H25.7.14〜7.15 徳本峠


今回は、昭和の初期釜トンネルが開通して上高地までバス路線ができるまで、槍・穂高へ登頂するためには、よく利用された徳本峠(とくごうとうげ)越えをしてきた。日本へ近代登山をもたらせたウェストンや多くの先人たちも、一歩一歩踏みしめながら上高地に入った歴史のある道だ。一度この道を歩いてみたかった。

徳本峠小屋HPによると「その名前の由来は、多くの説がある。峠を越えた上高地の一角に徳吾の小屋があったことから、ここへ至る峠という意味。徳本上人がこの峠を越え、峠路の開発にあたったという説。その他…」 家畜の放牧や炭焼きなどにも利用されただろうが、山へ想いを馳せた多くの先人達が歩いている。


7/14(日)

K君と2人で、前日松本入り。松本駅近くのホテルに宿泊し、朝6時32分の松本発新島々行き電車に乗る。新島々では、ほとんどの人が上高地への乗り替えバスに乗車したが、我々はタクシーで島々宿の徳本峠登山口へ。7時30分登り始めた。



徳本峠登山口


登山口案内板

天候は不安定ではあるが、曇りの予報。直射の光に当たらないので、逆にしのぎやすい。先週のうだるような名古屋に比べてなんと涼しいことか。二俣までは、島々谷川に沿って林道を歩く。溪流釣りの人が、朝早くから来ている。岩魚だろう。岩魚はきれいで冷たい水を好むと聞いている。ここ島々谷川は自然がそのまま残っている。釜トンネルができて、利用されなくなった道がゆえに、自然が保たれているのだろう。
(二俣到着8:45)

島々谷南沢の渓谷


瀬戸の滝

二俣から本格的な登山道に入る。雪解けのこの時期だからだろうか、沢の水量は多く、滝となってゴーゴーと流れ出ていた。登山道は、何度も橋や水の中を渡って、右岸・左岸と行き来する。美しい渓谷を楽しみながら高度を上げていった。

休憩ポイントの岩魚留小屋に11時10分到着。登山口から3時間40分だった。この先沢も少し急流となるため、岩魚も登っていかなくなるところから岩魚留と名がついたそうだ。

昼食を済ませて、さあ徳本峠を目指して出発。(11:30) 本日はテント泊の予定で来ている。ザックの重さは約15kgあり、だんだんと腰と肩が、やばくなってきた。


岩魚留の標識


岩魚留小屋

岩魚留を越えると、徐々に勾配は大きくなるが、しばらくはまだ沢沿いにアップダウンを繰り返しながら高度を上げていく。徳本峠へ2.8km付近から勾配はさらにきつくなり、つづら折りに高度を上げていった。

2時30分徳本峠(標高2166m)到着。登山口から7時間を要した。テント場にはすでに10張以上、所狭しとひしめき合っていた。


徳本峠


徳本峠テント場

すぐ近くの展望台に行ってみた。本日は、穂高連峰も山頂付近はガスがかかっていて、その雄姿を見せてくれなかった。天気のいい時は、素晴らしいだろう。深田久弥氏もここからの穂高を絶賛している。


徳本峠小屋


15日の朝 徳本峠から穂高連峰

7/15(月)

昨夜から朝まで、雨と風に悩まされて、ほとんど寝ることができなかった。テントに落ちてくる雨の音とゴーゴーとうなる風の音でまったく眠らせてくれなかった。本日の計画は、4時30分に出発して、霞沢岳まで往復して下山する予定だったが、出発予定の時間はまだ雨もやんでいなくて、テントの外にも出られない状態だ。

霞沢岳は今度にとっておき、ゆっくり雨の止むのを待って上高地へ下山することで、2人の意見が一致した。6時頃雨も上がったので、朝食にして7時30分過ぎ上高地方面へ下山した。

今回の山行は、ピークが峠ということで、いつもと違う山登りだった。冒頭にも書いたように、先人たちが歩いて、北アルプスの山々に思いを馳せた歴史の道を歩いたということで、目的は達成できた。いやあ〜、山って本当に楽しいですねぇ〜。



(断面図)

7/14
島々宿〜二俣〜岩魚留小屋〜徳本峠
 7:30   8:45   11:10     14:30

7/15
徳本峠〜明神〜上高地 
 7:35   8:55   9:35
   
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