夜半。
            本拠地二階の大広間には熱気が渦巻いていた。
            通常、同人誌の即売会は当事者である騎士団長らが城を留守にしている隙を見計らって行われる。しかし本日は当の二人を含む盟主一行の交易所巡りが突然延期になり、予定が狂ってしまった。
            楽しみにしている参加者を思うと即売会を先延ばしすることは出来ない────というのは建前で、あれほど苦しい締め切り地獄を潜り抜けて発行された本があるのに悔しいという理由から、夜間開催が決定したのである。
            会場内にテーブルなどを運んでくれるのは購読者でもある騎士たちだ。危ない世界にどっぷり浸かりつつも、一応はレディに対する礼節を忘れない彼らは、乙女たちが位置するスペースの設えから購読者の整列まで、自発的に受け持ってくれるのだ。
            「今夜も盛況ねえ……」
            広間狭しと溢れた人の波にニナがうっとりした。
            「わたしは気が重いわ。これだけの人に、この色物を売り捌くのは…………」
            ここへきて、またも失意に沈んでいるエミリアの横、アイリがぽつりと洩らす。
            「何か……アップルちゃんの作品のためにお金払わせるようなもんだよな、今回は……」
            「で────でも、ほら……色物好きの奇特な読者さんもいらっしゃるかもしれないわ……」
            努めて仲間を励まそうとし、そこで自分の作品を思い出しては苦悩するリィナであった。
            「それにしてもマルロ君、遅いわ……ペーパー印刷が間に合わなかったのかしら……」
            「どうする? 始めちゃう?」
            思案に暮れたとき、広間の扉が大音響と共に開かれた。
            「お……お待たせしました! ペーパーです……!」
            すでに死相の現れている勤勉そうなマルロ青年が、紙の束を両腕に抱えてよろよろと入ってきた。途中、ぐらりと倒れ掛けるのを青騎士のひとりが受け止める。
            「……お疲れ様でした、マルロ殿。あなたは印刷屋の鑑です!」
            「ど、どうも」
            眩暈を起こした若者と、それを抱きかかえる騎士。だが、そこに乙女らの煩悩が働かないのは、一重に容貌の問題からだ。
            「────駄目、萌えない」
            「マルロ君、せめてキニスン君の顔だったらねえ……」
            献身的な青年の働きをよそに冷酷な評価を与える乙女たちは、ひどく自分本位で正直な人間だった。
            「マルロ君、お世話様。次もよろしく!」
            ペーパーを受け取りながらにっこりするニナに、息絶え絶えの青年が虚ろに呟く。
            「ど、どうか……次はもう少し余裕を持って…………」
            「あー、無理無理。いつもそのつもりでやってるもの」
            「アイリがペーパーに入れる四コマ漫画を上げるのが遅いのよね……」
            「ギリギリになっても現実逃避してばかりだものね」
            「わ……悪かったな。追い詰められたときほど、遊びたくなるものなんだよ〜」
            「と、とにかく……頼みますよ〜〜〜ぼく、ぼくはもう……」
            そこでマルロは卒倒した。会場整理を勤めている数人の騎士が走り寄ってくる。
            「医務室へ運びましょう」
            「あ、駄目。ホウアン先生とシュウさんはツーカーだから。バレたらまずいから、そこらへんに横にしてあげてください」
            「し、しかし……」
            「大丈夫、単なる寝不足と過労ですから! 寝かせておけば治ります」
            騎士たちは顔を見合わせ、とりあえずマルロを広間の隅に引き摺っていった。青年はもう何をしても目覚めそうにない。よくはわからないが、同人活動というものは『つとめ』のように厳しいものなのだろうと改めて感心する騎士たちだった。
            「では、これより第13回、マチルダ・サークル同人誌即売会を開催しまーす!」
            中央に仁王立ちになったニナが宣言すると、会場は拍手に包まれた。労苦を乗り越えて臨む、真に感動的な一瞬である。
            「本日は予告通り、限定本があります! 数に限りがありますので、完売の際にはご容赦ください〜」
            整然と並んだ購読者の間にどよめきが起きる。人差し指を立てているのは、自分が何番目にあたるかを数えているのだろう。
            「では、押したり倒したりしないようにお願いしますね! それは例のお二人だけで、ってことで!」
            今度は隠微な含み笑いが広がる。その大半が男性陣なのだから、危ないことこの上ない。
            かくして、即売会は始まった。テーブルに乗った本を掴む購読者の表情は明るい。
            「マ……マチルダ・ハンターさんは……」
            「はい、わたしです」
            エミリアが商業スマイルで答えると、赤騎士は直立したまま真っ赤になった。
            「こ……この前の話、良かったです。でも、そのう……やはりマイクロトフ団長は下手なんですよね? いつまでもあれでは、カミュー様がお気の毒だと思います」
            「………………………………………………」
            ぴくり、と引き攣るエミリアの代わりにアイリがフォローに回る。
            「えーと、阿呆話はあくまで阿呆話として読んでください。別にマチルダさんは下手な攻めが好きなわけじゃないんですよ」
            「あ、そ……そうなんですか」
            騎士はぽりぽりと頭を掻いた。
            「いや、いつも下手だから、てっきり下手なマイクロトフ団長がお好きなのかと……」
            「────放っておいてちょうだい」
            ふるふると震えながら売り子にあるまじき台詞を洩らすエミリアに、慌ててリィナが割り込んだ。
