スクリーンに表示された文面は、久我が予想していた通りのものだった。一つ予想に反したことがあるとすれば、それはこの通知が送られてきたのが思いの外早かったということだった。
久我はインタホンのボタンを押し、二言三言話すと、カップに残ったコーヒーを一息に飲み干し、染みの目立ち始めたコースターにカップを置いた。
間もなくドアのインタホンから、呼び出した相手の聞き慣れた声が伝わってくる。
「峰岡です」
「お入りなさい」と応えながら、久我は手元のスイッチでドアのロックを解いた。
開いたドアから見えた顔は、昨日の沈み方など全く感じさせない、いつも通りの明るいものだった。
その顔に、こちらもいつも通りの淡々とした口調で久我が告げる。
「これから当局へ出掛けます」
意外そうな顔をして峰岡が訊ねる。
「ずいぶん急ですね。もしかして、昨日の出動の関係ですか?」そして返るとはあまり期待していない久我の反応がある前に続けて言う。「それにしては早いですよね。昨日の今日に呼び出しなんて」
だが久我の顔を見た峰岡は、あらためて意外そうな表情になる。久我の唇に薄い笑みが浮かんでいるように見えたからだった。
その唇が動き、言葉を紡ぐ。
「当局もこの件に本腰を入れて当たらざるを得ない状態になりましたから」
いつもなら何一つ余計なものを読み取らせることのないはずの久我の口調なのに、何故か今の言葉には、そうさせたのは私ですけれど、と続くように峰岡には思えた。が、実際に聞こえたのはこの言葉だった。
「今日は戻らないと思います」
「分かりました」
「それから、アックス・チームの各メンバーに伝えて下さい。本日より指示があるまで当直は解除します」
三度峰岡は驚いた。今度は声まで出して。
「え、え、え、え? いいんですか?」
そんな峰岡の様子を気に留めた風もなく、久我は無言でうなずき、立ち上がった。それが要件の終わりを意味することを先から了解していた峰岡は、「お気をつけて」と一礼して執務室を後にした。
五つ居並ぶ当局の面々は、みな一様にやりずらそうな渋面を拵えている。それらを前にして、久我はいつもよりも余裕を持っているかのようにさえ見える面持ちでいた。
渋面の中の一つの口が鈍く動く。
「これが甲種八八〇八番一〇九三一号の使用している旧式車両だ、ということですな?」
自分の言葉を当局の用語に置き換えて疑問符を付けただけの問いに、久我はごく簡単に肯定の言葉を返した。
「で、型式記号がこれに準ずるものだと」
同じく簡単な久我の肯定。
嘆息にも似た声がここかしこで上がる。
「これは通称『ホット』の捜査への重要な証拠物件になるものと思います」
久我はざわめきをものともせずに言った。
「欲を言わせてもらえば」と、真ん中に陣取っていた渋面が口を開いた。「車両だけでなく運転者の顔まではっきり撮影して欲しかったところですがね」
久我が当局に提出した、饗庭の撮影による車両の映像には、確かにいくつかコクピットの中までを捉えているものがあったのだが、運転者の顔はヘルメットのバイザーに隠されてしまっていた。
だが久我は平然と言い返す。
「肖像までが完全に明らかにならなければ本格的な捜査の発動に踏み切るだけの証拠物件として採用することは出来ない、とおっしゃるのですか?」
渋面はそろって口を噤んだ。それを見渡す久我の目は、何もかもを見透かした冷たさを湛えていた。
「本来捜査権のない私たちとしましては」と久我は続ける。「VCDVの運用に加えて、皆様方に入手可能な限りの有力情報を提供することでもご協力出来るものと考えています。私たちの情報が端緒となって手配対象者の捕縛が実現すれば、私たちも捜査の一端を担うことが出来たと言えます」
正面に居並ぶ渋面から少し離れた脇で、やや居心地の悪そうな表情が久我の言葉を聞いていた。前回の出動では思う通りの成果を上げられず、それどころか損害ばかりを受けて帰ってきた当局特種機動隊の隊長だった。
言いずらそうな小さな声がその唇を突いて漏れ出る。
