この日の中央会議は和やかな空気で始った。
剣士としての盛りを越えた第二部隊長が退団を決め、その慰労と後任人事決議を沙汰するための召集。第二隊長の功績を称えるもの、実は内心「やれやれ、つかえていた上が消えて地位が繰り上がる」と喜ぶもの、思いは様々ながら、去り行く騎士に礼を尽くす場であるのは間違いなかった。
「何せ、騎士隊長職は狭き門。老いたものが長々と居座っていては、若者の機会を潰してしまいますからな。やはり、引き際は弁えねばと考えた次第で」
第二隊長が謙虚に言えば、他の男たちはこぞって称賛する。
「いやあ、見事な御決断、感服しきりです。わたしもそろそろ先々を考える歳になりましたからなあ。これはひとつ、見習わせていただかねば」
「位階者閣議に若い騎士が入ってくれば、良い刺激になりましょう。さて、わたしも進退を決す時期かもしれませんな」
そう言う騎士に限って辞す気など毛頭無いのが明らかだ。死亡、あるいは退団によって上位者が退かぬうちは昇格が見込めぬ地位だけに、漸く掴んだ栄誉を離すまい、ついでにもう少し上がれたら、と考えているのが透けていた。
さて、と議会進行を担う副長が背を正す。
「では、新任騎士隊長の選出に入る。これはと思う部下がいれば挙げるが良い」
騎士隊長たちは表情を引き締めた。真っ先に挙手したのは第一部隊長である。
「我が副官、カミュー騎士を推挙致します」
「カミュー?」
一斉に首を捻る男たちの間から、ポツリポツリと呟きが洩れ始めた。
「ああ、……いましたな、そのような名の騎士が」
「そうそう、やけに容貌の整った騎士でしたか」
「いましたいました。やたら美々しい、線の細い男ですな」
今ひとつパッとしない反応に苛立ったように、第一隊長は声を張る。
「万事聡明、武功も豊富、礼節にも厚い。まこと、騎士隊長に相応しき人物だ」
「しかしですなあ……」
間髪入れずに第四騎士隊長が口を挟んだ。
「確か彼はグラスランドの出身では?」
「然様。それもあってか、ものの考え方が実に柔軟で自由だ。あれは我が赤騎士団の旋風となろう」
長く手元で当人を検分してきた上官の言い分は、だがあっさりと否定の渦に巻き込まれた。
「そうは仰るが……栄え有る騎士団位階者とするには、グラスランド出自は芳しくありませんぞ」
「幾ら取り繕ったところで、所詮は野蛮な野育ち。一騎士であるうちはともかく、地位を与えてしまっては、いずれボロが出るに相違ありません」
「マチルダ出で、家柄の良い騎士は他に幾らでもいるのです。何も好んでグラスランドの人間を選ぶ必要はないと思われますな」
圧倒的な反対意見だ。第一隊長は予想に反した成り行きに言葉を詰まらせる。代わりとばかりに、一人の騎士隊長が控え目に発言した。
「しかしながら、実力第一、出自を問わぬのが騎士団の信条。斯様な理由で才ある人物を退けるのは不当ではありませぬか?」
まっとう且つ真摯な言いようだったが、下位者の意見であったために、これもさらりと無視された。
名の上がった騎士には、その場で信任投票が行われるのが常だが、第一隊長と第九隊長を除く全員が不賛意を隠さず、そのうちに第二部隊所属騎士の名が囁かれ始め、結局は投票にすら至らぬままカミューは退けられ、その人物が新たな隊長職を得たのだった。
会議の流れを見て、赤騎士団長は嘆息していた。彼もカミューに一目置いていたからである。
だが、十人の隊長の間で信任を得られぬ人物を昇格させる訳にはいかない。位階者たちが退出していった後、騎士団長は親交厚い第一隊長を手招いてむっつりと愚痴った。
「今日、改めて分かったよ。ああいう馬鹿ばかり揃っていたから、わたしが若くして地位を極めたのだとね。ほら、何と言ったか……カミューと同期入団した青騎士は、もう第五隊長になっているのだろう?」
はあ、と第一隊長は項垂れる。
実力を正しく評価されぬ現状、何とかならぬものかと憂いつつ、「多数決」と言われてしまえばそれまでだ。
「カミューは本当に哀れです。なまじ端正なだけに侮られる。あれほど剛胆な騎士はおりませんのに」
「そう言えば、あの連中……やけに容姿に拘っていたね。どうせ、彼のような青年が騎士隊長になっては、自分たちの容貌の劣り具合が目立つ、とでも考えているんだろう」
