彼らの選択 ACT37


ラウルに導かれて執務室に入ったミゲルは、居並ぶ騎士隊長たちに驚いた顔を見せたが、すぐに姿勢を正した。
「従騎士ミゲル、入ります!」
真っ直ぐにカミューの机の前まで進んだ彼は、自分を見詰めるカミューの視線に微かに眉を寄せた。
「────久しいな……と言うべきかな、ミゲル」
静かな口調にますます怪訝に思い、傍らに立つマイクロトフを見遣る。彼が頷くのを見て、はっと目を見開いた。
「カミュー……団長────」
ローウェルが隣から口を開いた。
「ミゲル、どうやらおまえも事情を知ってしまったようだ。しかし、いったいどうしてわかったのだ? 他の騎士隊長たちは誰も気づかなかったと言うのに……」
これは一同の疑問を代弁していた。ミゲルは躊躇しながら答えた。
「おれ……昨日、団長のお見舞いに……」
「見舞い? そうか、それは迂闊だった」
ランドが大きく溜め息を吐いた。ローウェルらも、互いを見回しながら首を振っていた。しかし、カミューはじっとミゲルを見詰めるばかりだった。

 

朝、寝室から出たときに最初に目に止まったテーブルの上に置き去りにされていたバラの花束。
やや元気を失くしているのに急いで花瓶を取り出しながら、どこか違和感を感じていた。マイクロトフが買い求めてきたのだろうと思ったが、彼にはあまりに不似合いな行為だったからだ。
唐突に、すべての糸が繋がった。青年の心を取り戻したカミューは、誰よりもそうした機微には聡かった。

 

「……元に────戻られたんですね……?」
騎士隊長らの反応も無縁に、ミゲルは呆然としていた。食い入るように見詰める目に、カミューは苦笑した。
「どうやら、そういうことだな。実際、わたしには洛帝山以後の記憶がないので、どう説明してやればいいのかもわからないのだが」
「記憶が……ない────」

 

消えることを恐れて膝を抱えて泣いていたカミューも、命を賭けたくちづけを捧げたカミューも、もう存在しない。
────それは、二度目の恋の終わりに等しかった。
しかし、ミゲルは安堵と満足を覚えていた。
もう迷いなく忠節だけを捧げればいい。
一晩泣いて心に埋めた初恋を悔やむつもりは毛頭なかったし、こうして誇り高く顔を上げているカミューこそが何より大切な存在なのだから。

 

