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多摩川を歩く (その39) (多摩川決壊の碑)  2022.9.27




(写真は、テレビドラマ「岸辺のアルバム」で有名になった「多摩川決壊の碑」) 


   

 

 



「宿河原堰堤」(しゅくがわら えんてい)の真近かまで来ました。




写真の様に壮観で、圧倒されます! 







堰の周辺には、豊かな餌の魚を求めて野鳥が集まっています。



この「宿河原堰堤」は、「二ヶ領用水」(注)へ取水するためのダムです。

(注)二ヶ領用水:二ヶ領用水は、多摩川の上河原と宿河原の2カ所に堰を設けて、多摩川から取水しています。

      ここから取水された多摩川の水は「二ヶ領用水」へと分水されます。

   この用水は、ほぼ多摩川に沿って、川崎のほぼ全域に枝分かれしていて、川崎市域の給水しています。

   江戸時代には、稲毛領と川崎領の2ヶ領を潅漑する用水だったのが、二ヶ領用水の名称は由来です。

        (二ヶ領用水の詳細については、「二ヶ領用水に沿って@」「同左A」を見てね。)     

                                                               



ここからの取水は、当初、は自然流入で取り入れていましたが、東京の人口増加により、更に上流の「羽村取水堰(はむら しゅすいせき)」(注)
からの取水量が増えていきました。


(注)羽村取水堰:多摩川から玉川上水に水を取り込むための取水口(堰:せき)で、この宿河原堰堤よりも更に上流の東京都羽村市にあります。

このため、羽村よりも下流にある地域間の水の争奪が始まりました。

更に、関東大震災後には、多摩川の砂利の需要増による砂利採取で、川床が低下してしまい、これにより洪水の度に、この堰堤が決壊する様になりました。

戦後になって、進駐軍からセメント特別供給を受けて、昭和24年、ようやく、コンクリートの「宿河原堰堤」が完成しました。

 

昭和49年、台風16号の大雨による多摩川氾濫で この辺りの堤防が決壊しました。

川沿いの19戸の民家が、多摩川の濁流にみ込まれて次々と流されて行くという、ショッキングなニュース映像が、リアルタイムで全国に流れました!

                

(当時のライブ映像:NHK公式ホームページから)

更に、その3年後には、この水害を題材にした、テレビドラマ「岸辺のアルバム」が、大きな話題を呼びました。

このドラマは、一見平穏に見える川が、ある日突然濁流に変わり、平凡な家庭を飲み込んでいくという、平凡な中流家庭の崩壊を描いた作品です。

   

(岸辺のアルバム:TBS公式ホームページから)

こうした問題を受けて、平成11年、写真の様な現在の可動堰に改良されました。

 



次の目印の小田急線鉄橋を目指して歩いて行きます。









小田急線鉄橋の手前に、当時を偲ぶ「多摩川決壊の碑」が建っていました。













小田急線の鉄橋をくぐります。













「多摩水道橋」を川崎側へ向けて渡ります。  































橋を渡り終えてから地図を見ると、近くにJR南武線の登戸駅があります。



多摩川沿いに登戸駅へ向かいます。







JR南武線の登戸駅から乗車して、武蔵小杉駅で東急東横線に乗り換えて横浜へ帰りました。