Dr.遠藤のピジョンセミナー



 10.秋レースに向けての放鳩トレーニング   秋レースに向けて
  
  若鳩の訓練回数について考えてみよう。
 
  若鳩の放鳩訓練を実施する時期は換羽時期と併行する。
 
  したがって、二十キロから三十キロ程度を直線的に帰還する様になったら、当初の目的が完成する訳
 
  だから単独鳩舎の集団放鳩訓練を完了しても良いと考えている。
 
  鳩は非常に習慣性の高い動物なので直線的に帰る方法が習慣づけられれば、それで有視界飛行の訓練は
 
  十分と考えるべきである。
 
  あとはこの習慣性を忘れない様に思い出させる程度の回数で放鳩訓練をすれば良い。
 
 
  単独鳩舎の集団放鳩訓練を終えた後、クラブ、連合会などで主催する合同訓練に参加すると良い。
 
  今までの自鳩舎のみの訓練と異なり、鳩は集団でもまれ、大きな集団となって帰還地方向へと向かう。
 
  そして途中でそれぞれの鳩舎へと分かれて帰るわけだが、集団でもまれ鳩には想像以上のストレスが
 
  かかる。 そして自分の鳩舎に分かれて確実に帰舎するレース感覚を養成する訳である。
 
  前途の自鳩舎単独の集団放鳩訓練で直線的に帰還する習慣形成ができている鳩は習慣的に直進しよう
 
  とするので自鳩舎の鳩が集団のパックを形成しやすい。
 
  したがって帰還状況も良いものである。ほとんど習慣形成ができず、合同訓練に参加した鳩は、他に
 
  追随しながら自鳩舎の位置をセンサーにしなければならず、二重、三重の疲労を招く事にもなる。
 
  群れの先頭を飛ぶ鳩は勇気こそ必要であるが、スピード、方向ともに任意なので疲労度は少ない。
 
  群れの後方集団は集団性を好む本能と相まって他の鳩のペースにつかなくてはならず相当に疲労度が
 
  増加する。
 
  レースの際に、早く帰還した鳩と、遅く、時間を要して帰還をした鳩では疲労の度合いが雲泥の差程
 
  違いがあって、その疲労の回復に要する時間の差もまた大きい事を経験的に認識していると思うが、
 
  鳩はどんなにゆっくりでも、飛ぶ時間が長ければ長い程疲労が大きいものである。
 
  合同訓練ではいつも遅く帰る鳩をしっかりと把握し、特にそれらの鳩には疲労の回復をはかる手段が
 
  望まれる。
 
 
  この合同訓練は三回程度こなせば他鳩舎鳩との集団飛行にも順応し、ストレスに感応する度合いが
 
  低くなってくる。
 
 
  こうして秋のレース前の訓練を受けて終える訳であるが、当然、自鳩舎の単独放鳩訓練と、団体での
 
  合同放鳩訓練と換羽とで若鳩の体は相当に疲労しているはずである。
 
 
  若鳩ゆえに若さにまかせてガムシャラに動いていて疲労を感じさせなくても疲労は確実にあるもので
 
  ある。
 
  秋季レース前、しっかりと休養させ肉体的、精神的疲労を除外することが若鳩レースの必勝法である。

  この休養は鳩舎内に閉じこめて運動させない事ではなく、鳩の気なりにさせて疲労を解放する事を意味
 
  する。
 
  舎外で強制して追ったり、鳩を鳩舎内に閉じこめて疲労回復と自己満足しておったのでは秋季レース
 
  のみならず、以後のレースにおいての活躍は期待すること自体が無理な管理であることを自覚すべきで
 
  ある。
 
 
  筋肉の疲労は軽い運動をしながら除外し、精神的疲労は鳩舎内を快適居住空間にする事で解放し、
  
  決して幽閉して筋肉、意志力ともに萎えさせる事のないよう注意したいものである。
 
  秋レース開始前二週間は疲労を除外して体力を蓄積する期間として位置づける程度の余裕が勝利に
 
  導くのである。焦りから過度の訓練を打つ必要など毛頭ない。
 
  自鳩舎の鳩群を信頼して不動の姿勢で構えればよいのである。
 
 
  自鳩舎、合同いずれの訓練を問わず鳩をつかまえるのは慎重であってほしい。
 
  ともすると数が多い為つかむのが雑になって主翼を折り曲げたり羽毛を抜いたりする事があるものだが
 、
  これは厳につつしまなければならない。
 
 
  鳩にとってレースの自覚などあるはずがなく、ましてやレースに参加したいなどと思っている鳩は
 
  皆無であろう。
 
  そんな鳩が飼主のエゴによってレースに参加させられるわけだから本来迷惑な事である。
 
  飛翔する為の羽毛を抜かれたり、折られたりしたら鳩舎に戻ること自体が恐い事になるだろう。
 
  やさしく声をかけるつもりで静かにおさえ、静かにバスケットに入れてやる、そんな心がけが絶対に
 
  必要である。
 
  ましてや主翼を折ってしまったりしたならば秋季のみならず、来春にまで影響を及ぼしかねない。
 
 
  自分の不注意から自鳩舎の鳩の能力を減じるような愚は厳に犯してはならない事柄である。
 
  鳩の羽毛に、自然現象下で生命を営むのに無駄な羽毛などただの一本もあろうはずがない。
 
  ちょうど人間が爪を一本なくしても指に力を失うことと全く同じであって、羽毛の一本二本など関係
 
  ないと思うほど勝手な考えはない。

                                            
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