最後に赤騎士団長は不快もあらわに言い放った。
「……いっそあの連中も辞めてくれないだろうか。カミューをはじめ、有能な騎士に囲まれていれば、わたしも毎日を楽しく過ごせるのだけれどね……」
有能な位階者で自団を動かす日々を夢見ていた赤騎士団長と第一隊長は、半年後、ハイランド王国との国境紛争によって戦没した。惜しまれる人物ほど早死にするという定説を体現したかのような最期であった。
流石に此度の中央会議には深刻な空気が垂れ込めている。滅多に欠けない位階者、それも上位者が二名も同時に失われたのだ。「繰り上がって嬉しい」と表に出すものもなく、閣議は粛々と始まった。
副長から新団長に就任した男が、疲れた顔で進行役を請け負う。
「では、現位階者たちはそれぞれ二位階昇格ということで……新任隊長を二名選出しなければならぬ。推挙する騎士は?」
以前、第一隊長と共にカミューを支持した男──この昇進で第七隊長となっていた──が、亡き人の意を継ごうとするかのようにカミューを推薦する。
けれどやはり、この意見も総勢から拒否された。騎士は日頃の温厚も忘れて憤慨した。
「何ゆえ然迄も出自に拘られるのです。それでは、実直につとめる他国出自の騎士が気力を損なってしまうではありませんか」
「分かってないな」
ちちち、と指を振り、上位騎士隊長が言った。
「良いか? 我らもカミューの美貌は認めている。あれほど目映い騎士は十年、いや、二十年に一人の逸物といったところだろう」
「確かに男にしておくには惜しい程なまめかしい。見ていると、ついくらくらと……」
「故人を貶めるつもりはないが、先の第一隊長殿は、あの色香に誑かされてしまわれていたのだろう。無理もない」
「───誰も色香の話などしておりませぬが」
「ええい、聞け! あのように容姿端麗なるものを位階者入りさせては、我らの影が薄くなるではないか!」
「然様。小耳に挟んだところでは、あやつは街の乙女にもたいそう人気があるとか」
「乙女だけではございませぬぞ、男も集団でよろめいておるそうな」
終いに第一隊長がドンと机を打った。
「グラスランド出の若造が民の関心を一人占め、斯様な事態は望ましくないのだ!」
ううむ、と新第七隊長は頭を抱えたい心地になった。
これは酷い。相当に酷い。心正しき人たち亡き今、どうやら赤騎士団中枢にはすっかり腐り果てたものばかりが残ってしまったようである。
彼が、他隊長らが自らの部下を推薦する方向へ傾く様を暗澹たる眼差しで見ていると、ふと、それまで押し黙っていた新副長が声を上げた。
「待て。わたしもカミューの就任を支持する」
これには騎士隊長らも呆気に取られた。何しろ上から二番目の意見であるから、軽々しく一蹴することも出来ず、おずおずと顔色を窺うしかない。
「……副長?」
「おまえたちの勢いが凄まじく、口を挟む隙を見つけるのに手間取ってしまった。前回の閣議では、あまり彼を良く知らず意を述べられなかったが……わたしはこの半年、努めて情報を集めてみるよう心掛けていたのだ。まこと亡き方が仰せだった通り、カミューは立派な騎士ではないか」
「し、しかし副長……」
「素行に問題がございますぞ。乙女と見れば良い顔をする男です。大変なタラシですぞ」
「相手が乙女に限らず、もともと顔が良いのだ、その言いようは誤りであろう。それに、あれでなかなか身持ちは固い。娘の婿に欲しいほどだ。カミューが誑しているのではなく、彼に惹かれて乙女の方が近寄ってきているだけではないか」
何と羨ましい───騎士たちの表情は雄弁だ。新副長はひっそり首を振った。
「しかも、彼にはゴルドー様も目を掛けておられる」
「な、何ですと? ゴルドー様が?」
「戦前、部隊内で剣の試合が行われていた。わたしも様子を見に行っていたのだが、たまたまゴルドー様が立ち寄られて、「あの華麗な剣技を駆使する華麗な容貌の騎士は誰か」と関心を示しておられた。彼が無位であるのを不思議に思われていたようでもあった」
いきなり一同はどんよりと減り込んだ。
見目の良い、誰にでも好かれる若い騎士を妬む気持ちは捨てようがない。けれど、全騎士団の頂点にあるゴルドーまでもがカミューに注目しているとあっては、あまりあからさまに青年の前途を塞ぐのもまずい、そう考え始めたのである。
