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甲州街道を歩く (26-2:笹子峠) (山梨県大月市-甲州市) 2021.6.1-12


 

(写真は「矢立の杉」)


 

 

新田下バス停の先の甲州街道道標「矢立の杉 笹子駅」を右折します。

 

この分岐点が、甲州道中最大の難所笹子峠の登り口です!



  

  舗装道が終って土の道に変わり、木立の中に入って行きます。







新田沢のせせらぎを聞きながら、林の中の峠道を進みます。 



    

上の写真の右手の新田沢砂防ダムの高い石垣に突き当たったので、この砂防ダムを大きく左に迂回しながら進みます。 





 

 

 

 



 

 



 



 



 上の写真の様に、左手頭上に、県道の白いガードレールが現れました。 

少し進むと、この県道に上がれそうな、下の写真の石垣の上の道がありました。 



この石垣を上り、ガードレールの切れ目から県道に合流します。 





県道を右手に進み、車がほとんど通らない上り坂を歩いて行きます。 

 

新田沢を美久保橋で渡ります。 

 



県道のヘアピンカーブを進むと、「矢立の杉入口」があり、笹子峠自然遊歩道の案内標識があります。  





 



 







    





    







小さな沢を木橋で渡ると、直ぐに開けた広場に出ます。













ここが、笹子茶屋又は中ノ茶屋とも呼ばれた「三軒茶屋跡」で、江戸時代、この茶屋で売られていた草団子の「峠の力餅」が名物でした。

 

(峠の力餅については、「阿弥陀海道宿」を見てね。)

    

現在、写真の阿弥陀海宿で売っている笹子餅のパッケージには、江戸時代、この茶屋で、峠の力餅を売っている様子を描いた「甲州街道膝栗毛」の絵が
付いています。 


                  

          



この茶屋跡には、写真の「明治天皇御野立所跡碑」があります。

明治13年の山梨県巡行に際し、ここで野立を行いました。



三軒茶屋跡を過ぎて、小さな沢を木橋で渡りながら進みます。





 



 



やがて、千年の風雪を耐え抜いたという「矢立の杉」が現れます。





二代目歌川広重は、1859年に「諸国名所百景」の中で「甲州矢立杉」を描いています。

(峠の力餅に絵が描かれている広重の甲州矢立杉)

矢立の杉の辺りに、日本橋から28里目の笹子峠の一里塚があったらしいです。



上の写真は、20回ハンドルを回し、「矢立の杉の解説」か「杉良太郎の矢立の杉の曲」かのボタンを選んで押すと、スピーカーから音声が流れる
ぜんまい式の音声ガイドです。


私は、杉良太郎の曲ではなくて、矢立の杉の解説を選んで聞きました。

矢立の杉の音声の解説によると、根廻り14メートルの山梨県の天然記念物です。

矢立の杉の幹は、地上21メートルで折れ、幹の中は空洞になっています。

出陣の武者が、この杉に矢を射立てて武運長久を祈ったそうです。



上の写真の中央の黒い石碑板は、「矢立の杉の解説」ではなくて、杉良太郎の「矢立の杉の曲」の歌詞です。 



上の写真の右側の地蔵菩薩は、杉良太郎が建立したものだそうです。

ここまで、峠道の約1/3を上って来たところで、持病の股関節が痛みはじめました・・・

この先へ進むのを諦めて、歩いて来た峠道の下り坂を、ゆっくりと歩いて下りて行きます。  

ゆっくりゆっくりと歩いて笹子峠の登り口に何とかたどり着きました。  

登り口にたどり着いてから、更に股関節炎の痛みがひどくなったのに加えて、猛暑の炎天下でバテてしまったので、ここから路線バスに乗って笹子駅まで戻ります。

   


これから先、持病の股関節炎を抱えて、峠道の残り約2/3をどうやって歩くか、帰宅してからじっくりと計画を練り直すことにしました。


次回は、今回歩いた矢立の杉から、笹子峠の頂上を越えて、笹子峠の反対側の麓の「駒飼宿」を目指します。


 

 




(写真は、両側が崖の険しい尾根道)


股関節炎が回復しないままでの笹子峠越えになってしまったので、5街道踏破で初めてタクシーを利用しました。


新横浜 5:02 →(JR横浜線)→ 5:48 八王子 5:51 →(JR中央本線) → 6:00 高尾 6:03 → (JR中央本線) → 6:39 大月 6:54 →(JR中央本線)
→ 7:12 甲斐大和 7:35 →  タクシー → 8:10 矢立の杉



