変な恰好の小隊長さん

 

四章

 

 朝起きると、雨だった。お父さんが、隣のおじさんと畑の見回りに出て行くところだった。僕の村には全部で30軒くらいの家がある。昔はお父さんも町で会社に勤めていたんだけど、戦争が激しくなってこの村に引っ越してきた。同じような家が10軒くらいある。

その人たちみんなで、大きな農園で食料を作っている。小さな小学校もあって、2年前までは、学校に行っていたけど、先生がいなくなってからは、ときどき、お父さんたちが教えていた。でも、最近はそれもあまりしなくなった。がんばってくれたのは、西の方に住んでいるおじいさんだけど、体が弱くなったんで、あまり出来なくなったそうだ。

朝ご飯を食べていたら、そのおじいさん、田島さんというんだけど、そのおじいさんに荷物を届けてほしいとお母さんから言われた。

僕はそのおじいさんが少し苦手だ。

おじいさんが教えてくれる勉強は難しいし、すぐ怒る。でも、お父さんもお母さんも大事なことだからしっかりと聞きなさいと言われた。おじいさんは国語と社会をよく教えていたけど、あまりおもしろくなかった。お父さんも一度教えたことがある。算数だ。でも目の前にお父さんがいるのは変な感じだし、緊張して何を習ったのかよく覚えていない。正直にいうと、お隣のおじさんより教えるのは下手だと思う。

 

包みを渡されて、川沿いの堤防の上を歩く。ここのところ雨が多い。雨の日は川の水が増えて、茶色い水が、堤防の近くまで来ている。堤防の上の道をとぼとぼと歩いていくと、お姉さんが向こうから歩いてくるのが見えた。

「おはよう」

「おはようございます」

お姉さんは緑色のカッパを着ている。ここは、お姉さんのいる軍事施設からは結構離れているので、こんなところで会うとは思わなかった。

「どこへ行くんだ。少年、いや有樹君」

「はい、田島さんのところにお使いです」

「そうか、ご苦労だな」

お姉さんは僕の頭をなでて、ほめてくれた。ちょっとうれしかったけど、子供扱いされているような感じもする。でも、荷物を届けるのが先だと思って、頭を下げて行こうとしたら呼び止められた。

「有樹君、聞きたいことがあるんだが」

「なんですか」

「この川は、雨が降るといつもこんなに水かさが増えるのか?」

僕は首をひねる。よくここの道を通るけど、そういえば、こんなに堤防の近くまで、一杯に増えたのは初めてのような気がする。でも、こんな雨の日に出歩いたりしないから、見ていないだけかも知れない。

「ちょっと判らないです。でも、僕はこんなに水かさが増えたのを見るのは初めてです」

「うーむ、そうか」

僕の言葉でお姉さんが、考え込んでいる。お姉さんの視線は川に向けられている。しばらく考え込んだ後で、お姉さんは僕に頼んだ。

「田島さんと言ったな。この村の村長さんだろう?」

「ああ、はい、そうです」

「済まないが、田島村長の家に案内してくれないか」

もちろん今から行くんだから、断る理由はない。むしろ一緒に歩けて、ちょっとうれしい。

「はい、わかりました」

「ありがとう」

お姉さんは僕の横を一緒に歩いた。僕は雨でぬかるんだところを避けて、土の硬いところを選ぶけど、ときどき長靴がずぼっと泥に埋まる。お姉さんのブーツは僕のよりずっと大きい。ひゅんひゅんと機械音を出して、ざくざくと歩いていく。

僕はあのとき見ていた。手からレーザーが出て来たとき、背中から羽根が出て来たとき、トラックの中で一杯線を繋いでいたとき。お姉さんの身体には機械が入っているんだろう。だから、飛行機をやっつけたり出来たんだ。

