御嵩宿に入ると、道は緩やかにカーブし、左手の御嵩公民館の先を右折すると宿場町に入ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/8f/bd2918fd973f56d7721943868894c466.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/65/430cef05e141e2e15a8810f4bac33e55.jpg)
御嵩(みたけ)宿は、江戸時代には、宿の端にある天台宗の古刹「大寺山 願興寺」(蟹薬師)を中心に発展しましたが、宿場町としては大きくはありませんでした。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/5d/3d5d381b6a8a24e1f7c2652383b9ce95.jpg)
現在は、名鉄・広見線の御嵩駅が宿場の端にあるため、交通の便は良いのですが、江戸時代の古い家は、それほど多くは残っていません。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f4/0d46192cf895ec1a48d23dd224a6a1b4.jpg)
![](body_walk.gif)
先ず、下の写真の「商家竹屋」に入ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/e4/cddb334f5a977b538e58dac92bae5ab9.jpg)
そこへ、横浜のYさんも入って来たので、一緒に、ボランティアのオジサンの「商家竹屋」の説明を聞きます。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/a1/e2d7da2a3bee318a36c6722966b2055d.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ea/01625beac053255ca481b5477709340c.jpg)
それによると、
商家竹屋は、江戸時代末期、本陣職を勤める野呂家から分家し、商いを中心として代々受け継がれてきました。
竹屋の商いは、店頭販売ではなく、金融業をはじめとして、繭・木材・綿布などを扱っていました。
後年には、アメリカ製自動車の輸入販売、名古屋では竹屋街と呼ばれる借家街の経営、あるいは、佐渡金山への投資など、幅広い商売を手掛けていたとされ、いわば現代の総合商社の先駆けだったそうです。
![](cat_5.gif)
商家竹屋を出て、当時の面影を残す門構えの「御嵩宿本陣」跡(下の写真)と「中山道みたけ館」の外観を見ながら進むと、名鉄広見線の御嵩駅に突き当ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/93/9026163a25e8e4359545565669b09e10.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/8e/0cfe4c11ba1f9b166c0352bcbb3c2a15.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/78/6fba18e57cbd055bfce224f79b2a89d0.jpg)
(御嵩駅)![](cars_train.gif)
駅の入口には「御嵩観光案内所」があったので、早速、御嵩宿のウォーキング地図を貰います。![](m_0140.gif)
駅前の「大寺山 願興寺」(通称「蟹薬師」)(国重要文化財)に入ると、想像以上に荘重で立派な本堂で、それを取り巻く広い回廊が目に入ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/92/63fd6d40240bb1862fa2b0827fac267c.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/03/0f6b1bb5e44344141faadf9a182a293b.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/5b/057760bf8d612aa097fcb924d1b52f0c.jpg)
815年に伝教大師(最澄)によって創建された天台宗の古刹ですが、火災により焼失、しかし、その後、庶民 が、板・柱を持ち寄って再建したそうです。![](m_0140.gif)
本堂の薬師如来坐像は、子年の4月1日のみに開帳されるという秘仏だそうです。
御朱印帳に印を貰うため、願興寺住職の帰宅を待つという横浜のYさんと、ここで別れて先へ進みます。![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0088.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/0c/d859f9f12829a4905fcbd72cb843db88.jpg)
願興寺が、中山道の枡形の角になっているので、道は願興寺を右にそしてすぐ左へ曲がります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/62/1fdfbaa0a1e14433978f6efc1f921646.jpg)
やがて、大きな道に合流して進んでゆくと、右手に「鬼の首塚」の白い幟旗がはためいています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/85/3100057f8913505e714bd5eb688ed3e4.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/9e/8b671c7f1ee0ed41bae83ac1d906876a.jpg)
祠の前には「鬼首塚遺跡」の石柱があり、祠の中には「関ノ太郎首塚」の石碑がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/waraioni.gif)
案内板によると、鎌倉時代、鬼岩の岩窟に住む「関ノ太郎」という極悪人が村人を苦しめていました。![](m_0211.gif)
村人が「蟹薬師(願興寺)」に祈願したところ、関ノ太郎が祭礼に現れるとのお告げがあり、そのお告げ通りに現れたので、それを捕え首を刎ねました。
その後、関ノ太郎の首を桶に入れ、都へ運ぼうとしましたが、その首が次第に重くなり運べなくなったので、ここに桶のまま埋めました。
![](face2_shock_s.gif)
それ以来、この地を「桶縄手」と呼ぶ様になりました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/2f/f472c9487cbb908c5ebc00a673febfc1.jpg)
「続膝栗毛(第二部)」(静岡出版)(1,500円)では、弥次さん喜多さんが、ここ「桶縄手」の「関ノ太郎」の言い伝えを聞いて一句。
”桶縄手 今もその名を 朽ちさりき 塩漬けにせし 鬼の首かも”
(桶も縄も今もその名が朽ちていない様に、塩漬けにした鬼の首は今も朽ちない。)
「鬼の首塚」の脇には、子規の歌碑が建てられていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/97/2d71e21b2ae0f81ae359affa3eef59ab.jpg)
”草枕 むすぶまもなき うたたねの ゆめおどろかす 野路の夕立”
首塚の先で右の脇道へ入りますが、直ぐに国道21号に戻り、右手に「郷社 八幡神社」の入口の石塔を見ながら、暫く国道21号に沿って歩きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/bc/791bd3fde0941a7e4af251291fd86f0d.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/ae/55b6498917c57f6a322a5493156b8dcc.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/39/e42acbc68b675cc9a0b954ed92af091c.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/da/b63f8b8fc8c8e0b901ba8e286ba9be55.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/d8/a866977db2c435baa34d97669b0cd1e8.jpg)
国道21号沿いの上の写真の「比衣の一里塚跡」の石柱から脇道に入り、田舎道のアップダウンを歩いてゆくと、再び、国道21号に合流しました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/46/e4774d96500f2ea6adeda910c9b6defc.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/80/f4f6bcc7c0624cb72697fe05b3a0a45e.jpg)
![](body_walk.gif)
国道21号を暫くしばらく歩くと、もう左側に伏見宿の公民館の建物が見えて来ました。
御嵩宿から伏見宿までは、約4キロです。![](body_walk.gif) |
![]() |