考古学の分野に入りそうな物ですが、平安時代〜鎌倉初期の太刀の鐔で、私が出会ったのは今迄これ1品です。 現在では神社等にむかし奉納された物とか博物館に全揃いの物が残っているのみで、国宝とか重要文化財に指定されている物が沢山あります。
この鐔と出会った時の事は今でも良く覚えています。
20数年前、久しぶりに古道具屋をのぞいてみた時の事です。店に入ると奥の柱に軍刀鐔が数枚、紐を通して吊るしてありました。
当然、私は本物の太刀鐔が混じっていないか、と思い見せて貰うと、偶然にも、本当に本物が混じっていたのです。
ご存知の様に軍刀鐔はこの鐔を手本に4箇所桜花を添えてデザインされています。
軍刀鐔と同じ値段で買えた事よりも、この鐔に出会った事が嬉しかった記憶があります。
この鐔は、生まれた時、銀が着せてあった名残りに耳の横に銀の破片が付着しています。目次に戻る
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何の飾り気も無い鍔と思われますが、非常に強靭そうな、地鉄の良い鍔となっています。 もちろん、実戦第一なので、当時は地鉄造りに最も精魂を込めたのではないでしょうか。
表面に、僅かに、素朴な毛彫りが付けられています。
また、表面を硬く、滑りやすくする為でしょうか?、最後の仕上げ段階で、火に入れられ、表面を溶かしてあると思います。
まだ、戦国の世の物と思われます。 目次に戻る
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この鍔も非常に良く練れた強靭そうな、地鉄の鍔で、実戦第一にて造られた事が分かります。 造形的には、無作為なデホルメに魅力のある物と思われます。
金山鍔と呼ばれる様になったのは、尾張の金山の地にて造られたのが、由来ではないか、と言う事です。
やはり、最後の仕上げ段階で、火に入れられていると思います。
天下統一以前の物と思われます。 目次に戻る
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いかにも”手作り”、と言った感じの鍔ですが、やはり、この無作為なデホルメが魅力の鍔で、飽きのこない物でもあります。 甲冑師が余技に造った鍔と言われています。
そう言えば、所々に甲冑の表面の様な鉄味が見られます。
これも、まだ、世治まる前の物で、合戦があちこちで起こっていた頃の物と思われます。 目次に戻る
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これも、何の変哲もない鍔と思われますが、刀匠が造った鍔とされている物で、この鍔も、まだ戦(いくさ)が頻繁に起こっていた頃の物と思われます。 日常差しに見られる、小柄と笄(こうがい)を入れる穴が明けられていないので、専ら戦(いくさ)用に造られた物と思われます。 目次に戻る
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この鐔は20数年前に友人と交換したもので、気に入っている鐔の1つです。最初、江戸時代の持主の癖だったのでしょう、ある部分だけ指でコスレて銅色が出ていたのを、手入れをして元の味に戻しました。 目次に戻る
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この鐔を初めて見た時、新年で、静かな店内に筝曲"六段"が流れていました。以来、この鐔には筝曲"六段"が相うと思っています。 目次に戻る
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古来より長寿のシンボルとされて来た鶴も、刀装具に沢山取り入れられています。羽に透かしの入った物が、最も有名な物となって居りますが、このデザインと比較して見ますと、この鍔は、更に具象化されていると思います。
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寒山先生の箱書きがあり、後藤光覧の作と書かれています。 目次に戻る |
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周囲の耳の造りなど、典型的な肥後の作品。 目次に戻る |
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