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修理が終わった外観

球形急須の取っ手直し R10

2007年12月19日受託 2008年5月31日補修完了

拭き漆工房 翠簾洞 素舟齋

釉薬を掛けていない磁器のような肌合いの、まん丸で優しい感じの急須です。落として、取っ手が二つの折れています。金接ぎそのものは容易だと思いましたが、この素焼きの白い肌を汚さないように養生するのが一番の問題でした。医療用ゴム手袋の使用を思いついたのがミソです。


発端

折れた取っ手
折れた取っ手

取っ手が折れた

07.12.19.

知人から、急須を落として取っ手が2片に折れてしまったので、何とか直せないかと相談を受けました。
 布着せで補修できるだろうという希望もあり、ダメモトでやってみましょうと預かりました。

家に帰ってよく見たら、釉薬を掛けていない素焼きで、とてもなめらかな細かい肌でした。これでは漆などで汚れたら拭き取れないと思い、折れた取っ手の修理作業中に、急須の肌が漆で汚れないように養生しておくことが重要だと気が付きました。Top

養生

08.01.19

急須全体の完全な養生が必要なことがわかりましたが、こんな球体をどうやって養生するか、よい方法を思いつきません。
 始めは何か適当な糊状のものを捜して表面を保護することを考えました。しかし糊では塗りムラも出るだろうし、一番大事な塗った端の糊が薄くなれば効果が無いことや、漆が糊を透して汚してしまうかも知れないし、どうにも決断出来ずに悩んでいました。

ある時、手袋を被せることを考えつきました。ところが、ウッドエポキシ用の薄いプラスチック手袋は伸びないので使えません。市販のゴム手袋を探したのですが、薄手といってもどれも厚くて思うようには伸びません。

急須に被せた手術用手袋
親指を注ぎ口に合わせ手術用手袋を被せた

ふと、丈夫で薄くてよく延びる手術用の手袋が頭に浮かび、すぐに近所の医院から医療用のゴム手袋を貰ってきて被せて見ました。

急須の胴体部分は半径7cmくらいの球形です。手袋の親指を急須の注ぎ口に当て指の部分を上にして、急須の底へ向けて手袋を被せました。
 さすがに手術用手袋は薄く延びてぴったりと包んでいます。勿論ピンホールもないのでしょう、中の空気が抜けなくて4本の指がプクプクと膨らんでいます。

08.02.26

手袋の親指と人差し指の間隔が、急須の注ぎ口と湯を入れる上の口との間隔にうまく合って、4本の指が大きな口に集まりました。そこで手袋の指先を少し切って空気を抜き、急須の中に押し込んで養生テープで留めました。

こうして手のひらの上で扱っていると、どうも出っ張っている注ぎ口が何かに当たって欠けそうなので、適当な径の竹を輪切りにして手袋の上から注ぎ口に被せ養生テープで留めて保護しておきました。

養生した急須の上部
手術用手袋で養生した急須の上部

養生した急須の底部
養生した急須の底部

次に取っ手を付ける部分のゴムを破り、漆を付けるべき部分だけが出るようにして、隙間が無いように注意しながら養生テープでがんじがらめに貼り付けました。Top


取っ手を繋ぐ

取っ手は付け根から取れ、二つに折れています。まずこれを瞬間接着剤で接ぐのですが、瞬間接着剤が乾くまでの数秒間はしっかり圧着したまま保持していなければなりません。

経験上手持ちだけでは必ず動いてしまいますから、これをどう保持するかを考えました。電気用のビニール絶縁テープが粘着力が強く、且つ伸びるから曲面にも貼れるので、これを使うことにします。

取っ手の表側にビニールテープを貼り、裏側から瞬間接着剤を垂らして接ぎ口を押し付けながら保持していました。
 しかし、一寸力が入りすぎ接着面が斜めに離れてしまって、失敗!

接ぎ口に付いた瞬間接着剤を剥がすのに、ティッシュにテレピン油を滲ませて強く擦ったら、どうやら落ちたようです。

片側ずつ接着
片側ずつ接着した(赤色はビニールテープ)

他に方法を思い付かないので、同じようにビニールテープを表側に貼り、今度は瞬間接着剤を周囲に一度に付けるのではなく裏側だけに垂らして、まず固め、次に衝撃を与えないように注意してビニールテープを剥がし、表側にも垂らしました。これで成功!