「お姉さん、ちょっと聞いていいですか?」

「なんだ」

「お姉さんの身体に機械が入ってるんですか、痛くないですか?」

「えっ?」

お姉さんが一瞬僕の方を振り向いて、またすぐ前を見る。しばらく黙ったまま、ざくりざくりと歩き続けて、お姉さんはぽつりと言った。

「痛くはない、全部機械だから...」

「全部?」

「あ、いや、全部と言ったら間違いだな。ここは人間だから」

お姉さんが自分の頭を指さす。

「いろいろあってね、身体は機械に変えた」

僕はお姉さんの身体を改めて見ていた。身体はカッパに包まれていてよく分からない。横顔はいつものお姉さんだ。ここも機械なのだろうか。頭を指さしたから、頭だけは身体なのだろうか。

聞かなかった方が良かったかなと思った。でも、顔も機械なのかとうか聞いてみたい。

「あ」

「なにかあったか?」

「い、いえ」

そういえば思い出した。お姉さんが、飛行機をやっつけるとき、僕をちらっと見たときの表情。

それはものすごくかっこいい機械だった。目は僕をしっかりと捕らえていた。けれど、その目は何かを測定する精密機械だった。

やはり、あの目は機械だったんだろう。とすれば、顔も何かの機械で出来ているかも知れない。でも、僕の怪我の手当をしてくれたときは、優しいお姉さんだった。すぐ目の前に、柔らかそうなお姉さんのほっぺたがあったのをよく覚えている。そして、ときどき、にやっと笑う表情、困って目を泳がせるときの顔。お姉さんの表情は意外とよく変わる。機械かも知れないし、機械じゃないかも知れない。

 

しばらく考えながら、雨の中を村長さんの家まで歩いていく。いったん堤防を降りて、畑の中を通り、少し坂道を上ると、田島さんの家だ。おじいさんは一人で暮らしている。古い大きな家で、ときどきこの家で大人たちの集まりがある。

「ここか?」

お姉さんが聞いた。僕はうなずいて、ドアを叩く。おじいさんの声が聞こえた。

「あいているよ」

「こんにちは、森川です」

「ああ、入ってきなさい」

返事がして、お邪魔しようと振り返ると、お姉さんがはっとした顔をした。ぱちぱちと瞬きして、慌てて声をかける。

「失礼します。美浜と申します」

「ん、どちらの方ですかな」

おじいさんが、ゆっくりと奥から出てくる。着物姿のおじいさんだ。おじいさんが出てくると、お姉さんは敬礼した。

「失礼します。中央第2防空群1815小隊の者です」

「ご苦労さまです。何かありましたか?」

おじいさんも小さく敬礼をして、すっと手を下ろした。おじいさんの敬礼の仕方はとても慣れているようだった。

「はっ、はい、川の堤防の状況について、お話をさせていただきたいと思っております」

おじいさんはしばらくお姉さんをみて、それから僕を見る。おじいさんは僕が持っている荷物を見て目を細めた。

「ふたりとも、上がりなさい」

お姉さんは、礼をして靴を脱いだ。僕は、おじいさんに荷物を届けるだけで良かったんだけどな。

 

