噂の真相


 

「ちょーっと待って! これで終わり?!」
ニナが原稿から顔を上げて叫んだ。エミリアは眼鏡を擦り上げながら微笑む。
「そうよ」
「うそ、冗談でしょエミリアさん。完結編が『寸止め』なんて、みんな納得しないわ!!」
──黙っていれば可憐な美少女、一皮剥けば本拠地の煩悩指導者。グリンヒル出身のニナは、色々な意味で周囲から一目置かれている。
「……『寸止め』もなかなかいいものよ? 読者さんに想像の余地を与えるわけだし」
諭すようなエミリアに、しかしニナはぶんぶんと首を振った。
「駄目よ、エミリアさん。『マチルダ・愛の日々』シリーズはただでさえ合意だからハードな場面が少ないっていうのに……その上、完結編が挿入なしってのは許されないわよう!」
「そうかしら。でも最後なわけだし……ほのぼのと終わった方が、らしいんじゃない?」
それまで黙っていたリィナが横から口を挟んだ。彼女のしなやかな指先は、作中マイクロトフがカミューに言い寄るあたりで止まっている。アイリも姉の手元を覗き込んだ。
「うふふ……これ、すごく彼らしいわ。いつもカミューさんに上手にあしらわれているから仕返ししたいのに、やっぱり掌で転がされているあたり……そのものよねえ」
「あ、アネキもそう思う? あたいもさー、屋上で始めちゃうのは二人らしくないって思うな。第一、カミューさんが許さないよ」
「駄目────ッ、そのくらい相手が大事で必要なんだ!ってのが重要なの!! 今度の話はこれまでで一番あっさりしてるじゃない。キスシーンだって少ないし〜」
エミリアがリィナから原稿を受け取り、ページを捲りながら首を傾げた。
「そうかしら……」
「そうよ!! 読者さんからは『もっと濃厚に』とか『まだまだ激しく』とか、いっぱいリクエスト来てたのに……読んだでしょう?」
「……読んだわよ、騎士団からの組織票でしょう?」
がっくりと肩を落としたエミリアに同情するように、アイリが頷いた。
「定期購読者の8割が騎士団の連中だもんな……なんか、間違ってると思うよ……」
「わたし、男性読者をターゲットにしたのなんて初めてよ。どうしようかと悩んだわー」
「アイリの4コマ漫画も人気があったけど……一番熱い感想は、やはりエミリアさんの『マチルダ・愛の日々』シリーズだったものね」
「何言ってるの、リィナさん。あなたのシリアス個人誌だって、物凄く評判が良かったじゃない」
和気藹藹と互いの健闘をたたえ合う同志たちを、ニナは仁王立ちになって睨みつけた。
「もーう、そういうことを言ってるんじゃないのよ! エミリアさん、どうして完結編に挿入がないの? こってり濃厚、激しいのを読者さんは求めているのよ?」
「……でもねえ、合意でそうそう激しくはならないわよ。マイクロトフさんは直情型だけど、根本は純情なわけでしょ? ハイランド本のルカ・ブライトみたいにはいかないわ」
「そうね、わたしあの男に三回も斬られたのよ。ね、アイリ。『抜かずの三発』には納得したわ……」
「ああ、あのシリーズは凄かったな。良かったよな、思い切って通販申し込んでみて……同人に国境はない!って改めて思ったよ」
「あの人なら鬼畜プレイでも何でもいけるでしょうけど……マイクロトフさんじゃ無理よ。基本的にカミューさんに頭が上がらない設定なんだもの」
「そんなことない!!」
叫んだニナは、おもむろにテーブルの上にあった大きな箱の中身をぶちまけた。
「何これ??」
「あ、先月出した『愛が試されるとき──淫獣の囚われ人──』の感想? もう来たんだ」
アイリが指摘するなり、エミリアは赤く染まった顔を両手で覆った。
「いや、やめて!! あの本は忘れたいの! ああ、思い出しても顔から火が出そう。あのときは何かに取り憑かれていたのよ〜〜」
「何言ってるんですか、エミリアさん! しっかり読んでよ、この感想を!!」
嫌がるエミリアに、ほれほれとニナは分厚い封書を突き付ける。恐る恐るといった風に手に取って手紙を読み始めたエミリアが、次第に困惑を深めていく。
「ニナちゃん、これ…………」

『「淫獣」、すっごく良かったです!! もう最高です! ケダモノと化したマイクロトフ様がカミュー様に襲い掛かるシーン、鼻血が出そうでした! いつもソフトなラブシーンが多かったけど、いやあ、強姦モノって燃えますねえ。あれからカミュー様のお顔を見るたび思い出してしまって、困りました。泣きながら許しを乞うカミュー様…………ああ、もう!! 次も是非、こういうハードなのをお待ちしてます♪  続編希望・赤騎士Bより』

