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多摩川を歩く (その25) (多摩川浅間神社:東京側)  2022.9.16




(「多摩川浅間神社」の「シン・ゴジラ」のお守りと絵馬)

 



前日は、涼みながら六郷用水を抜けて、東急東横線の多摩川駅から帰宅したので、本日はその多摩川駅からスタートします。




上の写真は、多摩川駅の正面の丸子橋の交差点です。



丸子橋の交差点の道路向かいの上の写真の小高い丘が、今日の目的地の「多摩川浅間神社」(たまがわ せんげん じんじゃ)です。


石橋山の戦いに敗れた「源頼朝」は、安房国で再起し、上総国・下総国の諸将を味方に付け、隅田川を渡り、瀧野川(東京都北区)に陣を布きました。


このとき、夫の身を案じた「北条政子」は、瀧野川の陣を目指します。

しかし、政子はその途中、ワラジで足を痛めたので、ここ多摩川の川べりで休み、夫の武運を祈って、身につけていた正観世音像をここにに安置しました。

それ以来、村人達は、この像を「富士浅間大菩薩」として祀ったのが、多摩川浅間神社の起こりだそうです。

 





多摩川浅間神社は、古墳の上に建てられており、多摩川沿いの舌状台地の先端にあります。



浅間神社の参道の階段には、多数の溶岩が置かれ、富士塚の様に、富士登山の疑似体験が出来ます。



階段の左右にあるゴツゴツした岩は、富士山の溶岩を運んできたものだそうです。



階段の中程には、上の写真の「白糸の滝」もあります。





その少し上には、上の写真の「小御岳石尊」(こみたけ せきそん)と刻まれた石碑があります。

これは、富士山五合目にある小御岳神社を現しているのだそうです。



更に上がると、上の写真の「食行身禄(じきぎょう みろく)之碑」と刻まれた石碑がありました。

食行身禄とは、富士山の八合目で断食修行をし、浅間信仰の団体である富士講の祖となった人物だそうです。





多摩川浅間神社の本殿の建築様式は、都内唯一の「浅間造り」です。



浅間造りとは、社殿の上に社殿が乗る2階建ての構造です。





社務所では、「シン・ゴジラ」をデザインしたお守り、絵馬、手ぬぐい等を売っています?



自動販売機にも「シン・ゴジラ」が・・・





社殿の左脇には、写真の広い展望スペースがあります。





展望スペースから眺めると、左手に丸子橋、右手に東急東横線がよく見えます。







対岸は武蔵小杉の高層マンションで、更に、晴れていれば富士山も眺望出来ます。

素晴らしい眺めです!

映画「シン・ゴジラ」では、ゴジラは、武蔵小杉の高層マンション群に現れました。

 

(武蔵小杉の高層マンション群を破壊するゴジラ:映画「シン・ゴジラ」から)



防衛隊は、ここ多摩川浅間神社に指揮所を置いて、多摩川を防衛線としました。

     

(多摩川浅間神社に向かう防衛隊:映画「シン・ゴジラ」から)

     

(浅間神社の展望スペースに設置された防衛隊の指揮所:映画「シン・ゴジラ」から) 



(丸子橋の下の河川敷を埋め尽くす防衛隊の戦車群:映画「シン・ゴジラ」から)

陸と空からあらゆる兵器を使って攻撃します。



(空からの攻撃:映画「シン・ゴジラ」から)

しかし、ゴジラが蹴った丸子橋の鉄橋がぶつかり、何と!指揮所は壊滅してしまいます!

   

(ゴジラに蹴飛ばされる丸子橋の鉄橋:映画「シン・ゴジラ」から)


映画の中では、この神社が破壊されるシーンがないことから、「シン・ゴジラの破壊から難を逃れた厄難消除」の神社として、「厄災よけ」のご利益があるそうです。



う〜ん、そんな理由で?

ロケ地として、現在も大勢の映画ファンが参拝しているのだそうです。