 

 



前回の無念のリタイアとなった「矢立の杉」の看板の前でタクシーを下ります。



看板の脇の細い道を下りていくと、直ぐに前回の最終地点となった杉良太郎の矢立の杉の歌の黒い石碑がある場所に出ました。





杉良太郎が寄進したという地蔵菩薩の脇の手を洗う手水(ちょうず)舎(上の写真の右上)の手前がY字路になっています。

Y字路を左に進むのが旧甲州街道で、写真の様に甲州街道の道標があります。





旧甲州街道は、いきなり急な下り坂となり、丸太組の木橋で小さな沢を渡ります。





木橋を渡ると、今度はいきなり急な上り坂です・・・





















矢立の杉までは、歩き易い谷筋の道でしたが、矢立の杉の先の途中から険しい尾根道になりました・・・



谷筋の道と異なり、足を滑らせたら谷底まで転がり落ちそうです・・・



左右の谷底に転落しない様に慎重に、木立の中を歩いて行きます。

多分、この辺りが、笹子峠最大の難所だったのだろうと思われます。 







    

 

    

 

険しい尾根道を延々と歩いたところで、上の写真の様な、斜面の急な砂道になり、掴まるものも無く、足元が滑るので歩けません・・・ 

仕方なく、腰を落として、滑り台の様にして急な坂道を滑って行くと、県道に合流しました。 





この合流地点に、「矢立の杉 笹子峠トンネル」の甲州街道道標がありました。





ほとんど車が通らない県道の上には蛇が・・・ 

    

 

 





県道を暫く歩いて行くと、正面に洋風レンガ造りの「笹子隧道」(旧笹子トンネル)の入口が見えて来ました。



(旧笹子トンネル:登録有形文化財)

案内板によると、この「笹子隧道」は、昭和13年に完成し、現在の国道20号の「新笹子トンネル」が昭和33年に完成するまで甲州街道の交通を支えてきた、
とあります。


今朝、JR甲斐大和駅からタクシーで矢立の杉まで乗って来た際には、この隧道を抜けてこちら側に出て来ました。

この隧道は、1車線なのにも拘わらず入口に信号が無いので、隧道の中でのすれ違いが出来ません・・・

今朝、タクシーでこの隧道を抜けて来たときは、天井も左右の幅もギリギリの感じのうえに、隧道の中は、灯りも無く真っ暗だったので、
何となく心霊スポットに入って行く様な雰囲気で怖かったです。


旧甲州街道は、この隧道入口の手前の右側の山道を上って行きます。





上り口には、写真の「熊に注意」の看板が!

慌てて、クマ除けの鈴を取り出してリュックに着けます。





少し休憩してから、鈴を鳴らしながら上って行きます。





斜面の山道を暫く歩くと、あっけなく笹子峠の標高1,096メートルの頂上に着きました!



笹子峠の頂上には、写真の「笹子峠道標」がありますが、山の頂上ではなくて、切り通しの狭い山道にあり、見晴らしもありません・・・

この峠は、江戸時代、都留(つる)郡と八代(やつしろ)郡との境界でした。

現在は、大月市と甲州市の境界です。

笹子峠の道標の脇で一休みしてから、「大和村日影・かいやまと駅」の道標に従って、笹子峠を下って行きます。

この笹子峠の遥か下を、中央自動車道の「笹子トンネル」が走っています。

「笹子トンネル」の名前は、皆さん、一度は聞いたことがあるハズです?

そう、あの2012年の「笹子トンネル・天井板落下」の悲惨な事故です!

中央自動車道の笹子トンネルの中で、コンクリートの天井板が、130メートルにわたって落下し、走行中の車複数台が巻き込まれて9名も死亡した、
日本の高速道路の最大の事故です!


(この笹子峠と、笹子トンネルの位置関係については、文末の大きな地図を参照してください。)



笹子峠道標の脇で一休みしてから、写真の「大和村日影・かいやまと駅」の道標に従い、ゆっくりと峠道を下りて行きます。

 

直ぐに、上の写真の「自然を守ろう」の白杭(赤丸印)があるY字路に突き当たりました。



Y字路から赤い鳥居がチラリと見えたので、取り敢えず、右折してその赤い鳥居の方向へ向かいます。

 

赤い鳥居の奥は、写真の「天神社」で、1729年建立の常夜燈もありました。



赤い鳥居から、白杭があるY字路に戻ります。

このY字路を右折して先程の赤い鳥居の前の細い山道を上って行くか、左折して幅の広い山道を下って行くか?

