変な恰好の小隊長さん

 

二章

 

施設の周りには銀杏が植えてある。自然にはあまり生えないらしく、たぶんこの施設を作ったときに植えたのだろうと父さんは言っていた。入り口に近い開けたところでは、銀杏の実がいっぱい落ちている。この実の中がギンナンだ。だけど、取るのは少し注意しなくちゃいけない。身の回りのねちゃっとした皮がとても臭くて洗っても取れないんだ。これが。

出来るだけ触らないように、木の棒を箸のように使ってひょいひょいと拾っていく。バケツの中に実が増えていくと、だんだんその臭いも強烈になっていく。バケツいっぱい拾ったら、触っても居ないのに服に臭いが染み付いたらしく、妹が変な顔をして、近づいてこなかった。

取った実は土に埋めておいて、皮が腐って溶けるのを待つ。それを掘り出す時の臭いと言ったらもう、すごいよ。

 

いつものようにテントにいくと、お姉さんはトラックの運転席でお昼寝をしていた。この一台のトラックだけはお姉さんが来たときからずっと止まっている。そして、ときどき、おじさんが別の大きなトラックでやってくる。前にお姉さんが寝ていたのはおじさんの大きなトラックの方だ。そして今寝ているのは小さい方

「少年、来たのか」

挨拶しようと近づくと、お姉さんに突然声をかけられた。寝ているかと思ってたので、ちょっとびっくりしたけど、とりあえず挨拶しておく。

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

すたっとトラックから降りて、僕の前の立つお姉さんは、僕が持っている麻袋をのぞき込んだ。

「今日は何を取りに来たんだ?」

ちょっと考える。この季節は木の実や果物はあまりない。少し前までは野いちごはあったんだけど、これは僕たち子供の世界では最高の貴重品だ。野いちごの場所はみんなよく知っていて、熟れる端から見つけた子供の口に入ってしまう。だから子供同士で、分けるルールを決めている。年長組が取ったものの半分は、必ず年少組に分けること。戦争に行ってしまった、お兄さんから習ったことだ。もっとも、実際には、僕が取った野いちごは、妹の分だけは残して、後はたいてい近所の年少組の口に入る。持って帰っても、近所の小さい子に見つかったら奪い合って食べられてしまうからね。喧嘩にならないように分けてあげなくちゃいけないし。ま、僕も取りながらちょっと食ってるけどさ。

今なら、タラの芽や、セリ、水が流れているところにはクレソンが生えていたりする。今日はそろそろ大きくなって花を付けそうなので、アザミの根と、野蒜(ノビル)をすこし取った。食べ比べたことはないけど、花が咲くと味が落ちて堅くなるらしい。

「これはなんだ、ごぼうか?」

お姉さんは、アザミの根を指さしている。

「アザミです。それから、こっちがノビル」

「ふむ、ネギみたいだな」

「そうですね」

「ちょっと見せてもらっていいか?」

「はい」

麻袋を開けてみせると、お姉さんは野蒜を摘んで、くるくると回した。緑色の葉と白く丸い根が動いている。

「臭いがするでしょ」

「そうなのか」

お姉さんは野蒜を摘んだまま、どこか別のところを見ていた。

「すまんな、わたしはあまり臭いが分からないんだ」

「そうですか」

すこし残念だった。お姉さんは遠くを見ながら話をした。

「育ったのが町の中だったから、あまりこういうのは知らないんだ。それにこういう機会もなかった」

「はい」

ちょっと寂しそうな横顔だった。朝の日がお姉さんを照らしている。だけど、顔は少し陰になってあまり見えない。

「少年くらいの時は勉強ばかりしていたなあ。戦争が始まる前だったが、すぐに始まりそうだったから、みんな一生懸命に勉強して、戦争に勝つように、と思っていた」

「お母さんに勉強しなさいってよく言われます」

「そうだろうな」

「でも、僕が行っていた学校も閉鎖してしまいました。集まって勉強しなさいって、村長さんが僕たちを集めるんだけど、それも最近はあまりないです」

「そうか、でも勉強はしておいた方がいいな」

「そうなんですか」

聞き返すと、お姉さんは苦笑した。少し困ったように笑うお姉さんは、なんだか泣いているようにも見えた。

「たとえば、だ」

お姉さんは取った野草を取り出して僕に見せた。

「?」

「少年がもっている、野蒜とアザミ、これを知っていると言うことは大事なことなんだ。私は知らなかった。勉強していないからな」

「...」

「これを知っているからこそ、取れるんだぞ。知らなかったら、食べられなくて死ぬだけだ」

「はい」

死ぬというのは少し言いすぎではないかと思ったけど、食べ物を知らなければ食べられないのはわかる。

「同じように知っていることで出来るようになることがある。知らなければ出来ないんだ。だから我々は一生懸命勉強した。自分たちの町を守るためにね」

自分たちの町を守る?