僕とお姉さんが、並んで和室の座卓に座る。しばらくして、おじいさんはお茶を運んできた。僕の前にだけお茶をおいて、おじいさんは僕たちの向かいに座った。

「挨拶が遅れました。村長の田島です。軍の方ですな。どのようなご用件でしょうか」

「はい、上津弾薬庫跡地を守備しております、1815小隊の美浜みのり少尉と申します」

「ほう、あそこで、それはそれはご苦労様です」

おじいさんは、お辞儀をして、お姉さんをじっと見つめた。お姉さんは、ちょっと目を伏せて、頷く。

「......」

二人ともじっとして、しばらく黙ったままだった。じっとお姉さんを見つめるおじいさん。目を伏せて黙っているお姉さん。

手持ちぶさたで、なんにもすることがないので、僕はとりあえず、お茶を飲む。

「あ、あの、失礼ですが...」

お姉さんが口を開いた。おじいさんがゆっくりと返事をする。

「はい」

「田島さんは以前軍におられたのではありませんか?」

おじいさんが小さく頷く。ぽつりぽつりと話し始めた。

「はい、以前は軍のほうにお世話になっておりました。今はここに戻って、無聊を囲っております」

「そうでしたか。私は、士官学校34期の」

「わかっております、当時は美浜軍曹でしたな」

おじいさんは目を細めてうなずいた。お姉さんはぱっと顔を上げて、うれしそうな顔をする。

「は、やはり、田島中佐でしたか。その節はお世話になりました」

「いやいや、若い方ががんばっておられて、頼もしいことです」

「はい、恐れ入ります」

おじいさんは軍の人だったんだ。そしておじいさんはお姉さんのことを知っていた。僕がここに引っ越してきたときには、おじいさんはもうここにいたから、いったいどのくらい前の話なんだろう。二人の話を聞きながら、僕はそんなことを考える。

「その身体は、いつから?」

「はい、第一次首都爆撃でやられました。全身義体です」

「そうですか...そうでしたか。むごいことです。もう少し我らに力があればこんなことにはならなかったのですが」

「いえ、そんな」

おじいさんが深く頭を下げるのをみて、お姉さんが慌てて止める。ゆっくりと頭を上げたおじいさんは、雨の降る庭を見ながら、つぶやいた。

「わたしは...」

しばらく、庭に目を向け続けている。少し間を置いて、おじいさんは小さく頭を振った。

「わたしはその第一次攻撃の後、軍を離れました。我々の部隊が壊滅的な打撃を受けて再編されたのを期に、私のような年寄りは引いて、戦闘意欲のある若い人を司令部に抜擢したのです。そして、私はここに戻り、安穏と生きさせてもらっています」

「そうでしたか...」

おじいさんは、目を閉じた。

「でも、それは間違いだったかも知れません」

「?」

お姉さんが、不思議な顔をする。僕も意味が分からない。おじいさんは、僕とお姉さんの顔を交互に見る。おじいさんは少し力を込めて、話し出した。

「こんな若い人が、戦ってくれている。まだ先のある若い人がですよ。そんな方たちが、機械の身体になってまで、戦ってくれている。私などは、耄碌して、いつ三途の川を渡ってもおかしくないのに、のうのうと生き暮らしておる」