『マイクロトフ団長がこれほどSの似合うキャラだとは、ついぞ想像したことがありませんでした。いつもカミュー様に怒られてばかりおいでなので、実は精神的Mかと……(笑)。でもいいですね、「さっさと脚を開け、痛い目に遭いたいか」には背筋が震えました。本物のマイクロトフ団長じゃ、死んでも言えないだろうなあ。『淫欲の紋章』、本当にあったらいいですよね。そうしたら仲間と地の果てまでも探しに行って、団長に贈るのに。 青騎士ぽんちゃんより』

『今、最高に燃えてます。マチルダ・ハンター様(エミリアのペンネームである)、一生ついていきます! 僕は友人に勧められてこの本を読んだんですが、すぐにバックナンバーも全部揃えました。ラブラブ甘々もいいけれど、やっぱりこの本が最初だったからかなあ、物凄いインパクトです。あのカミュー様が犯られまくるってのは衝撃でした。マイクロトフ団長(いや、淫獣か)の鬼畜ぶりも堂に入ってましたし、読み終えてすぐには日常復帰できませんでした。他の友人にも勧めたんですが、大評判で……。何度か集まって座談会なんかやっちゃってます。今後もこうした凄い作品を楽しみにしてます!  カミュー様の喘ぎになりたいWより』