そんなことを理由に勉強したことはない。学校には言われたから行っていただけだし、おもしろい教科もあったけど、もともとは自分たちのためにする物だと言われていた。

「お姉さんは町を守るために勉強してたんですか。自分のためじゃなくて町のために?」

「自分の住む町を守るためだから、自分のためかな」

「なるほど」

なにか納得できない気がするけど、意味は分かる。

「どんな勉強をすれば町を守れるんですか」

「どんな勉強というわけではなかったが、軍の士官学校に入るため、猛勉強した。勉強なんて好きでも何でもなかったが、町を壊したくないと思って、一生懸命だったよ」

猛勉強というのがよく分からなかった。ものすごく勉強したことは分かるんだけど、どのくらいすればいいのか分からない。

「どのくらいすればいいんですか?」

「どのくらいだって?」

お姉さんは、俯いて、手をぎゅっと握りしめた。

「何時間も」

「何日も」

「何年もだ」

お姉さんの声が変わる。その声は苦しそうになっていた。

僕は、その変化にちょっとびっくりする。

「まだまだあるぞ、士官学校でも、軍に入ってもだ。でも...」

「でも?」

お姉さんは黙っていた。背中が震えていた。なにか機械の音がカタカタと鳴った。

不意にカタンと手が落ちて堅い音がする。そのあとでお姉さんの泣き声が聞こえた。

「だめだった、町を守れなかった、何の役にも立たなかったのに...」

あとは、ずっと切れ切れに何かをつぶやいていた。

僕は何も言えなくなっていた。

 

 

お姉さんが俯いて体を震わせているので、僕はお姉さんの背中に手を乗せた。ずっとお姉さんは泣いている。顔を隠しているので表情は分からないけど、泣いているのは間違いない。

背中をさすってあげると、薄い水着のような服の下になんだか堅い板がある。でも、いまはそんなことを考えている場合じゃない。気にせずにぽんぽんと軽く叩いてあげる。お姉さんはじっとしていた。どこからともなく甲高い飛行機の音がしてくる。最近はあまりなかったが、ときどき爆弾を落としていく飛行機がある。そんなときは見えにくいところに隠れろと言われている。

「お姉さん」

「......」

「お姉さん、隠れましょう。飛行機が来ます」

「え、?」

お姉さんがびくっとして顔を上げた。しばらくぼーっとしていたようだけど、すぐにきりっとしたお姉さんの顔になる。

すっと目を閉じ動かなくなった。心配になって、またお姉さんを揺すろうと手をかけたところで、お姉さんは、かっ、と目を見開いた。

「周波数分析」

「音紋照合」

お姉さんが立ち上がって、飛行機を探す。やがてお姉さんの目はある雲の一点を見つめた。

「敵機、SE-32戦闘機を特定」

「迎撃オプション検索」

「地対空ミサイルNT11とスタンダードレーザーR3」

お姉さんの後ろでトラックのエンジンが自動的に掛かった。妙な音がして、トラックの荷台が開く。

「少年は離れろ、敵機を迎撃する」

一瞬どうすればいいか分からなかった。隠れるなら、森の中、離れるなら道の方だ。どのくらい離れればいいか分からなかったんで、少し離れて様子を見る。

トラックの中から、電柱くらいの太さの白いミサイルが出て来た。それがトラックには2本積まれている。ミサイルを支えるクレーンのようなアームをお姉さんが持ち上げて、横にあるのぞき窓に顔を当てる。

「少年、もっと離れろ、巻き込まれるぞ」

飛行機の轟音が近づいてきた。ふと、道の方へ目を向けると、目の前には飛行機がある。猛烈な勢いで近づいてくる飛行機は僕の左右に機関砲の爆風を浴びせた。

爆風にもみくちゃになって、ぐるんぐるんと世界が回る。地面にべしゃっと落ちて、目の前が暗くなった。一度遠ざかった飛行機の音がまた聞こえてくるような気がする。逃げなきゃ、どっちでもいいから逃げなきゃ。よく見えない目で顔を上げると、誰かが僕の頭を握りしめ、また、思いっきり地面にたたきつけた。ちょっとは優しかったような気がするけど、やっぱり痛い。

妙に暗いのに気づいてちょっとだけ顔を上げると、目の前にはお姉さんが居た。両手をいっぱいに前に伸ばしている。

「予想位置修正、諸元入力、励起状態良し」

背中がバリバリっと空いて、白い羽根のような物が開いた。それがなにかはよく分からなかった。

僕の周りは真っ白な光に包まれて、何もかも見えなくなったから。

 

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