取っ手の欠け込み
取っ手の欠け込み

折れた取っ手の真ん中には大きな陶器の欠け込みがあるので、錆漆を数回に分けて塗り、埋める必要があります。

ビニルテープで養生した取っ手
養生した取っ手

紙テープでは出来ないビニールテープの伸縮性を利用して、取っ手全体に巻き付け養生しました。

折れた箇所の漆を塗る部分だけをうまく出すことが出来ました。養生は成功です。

取っ手も接着した急須
取っ手も接着した急須

折れた取っ手が一本になったので、これを本体に接着しました。
 瞬間接着剤が固まるまで手で押さえていたのですが、押さえる双方が大きいのでこれは簡単でした。

これで接着の仕事は完了しました。

取っ手を漆塗りする前の段階まできたのですが、これからが本番です。Top

繋ぎうるし

錆漆に出来たしわ
錆漆に出来たしわ

08.02.29

錆漆を練って、取っ手の真ん中の欠け込みに少しずつ塗り着けました。

砥の粉が足りなくて漆の表面に縮緬皺が出るので、3回目には糊漆に大量の砥の粉を練りこんだ耳たぶくらいの固さの錆漆を塗りました。
 それでも硬化すると皺が出て来ました。

つなぎ目に錆漆を着けた
つなぎ目に錆漆を着けた
12P083270004

08.03.11

10日経って漸く錆漆が硬化しましたが、表面には縮緬皺がはっきりと出ています。
 しかし皺の凹凸が丁度次の錆漆を塗るのに好都合になり、凹みに錆漆が溜まって欠けの凹みが埋まりました。

錆漆をこの凹みだけではなく、接着剤で繋いだ線の上に爪楊枝の先で漆を置くようにして描いていきました。

12P083270006

08.03.27

旅行に出たりして2週間ほど経ったので、さすがの錆漆のもすっかり硬化しました。
 ここでちょっとサンドペーパーで表面を研いでから次の錆漆を掛けました。

ちりめんしわを磨いた
ちりめんしわを磨いた

08.04.09

中央の一番欠けた部分の漆にまだ縮緬皺が残っているのでサンドペーパー#800で磨きました。

きれいに接がれていた
きれいに接がれていた

ついでに上下の繋ぎ目も磨いたら漆は殆ど残らないほど段差が無くきれいに接がれていました。

08.04.10

取っ手の底側
金泥を蒔いた取っ手の底側

繋ぎ目に朱漆を下塗りして金泥を蒔きました。

金泥を蒔いた取っ手上部
金泥を蒔いた取っ手の蓋側

一晩置いて漆が半乾きしたところで、浮いた金泥を払うと、綺麗に出来ていました。

金泥を払った取っ手の底側
金泥を払った取っ手の底側

金泥を払った取っ手の蓋側
金泥を蒔いた取っ手の蓋側

 Top

取っ手の補強

08.04.11

取っ手の養生を外した
取っ手に巻いた赤いテープを外した

湯を入れるとかなり重くなる急須の取っ手が、単なる金継ぎだけでは見た目にも強度が心配なので紙を着せることにしました。
 しかし、つなぎの部分だけでは修理の跡が生々しいので、取っ手全体に紙を着せることにします。