手紙を広げるたびに青褪めていくエミリア。怪訝そうに近寄ったアイリも、彼女の手から零れる書面を見て、同じように蒼白になった。
「ニナ、これって……」
「『ハードコアを望む読者様の熱い声』、よ!!」
「お、男ばっかり……な、何で……?」
「さすがに8割ねえ…………」
「確かに甘々ラブラブもいいわ。でも、基本は無理矢理よ!! 嫌がるのを捩じ伏せてコトに及ぶのが、真のやおい道よ! もとが不自然な関係なんだもの、フツーにおさまっちゃ、男女のラブロマンスと変わらないじゃない」
「で、でもねニナちゃん……」
何とか衝撃から立ち直ったエミリアは、恐る恐る口を開いた。
「モデルがいる以上、そうはイメージを外せないわ。あのマイクロトフさんが、嫌がるカミューさんを無理矢理……なんて、できないわよ」
「いーえ、やれます!! この投書の山がそれを求めているんですから!」
「でもね。あのお話は一種のパロディだったのよ? 呪われた紋章に人格を乗っ取られたマイクロトフさん、そういう設定だったし……つまり、理性のない状態だったわけで」
ニナの勢いにおされがちのエミリアの援護に回ったリィナだったが、鋭い一喝に凍りついた。
「普段だって理性なんか無いようなものじゃない、あの人は!!」
言われてみればその通りのような気もして、思わず頷いてしまう。
「でもね、もう締め切り二日も過ぎてるし……直しとなったらマルロ君が泣くわ」
いかにも年長者らしく理詰めで宥め始めたエミリアの脳裏には、先月、締め切りを延ばした結果、過労で倒れて寝込んだマルロの哀れな姿がちらついていた。それはニナにもわかっている。いつも無理を言っても、黙々と仕事をこなしてくれたおとなしい少年の存在には、彼女も心から感謝しているのだ。
「──わかりました」
終に呟いたニナに一同がほっとしたのも束の間、次の言葉に目を剥いた。
「この本はこれでいきましょう。でも、別にもう一冊作ります。マチルダ・サークル・ファイナル、特別記念保存版です!」
「も、もう一冊?!」
「……まだやるの? 戦争は終わったのに」
「本気かよ?」
ニナは両手を腰に当てて高らかに宣言する。
「やります、すべての読者さんに愛と感謝を込めて!! マチルダ・サークルのすべてを注ぐ、官能の18禁本です!! アイリちゃん、あなたの4コマもエロを入れるように!!」
「4コマでエロ?! あたいギャグしか出来ないよ〜〜」
「リィナさん、今度の本は修正なしでいきますから、思う存分描いちゃってください!」
「し、修正なし……?」
「資料が足りなければビッキーちゃんに頼んで、二人が入浴中のお風呂にでもテレポートして観察してきてください!」
「……それはちょっと…………」
「エミリアさんには特に頑張ってもらわなきゃ。と・に・か・くハードに!!お願いします。ふん縛っても、ぶん殴ってもいいから、もうガンガン犯って犯って、犯りまくってください!!!」
「ニ、ニナちゃん…………」
「ええもう、紋章だろうが魔法だろうが薬だろうがモンスターだろうが、使えるものは何でも使っちゃって、ないものは作っちゃって、愛欲の一大パラダイス巨編をお願いしますね!」
「18禁じゃ…………あなたも読めないわよ?」
「あ、あたいも駄目だ」
リィナのもっともな忠告も、アイリの阿るような同意も、すでに少女の耳には入っていない。思い込んだら一直線、日頃笑の種にしている某青騎士団長とそっくりな姿に、これまで行動を共にしてきた同志も思わず身体を退いている。
「マチルダ・サークル、最後の仕事です! めくるめく官能のひとときを、これまで長いこと応援してくれた読者さんへ感謝を込めて贈るんです!! これこそ新しい時代への第一歩、やおい同人女の心意気ですっっっっっ」
「────見事な心意気ですね」
ふと、低い声が割り込んだ。四人ははっと顔を見合わせた。
冷たい汗が浮かんでくる。彼女らは確かにその声に聞き覚えがあった。
「失礼してもよろしいでしょうか、レディ?」
丁寧な中にも何処か冷ややかな響き。
彼女らが作中で散々弄んできた青年が、返答を待たずに静かに部屋に入ってくる。
「この城に来てからというもの、どうも部下の様子がおかしいので少々問い詰めてみたところ、興味深い本が出回っていると白状しまして」
(ひーッ)
(バカバカ、赤騎士の軟弱者〜〜〜!)
「確かめさせていただこうと思いまして……これ、その原稿ですか?」
「あっっ、それは……!!」
止める間もなく白い手袋が原稿の束を取り上げた。エミリアの必死の制止の手は、空しく中に浮いた。
「──なるほど、シリーズ完結編なのですね」
凍りつくような沈黙が広がる。四人は生きた心地も無く、手を取り合って震えた。
(ど、どうするんだよ?)
(どうするったって、読んじゃってるじゃない〜! 助けて、フリックさーん)
(何でわたしの原稿だけ…………)
(せめてアイリのほのぼの4コマだったら)
声にならない声で囁き合う。その間にも、時折ページを捲る乾いた音だけが室内に響いていた。
やがて最後のページを読み終えた赤騎士団長カミューは、丁寧に原稿を元に戻した。
「……よくおわかりになりましたね、我らが騎士団の再興を考えていると」
「え? じゃあ……」
「明日にもロックアックスに向けて出立するつもりです。残念ながら、我が団員はこの作品を読むことはできませんね」
穏やかな笑みに勇気付けられたように、リィナが口を開いた。
「では、ほんとうに騎士団を……?」
「ええ」
彼は原稿をテーブルに置いて四人を見た。
「──出来上がったら、ロックアックスに届けてください。部下たちはシリーズの続きを心待ちにしているようですから」
意外な反応に、四人はまたも顔を見合わせる。
「あのう…………」
一同を代表してエミリアが進み出た。
「はい?」
「…………怒って……いらっしゃらないのかしら?」
カミューはしどけない溜め息をついた。
「どうやら流行っているようですね。初めてではありません。ロックアックスのレディ方がこうした本を作っているのを知ったときには、さすがに倒れそうになりましたが……」
「あ、あの」