「本官も、次回こそは部隊の面目を施したいと思っております」
渋面の中のいくつかの視線が声の方に投げられたが、さしたる反応は無いままだった。
「久我さん」中央の渋面が口を開く。「下さった情報は重要なものと認めます。だが、決定的なものではない。私はクラシック・カーにはとんと興味がありませんが、それでも昔はこんな車がわんさと走っていただろうってことぐらい想像が付きます。今だって相当の数が残っていると思うのですがね?」
「国内の登録済み台数は百六十一台と存じております」さらりと久我が言う。「登録外のものがあっても、その数の半分を上回ることはないと考えます」
「それにしても二百を超える数ですがね。いや、決して調査しないと言っているわけではないですよ。ただ、数が多いので早急に結果が出せるとは言い切れない、と言っているまでのことで」
それを聞いた久我の口許に薄い微笑が浮かんだ。ただ口許だけに。
「私たちに対してご謙遜の必要はありません」という久我の声は、MISSESのメンバーが聞けばはっきりと分かったであろう程に皮肉な響きを帯びていた。「当局の優秀さと、今回の件への姿勢は私たちも十分に存じています。『ホット』への内応者はもちろんのこと、検挙率向上のためにその配下の微罪の逮捕者に手心を加え時に逃亡幇助を行った署員の処分も行われたとうかがいました」
触れられたくなかった汚点を正面から突かれて、居並ぶ渋面が皺を深くする。が、誰も言葉を発する者はない。
久我は素知らぬ振りで続ける。「私たちもご協力できる日をお待ちしております」
沈黙する渋面を久我は静かに見渡した。
しばらくの沈黙を破って、一人が詰問調で切り出した。
「何であんたがたの前に、この通称『ホット』が出てきたんだ?」
久我は無言で声の主に視線を移す。
声の主は脂ぎった額に青筋を立てて、テーブルを挟んでいるのでなければ久我に掴みかかりでもしていそうな様子だった。
久我は静かに応える。
「私たちが当局に協力していることは、夙に『ホット』の知るところになってます。先日の事件でもそれは明らかです」
「そんなことを言ってるんじゃない」
一層荒げられる声にも久我の平然たる表情が変わることはなかった。
「そんなことじゃない。何で単独であんたがたの前に姿を現したか、と言ってるんだ」
「それは私たちには量りかねます」
遮るように男が叫ぶ。
「ああ知れてもいよう、実際に『ホット』とやりあってるのが我々でなくあんたがただってことは。だからこそおかしいじゃないか。武装車両でも連れてならまだしも、単独だぞ単独。誰がどう見たって納得いかない」
鼻孔を膨らませながら一旦切った言葉を、男は継いだ。
「こいつとコネがあるのは、実はあんたがたの方も同じなんじゃないのか?」
聞いた久我の瞼がわずかに上げられる。それだけで冷静な視線は刃物のような鋭さを纏った。が、口調は変わらぬままだった。
「少なくとも私たちは、『ホット』から損害を被りこそすれ、利益を得るような関係を持ったことはありません」
「どうだか知れんが」
吐き捨てられた言葉に、久我は平然とこう切り返した。
「お疑いがあるのなら、一刻も早く『ホット』を逮捕し取り調べるのが最善と存じます。もっともお疑いのある以上は」久我の唇に薄い笑みが浮かぶ。「今日私の提出した資料も調査の材料として採用されることはないでしょうし、それに疑いのある私たちは当然捜査協力に参加することは出来ません」
「それは……」
真ん中の渋面が思わず口を開いた。
わめき立てていた男は青筋を一本追加して、苦々しげにテーブルを小突いた。
それらを気にとめた様子を全く見せず、久我はゆっくりと立ち上がった。
「では、私たちは疑念が解消されるまで一切の活動を自粛することにします」
振り返り歩を進めた久我の背中を、狼狽した声が追いかけて来た。
「久、久我さん! ちょっと待って!」
久我の足が止められた。
「ほぉ」
紫煙と共に感嘆詞を吐き出した木津に、真寿美がさらに言う。
