭とはゆっくり楽しむためにあるのだ」
いや、それは時と場合と立場でかなり変わってくるものだと思うんだけど。といった台詞を飲み込んで、太乙はやんわりと笑う。
「駄目」
「ええい! ケチ臭いことを言うでないわ!」
「ケチって、…キミねぇ」
本当に。もう少し、自分の立場というものを自覚して欲しいものだ。
しかも───自分よりは確かに遥かに年下ではあるが───見た目に反して、結構いい年なわけでもあるし。
肩をすくめて、いい加減苦言を述べようとした太乙だったが、突然太公望に腕をつかまれ、その思いもよらない行動に瞠目する。


「ならば最後に、あれが見たい!」
そう言われるなり太乙は、ズルズルと引きずられて、ある人だかりの前に連れてこられた。
「むー、やはりまだ人はひいておらぬようだのう」
着くなり太公望は眉間に皺を寄せ、唇を突き出して残念そうな声を上げる。
そういえばと、太乙は先程この場所を通った時に、太公望がこの人だかりを気にしていたことを思い出す。
しかし人垣が高すぎて、太公望の身長では中の様子を伺うことができなかったのだ。
「おぬし、何をやっておるか見えるか?」
焦れったそうに自分の横でピョンピョンと跳びはねている太公望の代わりに、太乙は手を額に当て、人の頭と頭の隙間に視線を潜り込ませると、背伸びをしてなんとかその向こうを伺う。
そうすると、小さな演台の上で、やはり小さな人形がくるくると踊っているのが見えた。
人形には細い糸が結ばれており、その糸を使い手が引いたり撓ませたりすることでピョコピョコと道化のように跳んだり跳ねたりを繰り返す。


「人形芝居をやってるみたいだね」
「なに! う〜む、ここからでは見えぬ〜〜〜〜〜っ!!」
どうにも見たいらしく、太公望は人混みの後方でいろいろと体勢を変えてみるものの、きちんと列を作っているわけでもない人垣は、そう易々とその視線を通してくれそうにない。
「抱っこしてあげようか?」
にこり、と笑って太乙がそう口にすれば、太公望の表情が途端に厭そうなものへと変わる。
「…子供ではないぞ」
「知ってるよ」
しれっとそう言い、やはり笑顔のままでハイと両掌を差し出すと、太公望は眉間のしわをますます深くした。
「そんなこっぱずかしい事ができるかッ!!」
「見なくてもいいのかい?」
「なにかそれ以外で他の方法を考えよ」
「…んー、人が引けるまで待つとか」
「今まで散々待って引けなかったものが、そうそう引けるか」
その太公望の台詞に、今まで散々うろうろしていた理由を悟り、太乙は苦笑した。


「これは普通に待っておっても、なかなか見られそうにないのう」
太公望は顎に拳を当てて少し考えるような仕草をすると、ちらりと太乙を見た。
その視線に何か不穏なものを感じて、太乙が僅かに後ずさる。
「太乙、おぬし何か芸をしろ」
「─── はい?」
あまりに唐突な提案に、太乙は何と応えていいか分からず、首を傾げることもできずに聞き返した。
「ホレ、おぬしが向かいで何かやっとれば、そこの見物人たちもそっちに流れるであろうからな。そして空いたところをわしが観るのだ」
「うわ、なにそれ。自分勝手だなぁ」
「ほれ、何か宴会芸に役立つような宝貝は持っとらんのか? 宝貝自慢は得意であろうが、それをすればいいのだ」
こちらの言い分など聞く気もないように急かす太公望に、太乙は苦笑しつつも頭を掻き、我ながら甘いなぁと思いつつも使えそうな宝貝は何かあったかと考えるのだった。


      ***


「ヒドイ、ヒド過ぎる…」
「ん〜、満足満足♪」


城への岐路。片やヨレヨレ、片や御機嫌な面持ちで伸びをする、対照的な二人の姿がそこにあった。
結局太公望の我侭を聞く形で、太乙が手持ちの宝貝───どこに持っていたのかは不明───を使って水芸等を披露する破目になったのではあるが、どんなにやる気なくやっていたとしても、さすが十二仙の宝貝。
たちまち太乙の前には黒山の人だかりが出来た。
しかし、その人だかりは少々コワイ方々も呼んでしまい。


「好きでやってるわけでも、お金取ってるわけでもないのに、”ショバ代”払えとかって追いかけられた私の身にもなっておくれよ!!」
「うむ。おぬしがしばらく追いかけっこをしておってくれたおかげで、わしはゆーっくり人形芝居を観られたしのう。感謝しておるぞ、太乙」
太公望は振り向きざまににやりと口角を上げ、さすが毎日ナタクに追いかけられているだけある、と感謝の欠片も感じられないような声でわははと笑う。
「…ヒド…」
止めを刺されたように、太乙はがっくりと項垂れた。
しかしこんな事でへこたれていては太公望のお守りは務まらない。
案の定、再び視線を戻した時には、太公望はすでにこちらを見ておらず、太乙は半ば諦めた様に嘆息した。


視界に映る小さな後ろ姿。
その背中には見えない糸がついている。
糸の端を握っているのは…。


太乙は澄んだ青空を見上げた。
あの高みから真っ直ぐ地上に降ろされた、操り人形のようなキミ。
人形の意志が強すぎて、少し糸が縺れてはいるみたいだけれど、それでも今のこの現状は誰かが決めたシナリオ通りに進んでいるのだろう。
操られていることを知っているから、キミはそんなにも道化のように振る舞うのだろうか。


その糸を断ち切る力を、私は持っていないけれど。


「ホレ、帰るのであろうが。さっさと歩かんか」
ぼんやりと考え込んでいる太乙に、太公望は僅かに苛立ったような声を上げ、振り返り様に手を伸ばす仕草をした。
それは、早く歩けとのジェスチャーに他ならないが。
「え? 何? 手をつないで帰るの?」
太乙はそう茶化すように言ってみる。
案の定、太公望は、先程抱っこしてあげようかと言った時と同じようにその表情を変えた。
しかしその後は、先程とは微妙に違う。
「…まあ? 見た目はどうあれ、実年齢はよぼよぼのお年寄りだからのう。疲れたのならば仕方ない、手を引いて帰ってやってもかまわんが?」
「…うっわー、それ嬉しくない言われ方だなぁ」
そう言いつつも、太乙は歩を速めて太公望に追いつくと、ちゃっかりとその手を握った。


どうやっても自由の少ない君だから。せめて。
このくらいのキミのわがままなら、出来るだけ全て叶えてあげよう。









― 終 ―










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