            「ギャグのお話とシリアスは別物として考えてくださいね。わたしたち、マイクロトフさんは素晴らしい男性として考えていますから、そのへんを御理解くださいな」
            「────カス男で煩悩滾るわけないでしょうが……」
            またも低い怨念漂う声で呟くエミリアに、赤騎士は怖気をそそられたらしい。
            「つ、次も頑張ってください! 楽しみにしています!」
            申し訳のように告げて、そそくさと去っていく。
            「ふ……ふふ、悪かったわね……今度のは凄いわよ……それはもう、ひっくり返るくらい下手よ……」
            「エ……エミリアさん、しっかりして! 終わったらレストランで『やきにく』食べましょう?」
            不穏なものを感じたニナが小声で耳打ちした。
            「ええと……アイリィナさん、お久しぶりです」
            「あら……『ぽんちゃん』さん、こんばんは」
            リィナが妖艶に微笑んだ。
            「この前の作品は……とても感動的でした。そ、その……H度も結構高かったですよね」
            「────お恥ずかしいわ」
            しどけない溜め息をつきつつ、彼女は頬を染めた。
            「いつも曖昧にぼかしているから、たまには……と仲間に勧められましたの。やり過ぎたかしらと思ったんですけど」
            「そうだったんですか……いや、ぼくはもっと激しくても全然大丈夫です、むしろ嬉しいです!」
            青騎士は拳を握って天井を仰いだ。
            「臨場感溢れる本番シーン、マイクロトフ団長の勇姿……どれもこれも、目を閉じても浮かんできます! つ……次は是非……その、『お口の恋人』なんてのも読みたいなー……なんて」
            「────ごめんよ、今回は乳首なんだよ……」
            思わず口の中で陳謝してしまうアイリだった。
            人の波は次々と移動する。だが、八割を埋める騎士団員たちの躾の良さが影響してか、列が乱れることもなく、積み上げた本は見る間に減っていった。
            「ねえ、限定本ってまだ残ってる?」
            軽やかな声を掛けた少年を見た刹那、乙女たちは凍りついた。にこやかに笑んでいるのは同盟軍を率いる盟主ウィンだったのだ。
            「ウ、ウィンさん……な、何故────」
            「ちょっと……冗談止めてくれよ、ウィン!」
            「どうして?」
            邪気ない様子で少年は小首を傾げる。
            「ぼくたち今日は交易所まわりをする予定だったよね? 同行が決まっていた騎士の方が、必死に仲間に交代してくれって頼んでいるのに出くわしたんだ。それで何か問題があるのかと思って訊いてみたら、面白そうな催しがあるって言うから……」
            「ま……まさか、それで交易所めぐりを中止に……?」
            少年はにっこり頷いた。
            「だってぼく、一応盟主なのに……面白いことから外されるのっておかしいでしょう?」
            四人は頭を抱えた。確かにこれは、一部の人間にはとても楽しい催しである。だが、出来れば一般人には素通りしてもらいたい邪な宴であることも事実なのだ。
            「へー。マイクロトフさんとカミューさんがデキてるんだ〜。あ、キスしてる〜! うわ……こんなところに入れるんだ、凄いなー。ねえ、これって実話ですか?」
            本の一冊を手に取り、無情にも実況中継してのける盟主に四人は卒倒寸前だった。
            「実話……というか、妄想……というか……」
            切れ切れに呟くニナは、『どうでもいいから早く帰って〜〜』と切実に胸中で訴え続けていた。
            「うん、実はぼくも怪しいとは思っていたんですよね。あの二人、会議してても戦場でも世界作りっぱなしだし。カミューさんはともかく、マイクロトフさんは見ててバレバレ」
            「────え?」
            一瞬呆けた乙女たちの前に、丁寧に代金が置かれた。
            「うん、面白いや。戻ってナナミにも読ませてあげよう。全部ください」
            「い、いえ……どうぞお持ちください……」
            「リーダーからお金なんて受け取れませんわ……」
            「いいえっ! 駄目です、そういうのは」
            少年はきりりと言い切った。
            「他の皆さんが買ってらっしゃるんです、ぼくだって買います! 特別扱いは必要ありません!」
            その途端、後部に並んでいた購読者たちから感動の溜め息が洩れた。指導者が自分たちと同一線上にあることを主張する。それは傲慢なゴルドーの支配に辟易していた騎士たちには実に嬉しいことだったのだ。
            「あ────ありがとうございました……」
            もはや力もなく頭を下げる四人に、明るい声が激励を送る。
            「今後とも頑張ってください! あ、シュウさんにバレないように、ささやかながらぼくもお手伝いしますから」
            「重ね重ね、どうも………………」
            盟主にまで露見し、おまけに支持を得た以上、彼女らに怖いものなどないはずだった。だが、これほど脱力するのは何故なのだろう。
            「────良かったわね、アイリ……早々にカミングアウト出来て……」
            慰めにもならない言葉を姉が掛ければ、
            「鼻水…………泣き攻め…………阿呆ギャグ…………」
            妹は虚ろに呟き続ける。
            「何というか……本当に同人って奥が深いわ……」
            まだまだ切れそうにない購買者の列を見遣って洩れたニナの一言が、邪ユニットの心情そのものであった。
             
