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52-1:鵜沼・犬山城


翌朝、岐阜駅前のビジネスホテルを出て、名鉄・岐阜駅から電車で、昨日のゴールの鵜沼宿へ戻ります。




栄泉の浮世絵「木曾海道69次(鵜沼ノ駅従犬山遠望)」には、犬山城から木曽川越しに、対岸の鵜沼宿の眺めを描いています。

という訳で、鵜沼宿を見学する前に、名鉄・鵜沼宿駅を2駅乗り越して、犬山遊園駅で下車、先に、犬山城を見学します。

犬山城へは、木曽川沿いの桜並木の素敵な遊歩道を、約20分歩いて行きます。



犬山城の天守閣は、日本に現存する最古の天守で、姫路城・彦根城・松本城・松江城と並ぶ国宝です。


犬山城は、木曽川のほとりの小高い山に立っていますが、ここは、美濃の国(岐阜県)と三河の国(愛知県)の国境で、人と物が行き交った交通の要衝でした。

犬山城は、戦国時代の1537年に、織田信康(織田信長の叔父)が築城した城です。

犬山城は、信長、家康、秀吉の3人の天下人が奪い合った城で、3回も落城、しかし天守は奇跡的に焼けなかったそうです。

江戸時代に、尾張徳川家の家老・成瀬正成が入城したあとは、成瀬家が代々受け継いで幕末を迎えました。

明治24年の濃尾地震で大きな被害を受けましたが、天守閣修復を条件に、
旧城主の成瀬氏に譲渡され、近年まで”個人所有の城”として有名でした。

現在は、犬山市が管理しています。

犬山城の前の広場から、石畳の坂道を上って城内に入ります。


(矢来門跡)

犬山城の石垣は、石を加工せずそのまま積み上げる「野面積み」で積み上げられています。



犬山城の特徴は、1階の入口の右脇に、飛び出た様に造られた「付櫓」(つけやぐら)で、天守の入口を防御するための櫓です。

(下の写真の右側)




また、上の写真の様に、「唐破風」(からはふ)と呼ばれる飾り屋根が、天守の優雅な雰囲気を作り出しています。

本丸門の前で入場券を買います。

(500円:城下町の「城とまちミュージアム」と共通券)



本丸門を入ると、天守閣は目の前です。

犬山城の外観は3層ですが、内部4階と石垣の中の2階と合わせて6階になっています。

天守の出入り口は、天守を支える石垣の中なので、先ず、石垣の部分の狭くて急な階段を上ります。



天守1階の中央部分には武者が控える4つの部屋があり、その4部屋の周囲を巡る廊下は「武者走り」と呼ばれます。



下の写真は、城主専用の「上段の間」で、この上段の間の奥には、城主を守る護衛がいる「武者隠しの間」があります。




(石落としの間)

天守2階の中央部は、ひと際、天井が高い「武具の間」で、三方に、鎧・兜・槍などを収納する武具棚があります。



天井が高いのは、長い槍を扱える様にするためです。



天守3階は、天井の低い「唐破風の間」で、外から見える「唐破風」の裏側にあたります。





そして、いよいよ最上階の天守4階です!

天守の手すり(高欄)が施された廻縁(まわりえん)からは、犬山の城下町が見下ろせ、更にその先には、
戦国時代に何度も激戦が繰り広げられた濃尾平野が一望出来ます。



眼下は、木曽川の雄大な流れです。



最上階には、成瀬家初代・成瀬正成以降12代にわたる成瀬家の城主の肖像画が飾られています。



犬山城の前の広場に戻ります。



この広場から、名鉄・犬山駅への道の両側には、土産屋、食堂などを営む
城下町が残っています。







城下町の端にある「城とまちミュージアム」で、犬山城関連の資料を見学します。







その後、城下町の端にある犬山駅へは向かわず、犬山遊園駅に戻り、鵜沼宿見物のために、2駅戻って鵜沼宿駅で下車します。




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