What a cold town people!


「美女うち見れば」 |  「山城なすびは老いにけり」 |  「居よ居よとんぼうよ」 | 
「垣越しに見れども飽かぬ撫子を」 |  「雨は降る」 |  「東より昨日来たれば妻も持たず」


梁塵秘抄といえば教科書で習った「遊びをせんとや生まれけむ・・・・」
を思い出します。この歌詞に作曲を試みましたがメロディーが浮かびませんでした。
他のおもしろそうな歌詞にはメロディーが思い浮かぶのですが何故なのでしょう?

梁塵秘抄の前文から、当時の人々が倍音をなにげなく聞き取っていたことが分りますが* 残念ながら当時の人々に聞こえた倍音を、超常現象(神様が唱和した)と結論づけてしまったため、 倍音(ハーモニクス)に関する研究のスタートになったかもしれない約850年前のチャンスは 活かされなかった模様です。
*: 新訂梁塵秘抄、佐々木信綱校訂、岩波文庫 ISBN4-00-300221-0、p.91~92

作曲者プロフィール他:
穴山 彊(あなやまつとむ)、1937年2月東京府武蔵野区吉祥寺生まれ。
福岡県立女子師範学校附属国民学校(小学校)一年生の時、音楽を専門の谷先生の授業で、今思えば3和音を聞き取る「聴音」があり、ピアノを叩くと数名の同級生がハイハイと手を挙げ、指名されると「ハホト」とか「ハヘイ」とか、わけのわからない答えを言うのを目撃したものでした。学校に行くのを結構サボってたから落ちこぼれてましたので
当時は意味不明な言葉で答える仲間を見て、音楽に対する不思議な興味だけはあったのですね。
大学の男声合唱団の打ち上げで指揮に来てくださってた6歳先輩の荒谷俊治氏と同席した時、谷先生に「可愛いオーガスティン」をハーニハロイッヘッヘ、トッハッハ、イッヘッヘで教わったそうで、当時この歌を「笑いの歌」と呼んでいたと聞いたものでした。(日本の音楽教育の一時期、譜読みを音名のハニホヘトイロハで教育した時期があったと聞くが、氏も私もその時期に遭遇していたらしい。)

大東亜戦争後は、譜読みはドレミで歌う移動ド唱法になり、高校の音楽部在籍3年間に譜読みができるようになり、修猷館高校の音楽部の顧問の先生にヤマハのトランペット、コルネット、トロンボーンを買ってもらったり、九州大学のオーケストラの古いクラリネットを貸してもらったりしてブラスバンドの真似事をして楽しんだものでした。
買ってもらったヤマハが作り始めた金管楽器、煙は確かに通るけど誰が吹いても音が出ないトランペット。砂が噛んでいて動きにくいスライダー式トロンボーンだったりして、大変だったことを思い出します。高校の隣の百道中学校の音楽の男先生がレコードで聴いた音楽を楽譜に直してくださったのにはびっくりしました。おかげで心に浮かぶメロディーを楽譜に乗せることができるようになったと思います。ちなみに私は移動ド唱法です。
お蔭で心に浮かぶメロディーをドレミで記譜することは容易だったし、パソコンも発達して、記譜・演奏ソフトも進化し、音源もなんとかよくなって曲がりなりにも自分の音楽を表現出来るようになって喜んだものでした。これはまあ4半世紀前の音源の話です。
メールはこちらへ anayama2tom○gmail.com