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ライオンズクラブ国際協会334-D地区2R1Z高岡アラートライオンズクラブ



業務用炊飯釜に活路
高岡市西部の国道8号に程近い小さな工場に「キーン」という鋭い音が響く。NC(数値制御)旋盤機がアルミ鋳物を削り出していた。セットされた直径90aの半球型の釜が銀色に輝く肌を見せ、みるみるうちに仕上がる。「この釜で300食分のご飯を炊き上げることができます」。7代目に当たる苗加康孝社長が笑顔になった。
苗加康孝製作所はコンビニエンスストアや弁当、給食業者らが使う業務用炊飯釜で全国シェア90%を占める。伝統に培われた高度な鋳造技術に加え、アルミ製の業務用IH(電磁誘導加熱)炊飯釜を業界で先駆けて開発するなど、挑戦を続ける姿勢が拝啓にある。
かって「倒産寸前に思われた」(苗加康孝社長)という校外の小さなメーカーが、日本の食を陰で支えている
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NC旋盤機がアルミ釜を切削する作業を確認するのか社長(左) アルミ釜を切削

前身の「苗加屋」は高岡市川原本町で創業し、伝統品の仏具製造を手がけていた。戦後は家庭用ガス炊飯器釜の製造を主力とし、大手からの受注生産を請け負った。苗加社長は、小学生の1970年代、現在の倍以上いた従業員が夜食を取りながら、作業に追われる光景を覚えている。「営業努力をせず、黙っていても仕事があった時代」と振り返る。
状況が変わったのは、ガスに変わる電気炊飯器が普及し80年ごろだ。週の半分が休業状態になり、「修行のため」勤めていた会社から急遽呼び戻された。営業にもっと力を入れなければと感じ、「会社四季報」で目に付いた企業を片っ端から訪れ、建材部品や美術品、機械部品などの注文を探し回った。
その中で行きあたったのが業務用炊飯釜だった。営業に回った首都圏では、コンビニ店や弁当チェーン店が日毎に増えていた。「外でおにぎりや弁当を買って食べるのが当たり前の時代になる」。家庭用の製造を切り替え、業務用に絞る決意を固めた。
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同社のアルミ釜は、品質は、品質を安定する金型鋳造で作る。鋳造作りと溶湯を流し込む方法に代々培ってきた独自の工夫があり、ピンポール(空洞)が入らない美しい鋳肌に仕上がる。品質の良さはご飯の味にもつながり、厨房機械メーカーからの注文が次第に増加した。学校給食に米飯を取り入れる自治体が増えたことも、受注を後押しした。2001年には、増えてきたIH対応のアルミ釜の製造に乗り出した。金属の性質上、アルミは大型の業務用IH釜に不向きとされた。だが、ステンレスやポーローより軽量化できる利点がある。微細な鉄粉をアルミ表面に高速で吹き付けて皮膜を作る技術を2年かけて開発し、実用にこぎ着けた。同社の品質を支えるもう一つの柱が、焦げ付きなどを防ぐフッ素樹脂コーディングの技術だ。以前は外注していたが、2004年に外注先から設備を譲り受け、技術も習得して自社で一貫生産する体制を整えた。使い込むうちに剥がれた樹脂を再コーディングする要望にも応えており、新たな顧客の開拓につなげている。苗加社長は、炊飯釜に続く次世代の柱の育成を課題に掲げる。「常にアンテナを張って変化し続けることで本当の老舗になる」。2年後の創業150周年を見据え、挑戦は続く。北日本新聞2015年11月28日掲載
   会社メモ1867(慶応3)年創業。
戦後はかまなどで使われるアルミ製羽釜を手がけたあと、炊飯釜を主力とする。
1973年に有限会社として法人化とした。
業務用炊飯釜のほか、イベントや災害時に活用できる大型鍋なども手がける一貫生産と在庫管理による迅速な受注対応も特長。資本金1800万円。従業員15名。

左写真:昭和40年代に使用された苗加製作所の金型鋳造機。

高岡アラートライオンズクラブ会員L.苗加康孝
2015年11月16日贈呈 17日北日本新聞朝刊掲載記事





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高岡アラートライオンズクラブ事務局


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L.苗加康孝 ライオン歴
平成19年 ライオンズクラブに入会
2013〜2014年度 334-D地区 地区委員
2014年12月10日 
ライオンズクラブ国際協会334ーD地区2R1Z
高岡アラートライオンズクラブ結成に尽力。
2015〜2015年度会長
(高岡アラートライオンズクラブ2代)に就任
LCIF基金1,000ドル献金 17回

ライオンズクラブの思い
「アラート」という冠は日本や世界で頻繁に起こる災害に対応できるクラブを目指したもの。