             
            さて。
            広間に通ずる廊下の隅、階段にひっそりと身を潜めている男がひとり。『黒のローブ』を身に纏って立ち尽くす彼は、激しい焦燥に苛立っていた。
            「ああ、くそっ……こう騎士たちが大勢いるのでは、出て行くわけにいかないではないか……!」
            念のいったことに、頭にはすっぽりと袋状の布を被っている。目の部分だけ穴を開けた様相は不審人物そのものだ。
            「幾ら変装したところで、身体つきや声でおれだと見破る騎士が在るかもしれん……い、いや……声は出さなくても何とかなるだろう。だが……万一正体がバレたりしてみろ、カミューが烈火の如く怒るに違いない……!」
            覆面を掻き毟って苦悩する青年。一応変装はしているが、腰に差した愛剣ダンスニーで簡単に見破られることまでには考えが及ばないらしい。
            「早くしなければ、限定本とやらが売切れてしまう……おれたちの輝かしい夜のための貴重な資料だと言うのに……ああっ、おれは……おれは……おれは!!!」
             
            先日、自身をネタにした同人誌というものを初めて目にして以来、青騎士団長はマチルダ・サークルを夜の師匠と定めて日夜訓練に励んできた。
            その甲斐あって、技巧は多少の進歩を遂げている。普段は適当に捏造した仮名を使って通販にて本を入手しているが、今回は限定本があると聞き、たまらず足を運んできた。
            しかし、予想以上の騎士の多さに圧倒されて、未だに突撃出来ずに悶々としているのである。
             
            「く、くそう……何としても手に入れたい! 限定本・『あなたとわたしの愉快な褥』……!! だが……いったいどうすればいいのだ、カミュー!!!」
             
            ────青騎士団長が無事に限定本に目を通すことが出来たか否か。
            それは騎士団内における秘密となるようだ。
             
             
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