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05:戸塚


東海道を歩く( 5:戸塚宿)8km



(写真は戸塚宿の本陣跡)

戸塚→藤沢
JR戸塚駅をスタートします。

戸塚駅の周辺は、大規模な再開発工事の真っ最中でした。

駅前は道が何本もあって、どの道を歩いたら良いのかよく分かりませんが、取り敢えず、
旧国道1号沿いに歩きます。

暫く歩くと、戸塚宿の本陣跡がありました。

この道で正しかったんだ!

写真の様に、「澤邊」の表札の家の前に、澤邊本陣跡の碑が建っていましたので、澤邊さんは
戸塚宿本陣の子孫なのでしょう。

そう言えば、保土ヶ谷宿の軽部本陣跡の家の表札も軽部さんでした。

暫く歩くと、冨塚八幡宮がありました。



境内の説明板によると、「戸塚」の地名の由来は、この冨塚(とみづか)が転じた、とあります。

へ〜! そうだったんだ!

旧東海道は、やがて、大坂というゆるやかな坂をのぼり続けます。





坂の途中に、下の写真の戸塚庚申群がありました。



この坂の上に、下の写真の歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で有名な「お軽勘平・戸塚山中道行の場」
がありました。



仮名手本忠臣蔵のお軽勘平は架空の人物ですが、勘平のモデルは、赤穂浪士の萱野勘平
だそうです。

「仮名手本忠臣蔵」の”仮名手本”と”忠臣蔵”の関係は?

仮名は、”いろは”47文字、そして忠臣蔵は47士!

なるほど!

そういう江戸時代の語呂合わせ?か!

大坂を下って藤沢へと向かいます。




戸塚宿から藤沢宿まで約8キロです。


バスで行く東海道・第2回(保土ヶ谷宿〜大磯宿)  2012.4.21


「5:戸塚宿」



戸塚宿は、日本橋から41キロで、江戸を早立ちした旅人の最初の宿です。

江戸時代に東海道五十三次を旅する平均的な日程は、一日に40キロを歩き、
12泊13日だったそうです。


自動車の無い時代の人間の足腰は丈夫だったんですねえ〜!

現代人は、一日も休まず、毎日続けて13日も、40キロを
歩くなんて絶対に無理でしょう!

私なんか3日目に筋肉痛でダウンです。

江戸時代の人は偉い!

しかも、あの情けない喜多さん弥次さんは、11泊12日だったらしいです!!

二人への見方が変わりました・・・尊敬します!
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