(写真は、突然現れた「イノシシ いるぞ!」の看板)
ダンプ等の交通量が多くて、歩道の無い国道20号を歩いて行くと、やがて右手に上の写真のJR中央本線「藤野(ふじの)駅」がありました。
藤野駅前の交差点の先の左手の石段を下り、長い坂道を下りて行きます。
その先の下り坂の途中で、「相模川」に架かる「弁天橋」が微かに見えたので、ちょっとだけ寄り道して、弁天橋の上に立ってみます。
橋の上からは、マス釣りでしょうか?、沢山の釣り船が相模川に浮かんでいます。
気持ちいい!
弁天橋から旧甲州街道に戻り、歩き続けます。
暫く歩くと、旧甲州街道は、個人のお宅の脇で、いきなり行き止まりになりました。
その先は、狭くて怪しげな土の道です?
白い車が駐車しているお宅の敷地内の個人所有の道の様にも見えますが・・・
そして、その土の道の入口には、写真の「イノシシ いるぞ!」の看板が!
旧甲州街道を気持ちよく歩いているところに、突然、「イノシシ いるぞ!」と言われても、こちらは、未だ心の準備が・・・
それに、ホントに、この狭くて怪しげな道が旧甲州街道なの?・・・
そうは言っても、先に進むしかありません。
この怪しげな道を暫く進んで行くと、やがて舗装の上り坂の道となり、JR中央本線沿いの道になりました。
やれやれ・・・
跨線橋でJR中央本線を跨ぎます。
跨線橋を渡り、その先の空地を抜けると、国道20号に突当りました。
国道20号を左折したところが「関野宿」でした。
国道沿いに写真の「関野本陣跡」の解説板があります。
解説板が逆向きだったので(上の写真の赤色丸印)、見過ごして通り過ぎそうになりました・・・
解説板によると、関野宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠3軒で、中村家が本陣を勤めました。
相模の国(神奈川県)と甲斐の国(山梨県)との国境を控える宿場町でした。
関野宿の先には、国境の「諏訪番所」があったので、相模の国の最後の宿でした。
上の写真は、関野宿の中心部の家並みですが、明治21年とその後の2度の火災で完全に焼失してしまったので、当時の面影は全く残っていません。
宿場町の外れに写真の曹洞宗「増珠寺」があります。
増珠寺の参道の階段の脇には、上の写真の様に、1781年建立の「庚申塔」と、力士の追手風喜太郎が1829年に建立した「安昌久全信士(追手風小太郎)碑」がありました。
上の写真の追手風喜太郎についての説明版によると、喜太郎は、ここ関野の生まれで、大関まで昇進しました。
ここ増珠寺には、喜太郎が寄贈した五具足や燭台などがあるそうです。
関野宿の外れの増珠寺から、次の上野原宿へ向かいます。