さんざん迷った末に、左折する多くの人が踏み固めた感じの広い山道を下って行きます。







 

下って行くと、左下に笹子隧道の反対側の出口が見えて来ました・・・



笹子隧道の出口の先の県道に出て来ました。





こんなに早く県道に合流するなんて、どうも、先程のY字路の分岐点を間違えたみたいだな〜・・・

しかし、県道の向いのガードレールの切れ目に、甲州街道峠道の標識があります!



間違えたけど、結果オーだったみたいだな〜と思い、ガードレールの切れ目から山道を下りて行きます。

    

 



しかし暫く歩いて行くと、県道の下あたりで行き止まりになりました・・・

途中で分岐点を見落としたのではないか、と注意しながらガードレールの切れ目まで戻りますが、それらしき分岐点はありませんでした・・・

分岐を間違えた白杭があるY字路まで戻ろうか?、迷いますが、股関節炎が少し傷み始めたので断念して、トボトボと、舗装された県道を下りて行きます・・・







この県道は、車も通らないし、人にも出会いません。

たまにバイクのツーリングの集団とすれ違うくらいです。





暫く歩くと、県道の脇に「甘酒茶屋跡」の標柱がありました。



ここに、旅人に甘酒を売る茶屋があったみたいです。

帰宅してからインターネットで調べたら、甘酒茶屋跡の標柱のガードレールのすぐ脇に、人が一人歩けるくらいの幅の道が続いています。



どうも、この県道の脇をすり抜ける様に並行している小道(写真の赤矢印)が旧甲州街道らしいです。

う〜ん、県道からは道には見えなかったし、もしそうなら、県道の脇に標識を立てて欲しいよな〜。



インターネットのブログでも、多くの人が、このあたりで、旧甲州街道の峠道を見失っているみたいでした。

甘酒茶屋跡を過ぎると、放置された舗装道路の穴ぽこが目立ちます。

 

大きな穴ぽこは、写真の様に、赤い塗料で丸く囲ってあります?

これは、車に対する注意喚起でしょうか、それとも次に補修工事をするときのための目印でしょうか。









 



県道を延々と歩いて行くと、 上の写真の清水橋の脇に、「甲州街道峠道出口」の標識が!



案内板を読んでみると、やはり先ほどの県道の甘酒茶屋跡標柱の脇を並行していた峠道がここまで続いているみたいです。



悔しいので、逆に歩けば、ホントに甘酒茶屋跡標柱の脇に出るのか確かめてみようと、この急な峠道の坂を、息を切らしながら上って行きます。



やがて、上の写真の朽ちた「馬頭観世音菩薩」の標柱がありました。

しかし、辺りを見回しても馬頭観音は見当たりません・・・



その先に、「自害沢天明水方面」の標識がありました。

たまたま、若いカップルが、反対方向から峠道を下りて来たので、この先に何かあったか、聞いてみます。

「甘酒茶屋跡標柱の脇をすり抜けたこの道が、旧甲州街道の峠道で、よく整備されており、歩きやすかったけど、史跡みたいなのは何もありませんでしたよ。」

とのことだったので、ここから清水橋まで、今度は、急な坂道を下つて戻って行きます。



急な坂がダメージになったのか、持病の股関節炎が痛み始めました・・・

笹子隧道の出口からここ清水橋まで、舗装された県道を延々と歩いて来ましたが、幾重ものヘアピンカーブになっていたので、多分、歩く距離は長くなってしまったでしょう。



この「甲州街道峠道出口」から更に、延々とヘアピンカーブの県道を、足を引きずりながら下って行きます。



やがて右手に「桃の木茶屋跡」の標柱がありました。



ここには三軒の茶屋があったらしいです。 



ここから先もまた、ヘアピンカーブの県道が続きます。









大持沢を大持沢橋で渡って下って行くと、県道の脇に上の写真の「狩猟事故」の看板がありました。

え、えっ〜、どういう事?

峠道を歩いていた人が道に迷っていたところを、猟銃で撃たれたとか?

何があったのか気になるなあ〜・・・

最後のヘアピンカーブを過ぎると、もう少しで次の駒飼宿です。



天狗橋手前の右手に津島大明神が祀られています。









笹子沢川に架かる天狗橋を渡ると、次の「駒飼宿」に到着です。

 

笹子峠の入口にある黒野田宿から駒飼宿までは約10キロです。

 

 


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