そうして気詰まりな沈黙が続いた、正にそのとき。
けたたましい音を上げて窓硝子が割れた。ぎょっと竦み上がった一同は、床に転がった掌大の石に唖然とする。すぐさま一人が風通しのよくなった窓辺へと駆け寄り、庭地を見下ろした。
「誰だ、石を投げたのはー!」
場の最下位者、第八隊長も隣に滑り込んで、大穴の開いた窓を開き切る。
「閣議中と知っての狼藉か、不届者め! 処罰の上、硝子代を俸給から差っ引いてやるー!」
両者の怒鳴り声に驚いた数人の警邏騎士が飛んできて、割れた窓を見上げながら叫んだ。
「如何なさいました?」
「曲者だ、まだそこらに居る筈ゆえ、追え! 何としても捕らえよ!」
命じられた男たちが一斉に駆け出すのを見送った後、二人は仲間へと視線を戻した。
「まったく……風紀がなっておりませんな。とんでもない悪戯をする」
「それもこんなに大きな石を……頭にでも当たったら大事でしたぞ」
着席したまま忌ま忌ましげに床の石を睨んだ一人が、はたと眉を顰める。
「あいや待たれよ。ただの石ではないようだ、何やら文のようなものが……」
どれ、と第一隊長が手に取ると、成程、石には封筒が括り付けられていた。慎重に紐を解いて石から外したそれを矯めつ眇めつし、彼はいっそう険しい顔になった。
「……面妖な。差出人は「ファントム」となっている」
「何と? それは我が領内に出没する魔物ではありませんか」
「魔物が嫌がらせをするため城に乗り込んできたと?」
「……いや、乗り込む前に、魔物は文など書くまい」
げんなりと赤騎士団長が言い、封を開けるよう部下に命じた。ガサガサと広げられた紙面には、次のように記されていた。
『欠けた騎士隊長の一人には、第一部隊所属のカミュー騎士を任命せよ。この指示が守られなかった折には、貴公らに大いなる禍が振り掛かるだろう』
「笑止! 禍だと? 魔物如きが騎士団の人事に物言いとは!」
「いえ、ですから魔物が書いた文ではないと───」
引き攣りながら第七隊長が言葉を挟む。
「おそらく騎士団内にも、カミューを位階者にと望む動きがあるのでしょう」
「何ィ、つまりあやつは取り巻きを操って我らを脅迫しようと言うのか!」
「とんでもない。彼は無欲で清廉な人物です、他人に斯様な真似をさせる男ではありません」
「貴様、何故そうまでカミューの肩を持つ! さては、あの色香によろめいたクチだな!」
「……すると、彼の就任を支持したわたしも、よろめいた一人となる訳か」
「あっ! いいえ、副長! 今のは言葉の綾にて……お、お許しいただきたく……」
すっかり混乱に陥った一同を冷ややかな目で眺め遣った赤騎士団長が、とうとう面倒臭そうに宣言した。
「もう良い。「ファントム」とやらの脅しに屈する訳ではないが、ゴルドー様も気に入っておられるというのが本当なら、カミューを隊長職に就けておいた方が無難だ。さっさともう一人を挙げよ、いつまで経っても会議が終わらないではないか。それと、そこのおまえ。そのまま窓の前に立っているように。多少は隙間風が防げようからな」
こうして赤騎士団・第一部隊騎士カミューは、晴れて隊長位に昇った。
いま一人の候補は明らかに彼に劣る人物だったのに、そちらが第九隊長で、カミューが末席を充てられたのは、反対し続けた騎士たちのささやかな意諏返しであったようだ。
議場に石を投げ込んだ不届者は、結局捕えることが出来なかった。
追跡した警邏騎士の言によれば、相手は非常に逃げ足が速く、その上フード付きの黒マントを身に付けていて、正体も見顕せなかった────が、少なくとも魔物ではなかったという。
追われる最中、ほんの僅かに振り返ったマントの人物は、フードで良く見えなかったものの、顔を覆う真っ白な面をつけていたらしい。面相さえ割れれば硝子代を弁償させられたのに、と騎士隊長たちはいたく無念がったが、後の祭りだ。
ここで取り押さえられなかったことが、更なる不穏への幕開けとなったのだが、このとき赤騎士団・位階者たちは、まだその真の恐怖を知らずにいた。
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