彼は再び背筋を正した。
「カミュー団長をそのような目に遭わせてしまったのはおれです。改めてお詫びします」
「ミゲル」
ランドが鋭く口を挟んだ。
「その前に、何か言いたいことはないか?」
「は、はい。元に戻られたこと、心から嬉しく思います」
「────そうではなく」
渋い顔をしているランドの代わりに、今度はアレンが続けた。
「……過去のカミュー団長のお姿を知ったのだろう? 他言したか……?」
心底不思議そうにミゲルは瞬いた。
「何故ですか?」
「な、何故と……言っても────」
それから彼は輝くような笑みを浮かべる。
「カミュー団長はカミュー団長です。他に思うところはありません」
「心からそう言うのだな?」
「休暇をお取りになる前に、ここで申し上げたことがすべてです。今も、変わりはありません」
「ミゲル、そのことだが」
初めてカミューが遮った。
「────わたしは何を聞いたのだろう?」
ミゲルはきょとんとし、それから微笑んだ。真っ直ぐカミューを見詰めて言い放つ。
「では、改めて申し上げます。これまでの数々の無礼、洛帝山での軽はずみな行動を重ねてお詫びします。その上で、来月の騎士試験に参加することをお許しください」
「それは……問題ないだろうと、わたしの独断ながら申請を出しました」
ランドが横から補足した。
「あの折のミゲルには固い決意が感じられましたし、万一騎士に叙位されなかったなら、その……例の除籍願いを行使しても構わない、とまで思い詰めておりましたので」
「除籍願い……?」
小首を傾げて、カミューはああ、と笑った。
「それから、叙位の後には我が赤騎士団に所属を希望する、と」
ローウェルが更に付け加えた。その表情には誇らしげなものが漂っている。
「赤騎士団に……?」
カミューはやや目を細めた。窺うようにミゲルを見るが、その視線は揺らぐことなくカミューに当てられて動かない。
「それでわたしは────いや、おまえたちは何と答えたのだ?」
「このミゲルの申し出はまったく予想しておりませんでしたので、それはもう……どうにも困りました。下手なことを口にして言質を取られては後々まずいことになりかねませんし、カミュー様のお心に沿わない可能性もありましたし……」
「だろうな」
そのときの部下たちの慌てぶりを想像して苦笑すると、カミューは首を傾げた。
「────それで?」
「我らが困り果てていると、カミュー様がご自分で判断なさり、仰いました。『確定した現実を見せろ』と────」
「なるほど」
今度はカミューも吹き出した。日頃澄ました青年団長が見せた少年の面影に、一同ははっとする。
「わたしは小さい頃からそういう小賢しい言い回しは得意だった。だがミゲル、今のわたしも同じことを言うぞ。不確かな約束事など、するつもりはない」
「わかっています」
ミゲルも微笑みながら頷いた。その笑顔を見ながらカミューは少し考えた。
「ランド、一時間後に復帰の閲兵を行なう。総員を中央広場に集めるよう手配してくれ」
唐突に話題を変えられたランドが、それでも即座に姿勢を正す。
「はっ、かしこまりました」
「マイクロトフ、おまえはコルネ団長に復帰の報告に行ってくれ。後ほどわたしがご挨拶に伺うとお伝えしてくれるか」
「ああ、そうする」
「他の皆は……少し外してくれ。ミゲルに話がある」
騎士隊長らは久しぶりに聞く張りのある命令に、改めて感銘を受けながら一礼して出ていった。最後まで案じるようにカミューを見ていたマイクロトフが出ていくと、執務室には沈黙が訪れた。
「……座れ、ミゲル」
促すと、カミューは立ち上がって机の縁に寄りかかった。戸惑いながらもミゲルがソファに座る。しばらくして、カミューがぽつりと切り出した。
「今でも、赤騎士団に所属することを希望しているのか?」
「はい」
きっぱりした返答にカミューは眉を寄せる。
「……わたしはおまえが青騎士団を希望しているとばかり思っていたのだが」
ミゲルが答えられずにいると、更に続けた。
「確定していないことを語るのは愚かに思うが────おまえの実力ならば叙位の後、直ちに第一部隊に配属されるようコルネ団長に推薦してやることもできる。マイクロトフの下で働きたかったのではないのか……?」
ソファの上で姿勢を正して、ミゲルは真っ直ぐな目を向けた。
「マイクロトフ隊長のことは────今でも尊敬しています。しかし、おれが所属したいのは赤騎士団です」
「────洛帝山のことを気にしているのなら、無意味なことだぞ?」
「違います」
素早く否定すると、ミゲルは考えながら答えた。
「確かに……あれは切っ掛けになりました。でも 、それがすべてではありません」
膝の上で拳を固く握り締める。
「……カミュー団長への認識が誤っていることには、もうずっと前から気づいてました。ただ、素直に認めることができなかった。その……あんな質を取られたのも悔しかったし、挑戦してもまるで相手にならないのも歯痒かった」
初めて彼は俯いた。
「おれは『ルチアスの甥』という肩書きを誰よりも嫌悪しているつもりで、そのくせ自分から軛を切る勇気がなかった。本当に大切なのは自分の価値観を見つけることなのに、つまらない意地を振りかざしているだけの馬鹿だった」
視線を落としていても、カミューの眼差しを感じる。ミゲルは唇を噛んだ。
「あのとき、洛帝山で一人残ったあなたを見て────わかったんです。おれに欠けていたのは何か、と……」
「何がわかった?」
「────剣を振るう理由です」
再び顔を上げたミゲルは、泣き出しそうな目で笑った。
「自分だけの誇りの意味、生きる目的、それを剣に込めることが騎士としての道。おれはあなたにそれを教えられた。だから……あなたの下で働きたい。それが、赤騎士団を希望する理由です」
「………………」

 

カミューは静かに目を伏せた。
彼はミゲルの言葉に隠された気持ちを的確に理解していた。
そして何も言えない自分をも知っていた。

 

「おまえは────自分の道を選んだのだな……」
呟くように言うと、彼は顔を上げて頷いた。
「ミゲル、間違いなく騎士になれ」
「は、はい」
「行使しようにも────あの除籍願いは、もうないんだ」
「え────え?」
カミューは苦笑して肩を竦めた。
「随分前に捨ててしまった」
「す、捨てた…………?」
きょとんとしているミゲルに、彼はいっそう笑いを深める。
「確か……おまえが二度目に挑戦してきたときだったか……。もう必要ないと判断して」
ミゲルは唖然とした。
「もともと使うことはないだろうと思っていた。おまえの気質からして、質を取られていると思わせるだけで十分だったからな。前に言ったな、切り札は持っていることが切り札なのだと。ついでに補足しておこう、実在するか否かは問題ではないのさ」
あんぐりと口を開いているミゲルに、カミューは肩を震わせた。
「────それにな、わたしは負けることが大嫌いなんだ。おまえを赤騎士団に受け入れたときから、除籍など考えたことは一度もない。おまえを一人前に育てることが、わたしを試したゴルドー様への答えなのだから」
そうして見るものを陶然とさせる笑みを浮かべる。
「どうやらわたしは勝ったようだな────ミゲル、もう一度わたしに忠誠を誓えるか?」
ミゲルの顔に苦笑が広がっていく。

 

まったく、最後まで歯が立たない。
したたかで世渡りの上手い、だが負けず嫌いの赤騎士団長。

 

