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  三国街道を歩く   (須川宿 → 猿ヶ京宿)




(写真は、猿ヶ京関所資料館 )

昨日は、三国街道を永井宿から猿ヶ京宿まで歩き、猿ヶ京温泉に1泊、宿の温泉に浸かって
街道歩きの疲れを癒しました。



今朝は、宿の近くの「猿ヶ京」バス停から、路線バスに乗って、約10分、「たくみの里」バス停で
下車します。

「たくみの里」は、「三国街道」の「須川宿」でもあります。

「たくみの里」には、陶芸・わら細工・竹細工などの”手作り体験工房”や、そば打ち体験、
こんにゃく手作り体験などの様々な工房が点在します。



これらの工房は、「須川宿」の農家を改築したものです。

ここには、「道の駅 たくみの里」もあり、1日中過ごせる様なエリアになっています。

「須川宿」は、須川平と呼ばれる広い段丘面の上にあり、街道は、ほぼ直線で、中央を
水路が通っていました。





上の写真の現在の本陣宅は、明治初期の建物です。

宿場の中央には、本陣兼問屋と脇本陣が隣り合っていました。

1779年、脇本陣から出火、大火となり、隣りの本陣を始め、須川宿の大部分が焼失した
そうです。

明治に入り、「須川宿」は、鉄道からも遠く、また、三国街道(国道)の直線化により、国道が
須川宿を外れてしまい、寂れる一方でした。

しかし、須川宿では、昭和59年から「たくみの里」造りを進め、町並み保存、周辺の素朴な
野仏巡り等を中心に、コンニャク作り等の体験型の施設を街道周辺に多数展開して
村興しを始めました。

そして、平成8年「三国街道須川宿」として歴史国道に指定されました。

宿場町のほぼ中央にある脇本陣跡は、次のの写真の「須川宿資料館」になっています。





資料館の門は、本陣の門を復元したもので、江戸時代の本陣の門柱や門扉を使用している
そうです。

内部はワンフロアーの展示室になっており、本陣の道具類の他、宿場町に関する古文書
などが展示されています。

(200円)(撮影禁止)

その古文書の一つ「須川新田町立て定書」には、須川に新田を造れば、その分の3年間は
年貢不要にする旨が書かれています。

定書には、更に、新田造成の人足に盗賊を使ってはならない、とあります。

ということは、逆に言えば、NHK大河「女城主 直虎」の様に、盗賊を人足に使っていた、
という事なのでしょうかねえ・・・

また、展示室の奥には、本陣の上段の間が復元されています。

資料館を出て、たくみの里のメインストリート「宿場通り」沿いの工房や食堂などを覗きながら
歩いて行きます。




「宿場通り」を抜けると緩やかな坂道になり、ここを下って行きます。

ここからは、三国街道を、昨日とは逆方向に、須川宿から猿ヶ京宿まで歩きます。

緩やかな坂道を下ったところに、「野仏巡り」の旗が立っており、その奥に写真の
「野仏(道祖神)」がありました。



野仏の先も下り坂が続き、これをどんどん進ん行きます。







下り坂が終わり、その先は、途切れ途切れに現れる旧三国街道(中部北陸自然歩道)の
標識を頼りに、田園風景の中を歩いて行きます。







やがて、赤谷川に掛かる「あいのわたし」橋を渡り、浅地集落に入ります。











集落を抜け、急な上り坂を上って行くと、国道17号に合流しました。





国道17号を少し歩くと、左手に、「赤谷湖」(あかやこ)沿いの猿ヶ京温泉街までの遊歩道
の地図がありました。





遊歩道の地図の近くに、上の写真の「謙信のさかさ桜」(県指定天然記念物)がありました。

これは、上杉謙信が、関東出兵の際、逆さに挿した桜の鞭が根付いた、と伝えられる樹齢
450年の桜の樹です。

地図に従って、赤谷湖沿いの遊歩道へ下りていきます。

ここから、赤谷湖の素敵な景色を堪能しながら、猿ヶ京温泉街までウォーキングです。



赤谷湖は、赤谷川をせきとめた相俣ダムの人造湖です。





江戸時代には、三国街道は、この湖の底にありました。

江戸時代からの三国街道沿いの笹の湯、湯島温泉は湖底に沈みました。

現在は、三国国境の山並みを湖面に映す静かな湖で、ワカサギなどの釣り場スポットになって
います。



赤谷湖遊歩道を、ぐるっと半周回って、猿ヶ京温泉街を目指します。

こどもの日ということで、赤谷湖の湖面をまたいで、写真の鯉のぼりが元気に泳いでいます。





次頁の写真の様に、赤谷湖の奥の上越国境の山々は、未だ雪化粧のままです。

また、前方には、猿ヶ京温泉のホテルも見えて来ました。



赤谷湖の遊歩道から、猿ヶ京の温泉街の下の崖の急な坂道を上って行きます。







赤谷湖の遊歩道から、急な坂道を上り切って、猿ヶ京の温泉街に出たところに、次頁の写真の
「猿ヶ京関所資料館」がありました。

(300円)( 水・木休館 )



三代将軍家光によって設けられた関所の役宅で、役宅が現存するのはこの猿ヶ京関所だけ
だそうです。



この役宅の建物を利用して、関所に常備されていた武具類、良寛の通行手形、新鮭の
献上手形、昔の旅の様子、猿ヶ京関所付近絵地図などが展示されています。



関連資料で江戸時代の三国街道の旅の様子も知る事ができます。



資料館の係のオジサンが一つひとつ丁寧に説明してくれます。



(隠れキリシタンの稔侍仏)



(良寛使用の通行手形) 



(草津温泉湯治女の通行手形)  



(女通行手形)



(磁石)

三国街道には、宿場毎に、佐渡送りの重罪人を泊める牢があり、これは他の街道には無い
三国街道の際立った特徴でした。

そこで、ここの資料館の説明のオジサンに、猿ヶ京関所の牢屋について聞いてみました。

オジサンは、古文書の関所周辺の地図を見せながら、猿ヶ京関所の多くのスペースを牢屋が
占めていた話しをしてくれました。

また、佐渡送りのエピソードとして、長岡藩が佐渡送りの重罪人を護送中に、三国峠で雪崩に
合い、藩士は全員死亡、とうまる籠の中の重罪人だけが助かった、という事件もあったそうです。

資料館を出て、猿ヶ京の温泉街のメインストリートを散策します。



温泉街のメインストリートの全体的な印象としては、寂れてしまっている感じです・・・







町中には、足湯ならぬ、写真の様な”手湯”が点在します。

手湯は、結構お湯の温度が高くて熱かったです。





今朝、温泉宿の朝風呂に入ったのですが、赤谷湖畔遊歩道のウォーキングでかなり汗を
かいたので、メインストリートの日帰り温泉の茶店に入ます。

日帰り温泉の食堂で蕎麦を食べてから、一風呂浴びて、横浜に帰りました。

新幹線を往復使うのは勿体ないので、帰りは各駅停車で横浜まで帰りました。



(関越交通バス・猿ヶ京バス停)


(JR沼田駅)

猿ヶ京 → (関越交通バス)→ JR沼田駅→ (JR上越線) → JR高崎駅
→ (JR上野東京ライン) → 横浜