「そうなんですよ。あたしもびっくりしちゃたんですけど」
「え? どうしたのどうしたの?」
その声と、右手に持ったチョコレートの箱と、そして後ろを歩く安芸と共に、紗妃が詰所に入ってきた。
「あ、紗妃さんも安芸君も聞いて聞いて」
振り返るのももどかしく、真寿美は今木津に話したばかりの久我からの指示を二人にも伝えた。
二人は揃って一様の反応を返す。
「当直を、解除?」と、紗妃の差し出すチョコレートを受け取りながら安芸が繰り返す。
「そうなの。信じられる?」真寿美もチョコレートを口に放り込んで言う。「当局から緊急の呼び出しがかかって、出掛けにいきなりそんなこと言われちゃって」
「で、由良さんと兄貴には伝えた?」自らもチョコレートをこりこりと噛みながら紗妃が問う。
「ううん、まだ」
「あのー、峰さん?」と安芸。「アックスのメンバーより先に仁さんに話してたわけ?」
「だってここに来たら仁さんしかいなかったんだもん」
「ごもっともさま」
「で、由良リーダーはどこに?」紗妃が今更のように室内を見回しながら訊ねる。
「調整じゃないですか?」と安芸が答える。「昨日、ちょっと狂いが出てたとか言ってましたから」
その時ドアの開く音。四組の視線が一斉に向けられる。入ってきたのは饗庭だった。
とぎれた会話を繕うように、紗妃が兄に当直の解除について告げた。
饗庭は「そう」と簡単に応えると、手近な椅子に腰掛けて、携えてきた技術資料のページを繰り始めた。
少し棘のある口振りで、紗妃が追い討ちを掛ける。
「ディレクターは別に兄貴の抗議を受け入れたわけじゃないと思うけど」
資料から目を上げることもせずに、饗庭は「そうだろう」と言った。
紗妃は肩をすくめ、それ以上攻撃を続けることはしなかった。そして木津の方に向き直り、真寿美にも視線を投げながら訊ねた。
「これで、MISSESが『ホット』捜査の裏方に回ることになってしまうんでしょうか?」
「俺に訊くなよ」煙草をもみ消しながら眉根を寄せて答える木津。「それより俺にもチョコレートおくれ」
「木津さんは甘いのは駄目なのかと思ってました」笑いながら紗妃はチョコレートを差し出した。
包み紙を開くヤニの臭う指を、真寿美が見つめている。その指が口許へ運ばれる前に、木津は言った。
「でも、まあそんなことはあるまいな。当局の専従部隊が出来たときだって、そんな様子はこれっぽっちも無かったしな」
「木津さんの希望的観測を差し引いて、ですよね?」
「それどころかこれ以上ないほどの客観性を以て、だと思うがな。なあ進ちゃん」
「確かにそうですね」と安芸が頷く。「当局主導になるとは思っていないような口振りでしたからね」
紗妃が少しく驚きを見せる。
「それじゃ、最初から久我ディレクターはそのつもりだったんですか?」
「そのつもりってどのつもり?」
「当局の捜査支援を考えていたわけじゃなくて、最初から自分が『ホット』を……えっと」と、紗妃はそこで言葉に詰まった。「逮捕は立場上出来ないし、ただ捕まえるんじゃ仕方ないし」
「殺す気だったのかもな」奥歯でチョコレートを噛み砕くと木津は薄笑いを浮かべながらそう言った。
紗妃と、そして真寿美の目が木津へと見開かれる。同時に真寿美は口を開いた。
「本当ですか? それ」
木津は直接は答えなかった。
「そうだとしてもおかしくないって気はしてるけどさ」
「やはり私怨ですか」
思いも掛けず聞こえた声に、全員が振り返った。そこには何の気配も感じさせずに立ち上がっていた饗庭の無表情があった。
続いた沈黙を破ったのは木津だった。
「おばさんの私怨ねぇ」と言うその口調は、むしろ楽しそうでさえあった。そして新しい煙草に火を点けながら続けた。
「あの冷静沈着無表情なおばさんのどこに恨みなんて代物が入り込むのか、なかなか興味をそそられるな」
安芸がまたかといった顔で苦笑しながら、饗庭に訊ねた。
「饗庭さん、随分私怨という言葉にひっかかりがあるようですね」