彼は微笑みながら答えた。
「……それは騎士の叙位式で、という意味ですね?」
カミューは笑って答えなかった。やがて思い出したように口を開く。
「────馬の訓練をしているか?」
「はい、隊長に騎馬訓練の参加を許していただきましたので」
そして悪戯っぽく付け加えた。
「……もう、足手纏いにはならないと思います」
「ならば────ミゲル」
カミューは優しく言った。
「そのうちまた、洛帝山へ行くか……見習いたちを連れて。わたしは実戦訓練が一番好きなんだ」
ミゲルは瞬いてにっこりした。
「おれもです。今度フライリザードが現れたら、おれを一緒に戦わせてください」
「…………十代の一日は年長者の一月分、か」
カミューは小さく呟いた。
「────うまいことを言うものだ」
「は?」
首を振ると、カミューは命じた。
「では、ミゲル。おまえも閲兵に備えて部隊に戻れ」
「はい、カミュー団長」
直立して礼を取り、部屋を出ていこうとする若い従騎士の後ろ姿にカミューは静かに呼びかけた。
「ミゲル────」
立ち止まって振り返る彼には、窓に向かって歩み始めたカミューの背中しか見えない。
「────バラを…………ありがとう」

 

 

 

ミゲルは目を見開いた。
ただ一夜で葬らねばなかった初恋。
それは常にあの真紅の香りを漂わせる甘美な思い出となるだろう。
そしてまた、捧げた相手も彼の真実を感謝してくれているのだ。

 

 

溢れてくる涙をこらえ、ミゲルは騎士団長の背に頭を下げた。
扉を開けると、いつから居たのか、マイクロトフが立っていた。
彼はミゲルの涙を見て、微かに痛ましそうに目を細めた。慌てて一礼するミゲルに、穏やかに言う。
「また────剣を見てやろう」
顔を上げると、男らしい精悍な顔立ちが答えていた。
────おまえの決意と誠意を確かに認めた、と。
「…………ありがとうございます」
掠れる声で呟くと、ミゲルは足早に去っていった。
しばらく見送ってから、マイクロトフは部屋に入った。カミューはまだ窓に向いたままだった。
「…………あいつはいい騎士になる」
マイクロトフの言葉に、柔らかな同意が返った。
「わたしもそう思う」
「カミュー、あいつは────」
「言わなくていい」
優美な姿が振り向いた。
「…………わかっているから」
そうか、とマイクロトフは呟いた。
確かに聡いカミューなら、ミゲルの心の動きなどすべて察してしまうだろう。それでも互いを選んだときから、すでに道は決まっているのだ。どれほどミゲルが彼を想おうと、カミューの答えは変わらない。

「しかし、ひとつ分かったことがあるよ」
「何だ?」
「────おまえの直感は馬鹿にできないということさ」
苦笑するカミューに、マイクロトフもまた笑った。
「鈍くて疎くて、どうしようもない奴だと思っていたが────」
「心外だ。おれはおまえに関しては敏感な方だと思っているぞ」
そこでカミューは再び背を向けた。
「…………動物並みなのは確かだ。こうして立っているのもつらいんだぞ?」
マイクロトフは破願した。ゆっくりと歩み寄ると、カミューを背後から抱き締める。
「おまえの部下は────良い部下だ。その信頼を勝ち得たのは、おまえなんだ。ロックアックスに来てからずっと、努力し続けたおまえ自身の力なんだ。そのことを……忘れないでくれ。おまえの中に、少年だったおまえがいることを」
「幼くとも、おまえを選んだわたしが、か────」
カミューは目を閉じた。

 

もう思い出すこともできないほど遠く隔たれた過去の自分。
捨て去ろうとしながら忘れられない故郷のように、自分の奥底に眠る少年。
その少年と一緒にマイクロトフを愛して生きていく。
いつ、何処で、どのような形で出会おうとも、自分は必ずマイクロトフを選び────そして選ばれるのだ。

 

「……忘れないよ、マイクロトフ。何故なら……、わたしはとても幸せだと思うから────」
うっとりと吐き出された言葉に応えるように、マイクロトフはカミューの手を取り、そっとくちづけた。

 

 

 

 

 

ミゲルは次の騎士試験で、頭抜けた成績で騎士として叙位されることとなった。
その見事な剣技を見て、ゴルドーは彼を手放したことを悔やんだが、すでに遅かった。
彼は希望通り赤騎士団に所属することになる。そこには本人の強い意志と、カミューの断固とした主張があった。
彼は新任騎士としては異例の待遇で、そのままローウェルの第一部隊に残された。生粋の武人であるローウェルの、これもまた強い希望であった。
やがて彼らはハイランドと都市同盟の戦いに巻き込まれていくが、カミューの周囲から彼らが離れることは決してなかった。

 

剣を振るう理由を持つ騎士たちは、常に愛する団長と共にある。

 

 

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END


長いことお付き合いくださいまして
誠にありがとうございましたv

後記という名のフリートーク
を用意しましたので
お暇な方は覗いてやってください〜。

 

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