08.04.12

巻いてあった赤いテープを外してみると、繋ぎ目が細くて弱々しく今にも折れそうです。

08.04.14

取っ手全体に紙を着せるとなると手術用手袋の養生だけでは汚れるおそれがあります。

取っ手の根元の養生
取っ手の根元の養生

そこで、漆などの汚れから急須の生地を養生するために、大和糊と中性洗剤と色付けに醤油を少量加えて、筆で紙着せする部分の周囲に塗りつけました。

これなら漆も生地には付かないし、あとは水洗いすればこの養生も剥がれるだろうと考えました。

08.04.20

取っ手の全体に紙を着せる前に、強度を増す意味もあって、試験的に折れた部分だけに紙着せをしてみました。

始めは漆漉紙(柿渋を塗った吉野紙)を使ったのですが、堅くて取っ手の反りに巻き付かず失敗でした。柿渋が着いていない部分を使ってもやはり吉野紙は腰が堅すぎます。

取っ手に貼り付いた和紙
取っ手に貼り付いた和紙

そこで雲龍和紙を使ってみると、取っ手の丸みにぴったりと押し付けることができました。
 余った部分は重ねないで、拝み合わせにしておきました。

拝み合わせにした和紙の立ち上がり部は、漆が半乾きになってからカッターでそぎ落としました。

和紙の立ち上がりをそぎ落とした
和紙の立ち上がりをそぎ落とした

案の定、養生していない取っ手部分の陶器肌についた漆は、特に薄い汚れほど落とせませんでした。

08.04.27

研ぎ出した雲竜和紙
研ぎ出した雲竜和紙

1週間経って漆がすっかり乾いたので、サンドペーパー#1000で紙着せの部分を研ぎました。
 紙の厚みが指に当たらなくなるまで研いだので、一部陶器の地肌が出た箇所もあります。

取っ手の汚れた部分は、汚れが落ちないから、取っ手全体を紙着せ処理するしかありません。

08.04.29

取っ手全体に白漆を塗ったら胴体と同じようにならないかと考えました。

水晶末で試したが失敗
水晶末で試したが失敗

先日買った水晶末を木地呂漆で練りました。白色を出そうと思い漆を少なめにしたので、漆が伸びず筆先にも馴染まず、色も艶があるものの黒茶色です。
 筆で研ぎ出した和紙の上に塗ってみましたが真っ黒で白とは程遠い有様です。仕方がないので上から水晶末を蒔いてみました。しかし、水晶末ははらりと落ちず、しっとりと蒔き筒に付いたままです。

仕方がないので指先に水晶末を付けて和紙の上に擦るようにして付けました。しかし厚くは乗らず、片栗粉をまぶしたような具合です。

これで水晶末は漆には使えないことが判りました。辞書を見ると、白漆は二酸化チタニウムで作ると書いてありました。

08.05.06

前回は水晶末で失敗したので、2酸化チタンを求めて画材専門店に行きました。しかし2酸化チタンは無かったので、胡粉9番を買ってみました。試してみましたが粒子が稍粗いこともあり、やはり漆と馴染まないで、水晶末と同様に粘土状になるだけでした。
 次に胡粉を蒔いてみましたが、これも失敗でした。

また、手芸材料店の2酸化チタンは陶器用なので多分粒子は相当に粗いだろうし、1袋の量も多くて高いから試してみる気もしませんでした。

残る手段は金泥を使うか、新漆(ラッカー様の合成塗料)にするかのいずれかだけです。

08.05.16

更にネットによれば、酸化チタンの白漆と言っても漆が暗褐色なので白くはならずミルクティー色になってしまうのだそうです。ミルクティー色はまたそれで落ち着いた良い色だと思うのですが、ここでは使えません。

そこで漆をあきらめ「新漆」の白を買って試しました。確かに白くはなりますが材質は明らかにラッカーであって、何回も筆で伸ばすと表面から固まってくるのでしわになってしまいます。つまり一度塗りしかできないものなのです。勿論拭き漆のようなことは出来そうにもありません。

この急須の取っ手に新漆(白)と本漆の金泥蒔きとを併用して結果を試してみました。

白い「新漆」塗り
白い新漆


新漆は艶は出ますが、品がありません。


金泥蒔き
金泥蒔き



見る人にもよるでしょうが、金泥の方が美しいと思います。

08.05.18

今日、修理依頼主の知人に見てもらったところ、迷うことなく金泥が選ばれました。

それで早速新漆を剥がしました。和紙をカッターで削ると簡単に削ぎ取ることができました。金泥を蒔いた和紙も削ぎ取りました。

新漆を塗った和紙を剥がす
新漆の和紙を剥がす

金泥を塗った和紙を剥がす
金泥を剥がす

更に和紙からはみ出して直接陶器に付いた部分を比較すると、新漆より金蒔きの下地にした朱漆の方が陶器の地肌に馴染んでいます。

また瞬間接着剤で接着した折れた部分は強固に付いていて、地肌の汚れを取るために随分力を入れましたが、ここからまた折れるおそれは全くなさそうです。

一応実験的に塗った和紙や漆は全部剥がしました。今度は取っ手全体に和紙を貼り金泥を蒔く作業になります。
 紙は、雲龍和紙と較べて、薄くて強い吉野紙の方がよいでしょう。しかし腰が強いので曲面には馴染みませんから、リボン状に切って、取っ手の表裏に1枚ずつ貼り、脇で合わせてみるつもりです。取っ手の立ち上がり部分の処理が難しいと想像されます。