相変わらず表情を出さない顔が安芸に向けられる。答える声も表情が見えない。
「任務に私情を挟むべきではないはずです。まして公の正義を守る任務であれば」
「ああ、そういうことか」と木津。「真面目なんだな、上に何かが付くぐらい」
「当然のことだと思います」素っ気ないほど愚直な饗庭の口振りに、木津は軽い調子で返した。
「公の正義なんて俺の知ったこっちゃないよ。だからそこは任せた」
饗庭の眉間にわずかに縦皺が寄った。
「自ら進んで犯罪者になることはお奨めしません」
「そうですよ仁さん」と追って言う真寿美の顔は真顔だった。
だが木津はその言葉に軽く肩をすくめて見せただけだった。
「で」
「はい?」
「あの……どちら様でしたっけ?」
久しぶりにブリーフィング・ルームに姿を見せた小松は、斜向かいからいきなりそんな言葉を掛けられて面食らった。
「ひ、ひどいなあ木津さん。確かに長いこと空けてはいたけど」
真寿美はまた大笑いしながら、それでも小松に復帰の祝辞を述べた。
「でも、この召集は小松さんの復帰報告のためだけというわけではなさそうですね」
そう安芸が言った。
小松も属するアックス・チームが当直中止を久我に命じられてから、すでに二週間近くが経とうとしていた。そしてその間、当局からの出動要請は一回も無かった。
「お揃いですね?」
いつも通りの台詞と共に久我が姿を現した。
ライトグレーのタイトスカートを捌いて腰を下ろした久我は、まず小松の復帰について簡単に触れ、そして本題に入る旨を全員に告げると、ありきたりな事務連絡をするような口調で言った。
「今日当局から、『ホット』のアジトを特定したとの報告がありました」
上がるどよめき。
「同時に当局は強制捜査の実施を決定したとのことです。これに関して、MISSESに協力依頼がありました」
真寿美は思わず横を向く。そこには予想していたのとは少し違う木津の表情があった。
「出動要請ではなく」と安芸が問う。「協力依頼なんですか?」
「今回は依頼の形を取っています」
「どっちだっていいさ」と木津。「受けたんだろ?」
久我は軽く頷くと、全員に向かって言った。
「これを受けて、みなさんには強制捜査支援を目的とした出動をして頂きます。捜査の執行は明後日。午前十時にY区の未使用地区二番Aで当局の捜査班及び特種機動隊と合流し現場に向かって下さい」
「アジトの場所はこちらには教えてくれてないんですか?」と小松。
「詳細については伝達されませんでした」
安芸がちらりと木津の顔を見る。それに気付いて木津が安芸に言った。
「抜け駆けするんじゃないかと思ったろ?」
「ご明察です」
それには応えず、木津は久我に視線を戻した。久我が再び口を切る。
「あくまで捜査は当局の主導で行われます。従って、みなさんに期待されることは別にあると認識していてください」
「ほらな?」
木津からいきなり言葉を掛けられて、紗妃はぽかんとした。
さらに久我が続ける。
「なおこの出動の際は、みなさんは私の監督下を一時的に離脱することになります」
全員がごく当然のように受け止めたこの言葉に、ひとり木津が言葉を返した。
「あんたは、それでいいのか?」
「立場上は当然のことと思います」と簡単にそれに応えると、全員に向けて久我は言う。
「従って、当日は当局の指揮者及びアックス・リーダーの指示に従って下さい」
由良の肩がびくりと震えた。
MISSESのVCDV七両を含め、総数二十五両にも及ぶ強制執行部隊は、「外橋」を渡り緩衝地帯に入った。
先頭を行く当局の警邏車両が、通常は閉鎖されていて下りることの出来ない側道へと進む。その先は緩衝地帯管理用の幅広い一本道だった。
「誰でも想像の付くような所ですよね」と真寿美がMISSES専用のチャンネルでメンバーに話しかけた。「本当に調べられなかったのかなぁ」
「実はとんでもないところだったりして」紗妃が応える。「地下百メートルとか」
だがしばらくの走行の後に停止命令が出たのは、何の変哲もない管理用施設の前だった。
