日時:2024年9月18日
場所:高岡市ふれあい福祉センター
会長L.山田正樹 あいさつ
こんにちは!一昨日の献血活動への参加もありがとうございました。おかげさまで沢山の方々から献血いただけたと聞いております。私もやる気満々でしたが、今飲んでいる薬がひっかかって、取ってもらえませんでした。情けないです。当日お仕事などで呼び込みに参加できなかったみなさんも気持ちよくファインで貢献していただければと思います。
さて本日は、高岡中央ライオンズクラブ所属L.板倉秀行にお越しいただきまして、「私の相撲人生話」と題してお話しいただきます。どうぞよろしくお願いいたします。私L.板倉のプロフィールを拝見いたしましたところ埼玉県のご出身だそうで、どのようなご縁で富山で起業されることになったのかも興味のあるところです。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
私、高校卒業以来会っていない一番仲の良い同級生がいまして、ただ暑中見舞いと年賀状のやり取りだけは今も続いていました。今年の残暑見舞いを送ったところ返信がありまして、その内容が、今年の11月の富山フルマラソンに挑戦するからどっちが強いか勝負しようぜ!っていうものでした。もしかしたら卒業以来久しぶりに会えるかもしれないというのと、挑まれたからには受けて立ちたいという気持ちで、大変興奮したのですが、あいにくと既に富山マラソンのエントリーは終了していたので、内心ほっと安心しまして、さらに返事の葉書を書きました。残念だけど今年のエントリーは間に合わなかった。私が最後にフルマラソンを走った5年前のベストタイムはこれこれだ。君の今年の結果次第では来年のチャレンジを考えないわけではない。と書いて、その葉書へわたしのLINEのアドレスの二次元バーコードを張り付けて送りました。葉書が着いたであろう数日後にLINEの登録をしてくれて連絡がつくようになりました。嬉しかったですね!葉書のやり取りを続けていたからではあるのですけれども結局はSNSの方が時間も距離も飛び越えてしまいますもんね。そういう葉書を売っている郵便局の社員ならではの複雑な気持ち、ジレンマを感じたという話です。本日もよろしくお願いします。


講師:高岡中央ライオンズクラブ所属L.板倉秀行
株式会社ネオテック 代表取締役
演題:私の相撲人生話
こんばんは、高岡アラートライオンズクラブ第234回例会にお誘いいただきありがとうございます。高岡中央ライオンズクラブd全輝えはチャーターナイトにご出席いただき、また記念ゴルフコンペに参加頂きました。L.竹村与志治L.水野富雄ありがとうございました。
そして今日はL.西元勇司の在籍周年のおめでとうございます。私も5年になります。
相撲部屋入門についてお話いたします。
昭和4年に埼玉県秩父市の否かで生まれました。現在45才になります。普通のサラリーマンの家庭に育ちました。幼児のころ体は大変大きくて、小さい頃から柔道、相撲等のスポーツに励み中学では部員の少ない相撲を兼ねていた関係で体が大きいということで全国大会に出場しました。柔道より相撲の方が成績がよかったと記憶しています。全国大会では負けても数か所の相撲部屋から誘いをうけました。直接部屋の親方から相撲の話を聴いて人とは違った道を歩むのもいいかと思いました。中学卒業して直ぐに入門を決意。親方は卒業式には返します。
親方は大麒麟で押尾川部屋。益荒雄等も所属している部屋です。
卒業見込みのまま入門したが1日~2日で卒業式にはでる雰囲気ではないことをしります。
両親は親方の言葉を信じていたが、公衆電話から帰れないことを云った。15才の春、35人~40人程の部屋です。その時の身長は178㎝体重67㎏で入門。
痩せていることでもやしのような体であり、体重75㎏では検査が通過できないとの事。
寝て食べることに励め。くっちゃねの生活で86㎏まで増えました。見事合格。
1年目の生活は3~4時に起床。先輩の付き人の仕事があり寝るのは12時位です。
15才は瞬きしたら朝、寝る前から憂鬱でした。ちゃんこ鍋のノルマは5杯食べること、トイレに行って吐きだしてゼロからリセット。体重を増やすことが稽古です。古参から厳しい指導を受けた序の口3枚目、大志関の付き人となる。温厚な方で、人としてあるべき姿、優しき方、人としてきちんととしている。幕下は大部屋で十両になって個室が与られる。
意地悪な先輩もて、机、椅子などが飛んでくる。こんにちだとテレビざたですが。
その昭和時代は竹刀5本、モップ5本がストックされていた。
部屋の生活もなれ、体重160㎏迄増えた。今思えば稽古よりちゃんこを食べる方が苦しかった。肉が付きにくい人もいるので考えると恵まれたいた。
24才頃膝の大けがで1年程休場丁度10年目。十両には上がれず幕下の中位で25才で引退しました。
両親からは基本的なことを学び、それ以降は周囲の方々から指導をうけました。現在にいたっています。
引退後に埼玉県に戻るか迷いましたが。お付き合いしていた女性は新湊市出身で美容院を営んでいました。私は和食の板前の仕事をしましたが、大変難しい世界であります。
新湊の川口というお店が富山でオープンするとのことで6年間務めました。
その後、相撲界は独特であります。相撲界で大変お世話になった大阪のたにまちに今後のことを相談しにプレゼントを抱えて御礼に行ました。
ライオンズクラブ・商工会議所青年部と知り合い人の役にたちたい気持で一杯でした.
現在の仕事は㈱ネオテックで金属製品の加工、溶接・塗装など多種多様なことを行っています。相撲で学んだことは理不尽なこともありました、しかし目標に向かって頑張るシンプルなことです。現状では頑張っています。
質問:L.福井宗豊 稽古生活について
稽古の方法・序の口から順番に朝の4時~関取が最後。
風呂・食事はその逆の準倍
L.水野富雄 相撲関係者の人数
今は700名くらい。自分の時は1,000人いた。
外国人は50部屋あるが各部屋1名。
給料は十両で120万円くらい。
幕下は2ケ月で15万円
L.燕昇司信夫 懸賞金は誰ででも提供できるか
65,000円で内訳は入っているのが3万円残りは退職積立金等です。

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