08.05.19

木地呂漆を取っ手の裏側に筆塗りして、細長く切っておいた吉野紙を置くようにして貼っていきました。しかし紙が硬くて粘着しません。更に木地呂漆を吉野紙の方にも塗って貼ってみましたが、矢張りくっつきません。

そこで粘着性を上げるために糊漆を考えました。

木地呂漆よりも箔下漆の方が粘着性があるかと考え、1滴の箔下漆に大和糊をほぼ同量練り込み、取っ手の裏側と吉野紙の双方に筆塗りして貼り付けました。

29P085190009
吉野紙を取っ手の裏側に貼り付けた

30P085190012
紙の端の反りは浮いたまま

今度はうまく貼り付きました。
 ピンセットの背で重なりをしごくようにして押さえながら、取っ手の裏側だけ貼りました。

取っ手の中央部だけに紙が付いていますが、端の方の反りがある部分は浮いたままになっています。

和紙の浮いた部分を切り落とした
和紙の浮いた部分を切った

08.05.20

貼った紙の浮いた部分はカッターで切り落としました。

今度は取っ手の表側に吉野紙を貼るのですが、断面が曲面なのでより強い粘着力が必要だと考えて、糊漆は糊:生漆=3:2くらいにしてみました。また吉野紙は柿渋が着いていない部分だけを使いました。

取っ手の表面にも和紙を貼った
取っ手の表面にも和紙を貼った

紙と取っ手と双方に糊漆を付け紙を貼ると、裏側とは違って、紙を置きやすいので簡単にうまく貼れました。

粘着力も十分で、取っ手の両側にはみ出した紙は、そのまま指で押さえると素直に裏側の紙にかぶさって収まりました。

硬化した結果が楽しみです。

08.05.22

取っ手の表側は和紙がとてもうまく貼り付いています。

貼り付いた和紙を軽く研いでおいた
貼り付いた和紙を軽く研いでおいた



紙の凹凸をならすように、サンドペーパー#800で軽く研いでおきました。

もう一度梨子地漆を塗って、紙の切り際が立っているところを落ち着かせようと思います。

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金蒔き・仕上げ

08.05.25

表面を滑らかに研ぎ出した
表面を滑らかに研ぎ出した


梨子地漆を塗って紙も落ち着いたので、サンドペーパー#1000で注意深く研ぎ出し、表面を滑らかにしました。

滑らかにした表面に、呂色漆を掛けました。

呂色漆を掛けた
呂色漆を掛けた

08.05.26

とても良い艶が出ました。  

取っ手に金泥を蒔いた
取っ手に金泥を蒔いた
取っ手に金泥を蒔いた

08.05.28

朱漆黄口を平筆で塗り、蒔き筒を使って金泥を蒔きました。

蒔き終わってからティッシュを指に巻いて軽く押さえておきました。

朱漆が多過ぎるところはティッシュに朱が着くのですぐ判ります。しかもその部分は金泥が剥げて朱漆が見えているので、再度蒔き筒で金蒔きをしました。

全体として均一に綺麗に金泥が着いています。十分乾くまでそっとしておきましょう。

08.05.31

もう十分に硬化したと思うので、養生の手袋などを全部剥がしました。

あまり養生からはみ出た汚れもなく、両面テープを剥がした跡をテレピン油で拭いた程度で綺麗になりました。

留め漆は掛けていませんが、金泥はしっかりと固定されていて手には着きません。
 留め漆を掛けると金の色艶が損なわれ、薄黒くなるから、見栄えを重視してこのままにしておくことにします。

修理終了

08.06.01.

依頼主に見せたところ、気に入ってくれたのでその場で納品しました。

これをもって完成とします。

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<2009.10.29.作成 2012.12.02.四訂・掲上>