木津は左右を見渡してみる。小さな事務所を正面に、その左手には作業車両用の車庫と思しき建物。さらに背後には補修資材倉庫らしい大振りな建物がある。
続いて、VCDVに全機Mフォームに変形の上、左の車庫周辺に展開せよとの指示。
特一式特装車を追って、MISSESのVCDVが車庫を取り巻いて次々に立ち上がる。
「いよいよですね」
真寿美の声に、木津は曖昧に返事をした。どういうわけか、木津は自分の中にこれまでのような興奮が湧いてきていないのに気付いていた。
事務所正面に停められた警邏車両の一台から、三人が降り立ち出入口へと向かう。そして型通り捜査執行の宣告をするが、事務所からは全く応答がない。
その様子を固唾を呑んで見守っている由良は、自分を呼ぶ安芸の声を聞いた。
「このまま待ちますか?」
はっとした由良は上げた視線を巡らせる。
倉庫棟に向けられている安芸の玄武の顔。
だが自分は動くわけにはいかないだろう。
「キッズ0、キッズ1、マース1は位置を倉庫側にシフトして下さい」
指示と了解の応答とを聞いた安芸は笑みを浮かべた。
出入口の前では再びの通告と返らない返事。
手筈では三度目までに受け入れがなければ当局の部隊が突入することとなっている。
徐々に緊張感の高まる当局の布陣を見て、由良は無意識に操縦桿を握る手に力を込める。
そしてついに三度目の通告が発せられた。
答えはない。
当局の指揮者は振り返り配下の車両を見回すと、突入の指示を下す。
由良の頬が締まった。
と、事務所のドアが開いた。勢い込んだ突入部隊が止まり、そして崩れた。さらに次の瞬間には、後詰めの装甲車群がことごとくなぎ倒されていた。再び閉ざされるドア。
何が起こったのか?
特種機動隊の指揮者が駆る特一式の頭部が、救いを求めるかのように由良の玄武に向けられ、由良は一瞬一文字に結んだ口を開いた。
「特一式全機は事務所正面に展開、状況掌握と負傷者救助、破損車両の排除に当たって下さい。アックス1、2は事務棟周辺の哨戒を願います!」
「何があった?」
木津の大声がレシーバーから響く。
由良は状況を簡単に告げると、さらに指示を続ける。
「マース1、キッズ1、キッズ0は資材棟周辺の哨戒をお願いします。何かあったら」と、そこでわずかに言葉が切れる。「……何かあったら、MISSES全員に連絡願います」
「MISSESに、ですか?」と真寿美が念を押す。由良は答えず、残る饗庭に自分のフォローを命じた。
由良の指示に従って、特一式の部隊は倒れた突入部隊の救助に走る。それを見ながら安芸は由良に言った。
「今の振動は衝撃波銃です。あの建物の中にも何かあります」
了解の応答を返すと、由良は叫ぶ。
「負傷者救助が終了し次第、事務棟内部の探査に出ます。アックス4はサポートを願います! 特種機動隊は救助活動終了後一時撤退して下さい」
「え……」
特種機動隊隊長の声を、これまでにない強さの由良の声が押し潰した。
「いいですね?」
間もなく倒れた全員を収容した特一式は、由良の言葉に従って後退して行った。
「こちら特一。死亡者はなし。負傷者も全員が軽傷か単なる失神状態」
「了解です」
由良が答えると同時に事務棟の正面に飛び出そうとする。
その時だった。
再び事務棟のドアが開かれた。いや、事務棟正面の壁そのものが吹き飛んだ。そしてあの独特の爆音を伴った車両を先頭に、雪崩をうって武装装甲車と、そして見たことのない人型とが走り出てくる。
「『ホット』!」
「何だと!」
指示も待たずに白虎が、朱雀が、青龍が駆け付ける。そして由良は最後の指示を下した。
「MISSES各員は、『ホット』の身柄確保を最重点に置いて下さい。以上!」
その直後、彼我の間で実体弾を交えた衝撃波銃の応酬が始まった。
走りながら武装装甲車は『ホット』を取り囲む。さらにそれを援護するように高速で滑る青灰色の人型。その数二十五。
「どきやがれぇぇぇっ!」
