本文へジャンプ
多摩川を歩く (その18) (ガス橋)  2022.9.9




(写真は、ボロボロに錆びているガス橋の手すり)


 



多摩川大橋の先から、堤防の上の土手道に上がり、写真の「御幸公園」で一休みします。



























「ガス橋」が見えて来ました。





ガス橋の手前に、写真の「平間の渡しの碑」がありました。







上の写真の「ガス橋の歴史」の説明版によると、元々、この橋は、東京ガスが、鶴見製造所でつくったガスを、
都内に供給するためにつくった「ガス人道橋」でした。


つまり、当初は、車両通行ができない人道橋でした。

しかし、昭和35年、交通量の増大に対応するために、車道と人道の間に柵を設けて、車両も通行出来る様にしました。

橋の幅はそのままで、2車線を確保したので、歩道はギリギリの幅になってしまいました。

現在は、このギリギリの幅の歩道のままなので、先方から来る自転車や人とすれ違うときには、どちらかが脇に避けなければなりません・・・

橋の車道は、一般道の位置づけになりましたが、元々は、ガス管を通すための橋だったので、橋の名前は「ガス橋」のままです。

現在も、橋の下には、東京ガスのガス管が通っており、通行とエネルギー供給の2つの機能を持っています。





写真の様に、橋の手すりは、錆て老朽化しているので、寄り掛かかったら外れそうな気がします・・・



川崎側から東京側へ橋を渡って行きます。 











橋を渡り終えると、正面の左手には、下丸子のキャノン本社ビルがありました。

橋の反対側の歩道を東京側から川崎側へ戻ります。 





橋の下は、「ガス橋緑地」です。























写真は、「上平間排水樋管(ひかん)」で、浄化された下水をここから多摩川に流しています。















上の写真は、「中丸子」の信号ですが、多摩川の対岸は「下丸子」です。

多摩川の両岸には、「等々力」や「丸子」などの同じ地名が点在します。

例えば、世田谷区の「等々力渓谷」と、川崎市の「等々力競技場」は、江戸時代は同じ等々力村でした。

等々力村は、江戸時代には一つの村だったのですが、多摩川の氾濫により、村の中央を流れる様に流路が変わり、村が分断されました。







写真は、「山王排水樋管(ひかん)」で、浄化された下水をここから多摩川に流しています。





JR横須賀線と東海道新幹線の鉄橋が見えて来ました。









鉄橋の脇には、ゴルフ練習場があります。





 

上の写真が「海から13キロ」の道標で、下の写真がサイクリングロードの地面に表示された「13.0」です。



丸子橋と橋の手前のゴルフ練習場が見えて来ました。







丸子橋を渡ります。