エミリアは息を詰めて身体を強張らせた。長い同人生活においても、モデルを目の前に語り合うなど初めての体験である。
「わたしたちの……他の本も、お読みになられた……とか?」
「問い詰めた部下が貸してくれました」
(あーーっ、信じられない!!)
(馬鹿たれ〜〜〜〜)
「ただ──……一冊だけ、死んでも貸せないというものがありましたが」
(あれだ…………)
(『淫獣』だわ…………)
(えらいっ、ありがとう赤騎士!! あれを読まれていたら、今頃紋章で丸焼けよ〜〜〜)
「多少気にはなりましたが……泣いて縋られてはどうしようもありませんし。何でも、番外編だから読まなくても話は通じるということでしたので」
「あ、あのう、それで………………どうでした、うちの本?」
おずおずと、だが心底興味深げに尋ねたニナに、残りの三人は飛び上がった。が、そんな彼女らの反応をよそに、カミューは優雅に頷いた。
「ロックアックスで読んだものよりは、はるかに出来がよかったですね。あれはひどかった……。何しろストーリーも何もなかったですから。その点、こちらのシリーズなどは、一応物語になっていますからね」
「あの……ロックアックスで読まれたお話って、どういうものだったのかしら?」
各地を流れる旅芸人としての性か、リィナがすかさず問い掛けた。いずれ、その地を訪れるときのための参考とするつもりである。一方、話の展開に息を殺しながら、つい椅子を勧めてしまうアイリだった。
「あ、どうも。そうですね……例えば……いわゆる『強姦モノ』という本ですか。事の前後が何もない。いきなり始まって、いきなり終わる。あれはいったい何だったのか、今でも理解不能です」
あっさり語られた言葉にぎょっとしながら、一同の目はさりげなくニナに向けられた。
「ご……強姦モノ、駄目……ですか?」
ニナは唾を飲み込みながら尋ねた。
「駄目ですね。あれは無理があります。だいたいからして、男が男を強姦するなど、そうそうできるものではありませんよ」
「…………………………………………」
「たとえどんなに腕力差があろうと、本気で抵抗する相手を押さえ込むのは容易なことではない。それこそ殴り倒すか、縛り上げないことには服を脱がすのだって難しいでしょう」
カミューは淡々と指摘する。
「つまり、そういうことです。あのマイクロトフが、倒れるまでわたしを殴るなど、できると思いますか?」
(『淫獣』では散々やっちゃったわよ、カミューさん……)
(だけど、やっぱり現実じゃ……)
「む──、無理でしょうね…………」
いかにも可笑しそうにカミューは微笑んだ。
「でしょう? 設定からして無茶ですよ。わたしに少しでも受け入れる余地がなければ不可能です。マイクロトフとわたしでは、『完全なる強姦もの』など成立しませんね」
うーむと考え込んだ同人ユニットは、終にひとつの結論に到達してしまった。
「つ、つまり…………和姦なら成立する、ということでしょうか??」
「──フィクションとしては、ですよ」
くすくす笑ってカミューは立ち上がった。
「まあ……こうした本が出回るのはあまりありがたくはありませんが、ここでの部下たちが生き生きとしていたのは事実です。厳しい戦いの息抜きになったのなら、許容するしかないでしょう。それほど心は狭くないつもりです。困ったものだとは思いますが」
「カミューさん……」
「再興された騎士団に最後の本が届くとなれば、彼らも励まされるかもしれませんしね。まあ、ほどほどに頑張ってください」
「え、ええ…………ありがとうございます……」
カミューは典雅な騎士団の礼をして歩き出した。扉に手を掛けたところで、少し考えて振り返る。
「ああ、その原稿のことですが…………」
「はっ、はい!!」
エミリアが背筋を伸ばした。さながら騎士の敬礼のようだ。
「屋上で彼が求めてくるシーン──……」
カミューはやや苦笑して、それから肩を竦めた。
「────別に、張り倒したりなどしませんよ」
「は?」
「求められれば、拒みません。『彼の望みが、わたしの望み』ですから。その点を修正していただければ、ありがたいですね」
呆気にとられている一同を残してカミューは出ていった。廊下を遠ざかる規則正しい足音が消えた頃、最強のレディたちは一斉に噴火していた。
「う、うそ────ッ」
「本物、本物、本物〜〜!!!」
「いやーっ、うそうそうそ、生きてて良かった〜〜〜!!!!!」
遥か彼方から聞こえてくる獣たちの雄叫びに、カミューはなまめいた吐息を吐いていた。
(──ま、最後だしな……レディを喜ばせるのも騎士のつとめだ。しかし、最近のレディたちは恐ろしい。あれに比べたら、マイクロトフの方がはるかに純情で可愛いものだ。やはりわたしにはあいつしかいない…………)

 

 

その後、見事に再興されたマチルダ騎士団に、数箱の荷物が届いた。
同盟軍・本拠地で活動していたマチルダ・サークル、最後の作品群。
『マチルダ・愛の日々』シリーズ完結編と、もう一冊はこてこての甘々、らぶらぶな記念本であった。
あの日のカミューの爆弾発言に、ニナは路線の変更を余儀なくされたらしい。
騎士たちが狂喜乱舞したのは言うまでもないが、当事者二人はその頃、すでに仲良くグラスランドへ旅立っていた。
マイクロトフがそれらの本の存在を知っていたか、またその中で散々『早い・下手』呼ばわりされていたのを知っていたかどうかは定かではない────。

 

         前に戻る。                          おしまい。


        如何でしたか?
   確か2月か3月頃に書いたものですが、
すでにお笑いに片足を突っ込んでいたようです。

さて、エミリア女史が血迷って書いてしまったという話、怖いことにあるのです…………(爆笑)
隠蔽の間で近々連載を始めようかと思ってます。
   長いし、「これでもか!!」ってくらい
  赤が酷い目に遭ってますが(死) えへへへ。
    大丈夫な方はお付き合いください〜(笑)
   S嗜好もあったのね、奥江……って感じ?

 

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