木津の叫び。同時に人型の頭部が一つ宙に舞う。振り抜いた右腕の「仕込み杖」を戻しもせずに、白虎が左腕の衝撃波銃を連射。首を失った人型の体が倒れる。それを蹴って白虎が跳ぶ。
『ホット』の急転舵。蛇がうねるように武装装甲車が続く。その中に撃ち込まれた衝撃波が装甲車の一両を転覆させる。が、同時に白虎の右肩を爆発の衝撃が襲う。実体弾の炸裂だった。
別の人型と対峙していた真寿美の耳にもその音が届いた。だが真寿美は振り向こうとしなかった。横様に朱雀にステップを踏ませて人型の銃口を避けると同時にハーフに変形し、低い位置から衝撃波銃を放つ。人型は顔面を直撃されのけぞって倒れる。その両脚に脇から衝撃波銃が撃ち込まれる。
「脚を止めて!」と紗妃の声が。
朱雀が再び振り返りながら立ち上がる。敵の衝撃波銃が肩口をかすめた。
敵……
真寿美は自分が目で追っている相手をそう呼んでいることに気付いた。
照準器の中に捉えた敵は、真寿美の銃撃を浴びる前に、正面に躍り出た安芸の玄武の仕込み杖に胸の中央を貫かれる。玄武は敵の勢いに身を預けたまま後ろに跳ぶと、両足で敵の腹を蹴って仕込み杖を抜いた。蹴られた反動で勢いの止まった人型の脚を真寿美は撃った。そのまま敵が地面に頽れるのを確かめると、次の敵を捜す。
その視線の先で、白と銀の機体が舞った。
炸薬の破裂が機体を震わせる。そして破片が外装に降りかかり無数の傷を付けていく。
だが木津はなおも猛然と行く手を阻もうとする武装装甲車に襲いかかる。
ハーフで併走しつつ衝撃波銃を放つ。
巧みに回避しつつ、それでも『ホット』への壁を崩さない装甲車の列。
白虎へ変形しつつ、何度目かの跳躍を試みる木津。だがその度に実体弾と衝撃波との段幕が『ホット』への接近を妨げる。
焦れながら併走を続ける木津の目の前に、装甲車の尾部が飛び出す。
木津は反射的に舵を切ろうとした。が、その方向に次々に装甲車が展開してくる。いつの間にか装甲車が取り囲んでいるのは『ホット』ではなく、B−YCになっていた。
木津は正面を走る装甲車に照準を付ける。指がトリガーを絞った。
衝撃波の直撃を受け、装甲車はその場で擱座停止した。それを見た木津の手が変形レバーに伸びる。
白虎の足下から火花が散る。両腕を頭の前で交差させ、低い姿勢をとった白虎は、何とか衝突を免れた。その頭上を、跳ぶ白虎を狙った砲撃が素通りしていく。
見回せば、装甲車は全て停止した状態で白虎を包囲している。そして全ての砲門が白虎に向けられている。
そのただ中にありながら、木津は異様に落ち着いた自分を感じていた。脳裏に一つの面影を去来させながら。
が、それは二つの轟音によって破られた。左右両翼の装甲車が片や横転し片や吹き飛ばされていた。
装甲車の作る壁が歪み出す。その左の隙間から、朱雀と二体の玄武の姿が見える。右には青龍と同じく二体の玄武。
六機は瞬く間に装甲車を蹴散らして行く。そうして崩れた壁を、B−YCが全速で走り抜けて来る。
「『ホット』!」
空気を引きちぎるかのような木津の叫びを受ける相手は、既にその姿を完全に消してしまっていた。
速度の中から弾痕だらけの白虎が立ち上がる。再び足下に爆ぜる火花。
木津はトリガーを引いた。
白虎の左腕から標的のない衝撃波が放たれる。一回。二回。三回。四回。
「仁さん!」
背後に立った朱雀からの真寿美の声に、五回目を撃とうとした指が止まった。
左腕を下ろしながらゆっくりと振り返る白虎。そこには朱雀が、青龍が、四体の玄武が、擱座した装甲車や人型を背後に立っていた。
「逃がした……」
肩で荒い息を吐きながら木津は誰に言うでもなくつぶやいた。「逃がした……畜生」
「木津さん」と紗妃が呼びかけた。「『二度あることは三度ある』、ですよ。それから、『三度目の正直』とも言います」
白虎がもう一度『ホット』が姿を消した方向に振り返り、左腕を真昼の太陽に向けて挙げ、一発だけ衝撃波銃を放った。
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