「そんなことはありませんよ。村長としてりっぱにやっておられるではありませんか」

「いや、村長など出来てはいません。この子のご両親みたいな若い人が助けてくれるから、村長などと言われているだけのこと、もう私には何も出来ることはありません」

「おじいさんは、先生もしてくれているじゃないですか」

僕は思わず言った。でも、おじいさんは首を振る。

「もう、身体がきつくてな、おまえたちを教えるのも大変になってきた。もっと教えてやりたいが済まないな」

「......」

僕は何も言えなくなった。もう、学校の勉強が無くなってから、結構長い。

「美浜少尉」

「は、」

1815小隊といえば再編部隊ですな、以前はどちらへ」

「は、はい」

お姉さんが苦笑しながら答える。

「以前は同じ防空軍の372小隊でしたが、相次ぐ損害のため、再編されて後方に回されました。近いうちに前線へ戻ることになるでしょう」

300番台は首都防衛ですな。優秀な指揮官だったようで」

「いえ」

お姉さんが、悲しそうな顔をする。手をぎゅっと握りしめて、下を向いた。

「第三次の大規模首都爆撃では、部下を大勢戦死させてしまいました。そして、それどころか、首都の防衛も満足に出来ず、爆撃を許してしまいました...」

下を向いたままのお姉さん。それをおじいさんはじっと見ていた。しばらくの時間がたち、おじいさんは強くお姉さんに言い聞かせる。

「戦の勝ち負けはあなたひとりの問題ではない。美浜少尉、あなたは出来る範囲で精一杯戦ったのであろう。それならくやむことなどない」

「でも、その爆撃で家族を失ってしまいました。そのためにやったのに。家族が残っていれば身体が無くなっても耐えられたのに」

「そうか...そういうことでしたか」

下を向いたまま、お姉さんは身体を震わせている。ぼくは、思わずお姉さんの背中をさすってあげた。

おじいさんは目を閉じて、じっとしている。おじいさんの手もかすかに震えていた。

「それは、さぞかし無念でしたでしょう。我々もふがいなくて申し訳ない」

「......」

お姉さんはときどき小さく嗚咽を漏らした。おじいさんはそれを静かに聞いている。

お姉さんの重い身体が、さする手と一緒にゆっくりと揺れる。お姉さんは黙っていた。おじいさんの顔を見ると、おじいさんは小さく頷いた。そして長い時間がたった。

いつのまにか、お姉さんは僕のさする手と一緒に、小さく歌をつぶやいていた。それば僕も知っている、ずっと昔の子守歌。

 

「有樹、おまえは美浜少尉を知っていたのか?」

お姉さんが落ち着いて、ぽつぽつと村のことなどを話しているときに、不意におじいさんが僕に声をかける。ちょっとぼんやりとしていたところから、慌てて我に返る。

なんと言おうか考えて、お姉さんをみた。お姉さんはすっかり落ち着いて、今まで見たこともないような穏やかな顔をしている。

「あ、えーっと、と、ときどき森に入るんだけど、森の中にある軍事施設にお姉さんがいたんです。それで、ときどき話をしています」

「森というのは、上津弾薬庫の森か?」

あそこは上津弾薬庫というのか、知らなかった。軍事施設のあるところ、と言えばみんな判ったから、そんな名前初めて知った。おじいさんはお姉さんに話しかける。

「そういえば、川の堤防のお話があるとか言っていましたな」

お姉さんは、すっかり忘れていたらしく、はっとして、姿勢を正した。

「そうでした...えーっと...そうだ、うん、改めてご報告します。この雨のため、早朝から川の水量調査を実施しておりました。その際に、ここから...えー、ここからだと東に約3q上流で、堤防が削られているのではないかと思われる箇所を発見いたしました。該当する場所が、以前どうだったのかは判りませんので、注意すべきかどうかのお話を伺いたく参上いたしました」

3kmというと、堰があるところですかな」

「その堰の若干下流側になります」

「あのあたりに削られているようなところがあったかのう」

おじいさんが考えている。僕が以前言ったときにはそんなものには気づかなかった。削られているのだろうか。

「まだ、河川敷の部分が削られている段階ですが、蛇行している部分の外側に当たるため、崩落は進む可能性があります」

「それは、確認しておいたほうがいいのう」

おじいさんが考え込む。しばらく考えて、おじいさんは僕の方に目を向ける。

「有樹」

「はい」

「有樹、おまえのお父さんに言って調べてもらってくれんか。おまえのお父さんは建設会社に勤めていたから、土木のことも少しは判るはずだ。無理せんでいいから、見て何かあったら私に伝えてくれるように頼んでくれ」

「は、はい、わかりました」

「村長からお願いすると言っておったと伝えてくれ」

「わかりました」

僕が立ち上がろうとすると、おじいさんはお姉さんにも言った。

「知らせてくれてありがとう。あと、お願いついでで何だが、この子を家まで送り届けてくれんか、よろしくお願いしたい」

「は、了解しました」

お姉さんがすっと立ち上がって、カッパを着込む。僕も長靴と傘を持って、準備をする。

おじいさんの家を出るとき、おじいさんはお姉さんに敬礼した。

「もし、困ったことがあったら、私たちを頼ってください。出来ることは協力させていただく」

「は、感謝します。では」

お姉さんも敬礼を返した。そのお姉さんは初めて見る顔だった。とても優しそうな笑顔だった。

 

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