「紀行」目次 翠簾洞ホームページ入口


前項『善峯寺の紅葉』は検索と注釈の実験場になってしまいました。
 これはそれを作った半年間の裏話です。


『善峯寺の紅葉』あとがき

発 端

2009年秋に紅葉狩りに京都に行きました。紅葉と言えば永観堂だ、東福寺だとわいわい言いながらも、京都に詳しい娘に行く先もコースも任せました。ただ、東京を出る前に友人に勧められた「善峯寺」だけは是非にと頼みました。その成果は、既にこのホームページ「錦秋の京都」にまとめてあります。

善峯寺

はじめは娘も「善峯寺は松で有名だけど紅葉なんて聞かないよ」と言って、余り気が進まない様子でした。それで松を見たら直ぐ帰るだけだと思ったのでしょう、午前中は東福寺をまわり塔頭天得院で精進料理を頂いてから、おもむろに善峯寺に向かいました。そしてカーナビを頼りに乙訓の孟宗竹林の間の狭い道を擦り抜けるようにして、やっと善峯寺に着いたときはもう2時を廻っていました。でもこの日は空一面が真っ白でお陽様の位置も分からぬ高曇りでしたから、遅くなったという感覚もありませんでした。

ところが、山門の真下にある駐車場に降り立ってみると、目の前にそびえる周囲の峰々は正に錦織りなすような壮観です。目指す善峯寺も崖のような山の尾根にあり、目の前の大きな瓦屋根の楼閣がなければ、ちょっとしたハイキングに来たような気分です。

境内一巡

駐車場の崖の上の大きな楼閣はなんと山門(仁王門)でした。険しい崖と深い薮木立で囲まれていて、この立派な山門を避けるような「関所破り」は出来ません。善峯寺は全体が山の中にありますから、尾根のちょっと平らなところに、棚田のように1棟づつお堂を建てていったという具合です。もちろん境界の柵や杭は一切見かけません。

ただ一箇所やや広い平地には、由緒ありげな大きな茶店の奥に、本堂(観音堂)・文殊堂(寺宝館)・本坊等が並んでいます。そこから石の階段を上がると、崖に沿って「遊龍の松」を配し、経堂(絵馬堂)・多宝塔等があります。

その他の建造物や奥の院などに行くには、もう平地はなくて階段か坂道を通らなければなりません。一応番号を振った案内板がありますが、山道は分岐が多くて結局番号順には廻れませんでした。

曲がりくねった道を、目の前の鮮やかな紅葉に見とれたり、振り返って向こうの山の紅葉錦を眺めたりしていると、方向感覚が分からなくなって、一度通った道か初めての道か迷ってしまいます。

一応の目安としていた奥の院まで来て、時計を見ながらさてここから更に上を目指すかどうか考えましたが、秋の夕暮れにしては白い空からの反射でまだ明るかったので、登ってみることにしました。

時間が遅いし奥の院まで来る人は無く、蓮華寿院の池から上は深い林の中に墓場が見え隠れしていて心なしかひんやりとした空気に包まれています。真っ赤な幹色の高野槙の林は初めて見ましたが、かぐや姫でも入っているかのように周囲がモアーッと明るくなったようで神秘的です。

平安末期の墓地としては随分整っているので、宮内庁が管理している法親王の霊廟も含めて、多分近年大規模な改葬をしたのだと思います。しかも一般人と思われる真新しい白い墓石が沢山並んでいますから、或は墓域を整理して檀家に分けているのでしょう。

参拝を終え林に囲まれた墓域を出ると急に眼前が開けて、下る一方の坂道を、夕暮れの光に霞んではいるものの、錦織りなすおちこちの眺望を楽しみながらゆっくりと山門まで戻ってきました。

壮大な紅葉の景観も素晴らしいものでしたし、京都市内の観光寺院とは全く違う雰囲気の山寺は、機会があればまたゆっくりと参観したいものです。紹介して頂いたのを無駄にしなくて本当に良かったと思いました。

ネットサーフィン

帰宅後、発端に記した「錦秋の京都」を編集しながら、名前すら知らなかったあの「善峯寺」とは一体どんなお寺なのかパソコンで調べてみようと思い立ちました。

「善峯寺」で検索するととても沢山の項目が出ています。その中からまず善峯寺のホームページを開きました。(管理人は「善峯寺に集う作家たち」でお馴染みの仏絵師 藤野正観氏でした。)「善峯寺のホームページ」の中でも当山の山主(住職)掃部光昭師が執筆する「善峯寺の歴史」を、私の「善峯寺の紅葉」のバックボーンに据えました。

この項(善峯寺)に関する限りは「Wikipedia」は余り参考になりませんでした。しかしネットで70余りも項目を見ていくと、断片的ながらいろんな情報が見つかりました。大別すると、西国三十三箇所札所廻りの人々と、 桜を始め四季折々の多彩な花に集まるカメラ愛好家とに分かれます。

前者には、めぼしい堂塔を一回りしただけというものが多く、同じような文章や全く同じ写真も沢山見られました。しかし数多い項目の中には他人が写さないような写真やアングルもありました。そして観光地図には入っていても私が撮っていなかった堂宇の写真を探し出しては私のサイトに頂きました。ただひとつ、観光地図では山門脇に大きく描かれている「宿院」の情報は、ネットの項目を70番までしらみつぶしに探しても遂に見つかりませんでした。

一方、後者は綺麗な花がお目当てですから周囲の建物等には関心が薄く私にはほとんど用がありませんでした。私も花は好きなのですが、このサイトで見る限り、花好きの人はどうも好みの花が決まっているようで、例年同じ場所で同じ花を撮っているようです。それを見ていると善峯寺には多くの種類の花が四季折々に咲く様子がよく分かりました。一年を通して「花の寺」として見た善峯寺レポートもまた面白かろうと思いました。

縁故の人々

こうして私のサイトの本体となる「観光:善峯寺の紅葉」は大よその体裁が浮かび上がってきました。ホームページにまとめるには写真のサイズ調整や文字の配置に多くの時間を取られました。更にネットサーフィン中に、興味がある新しい写真を見付けると、びっしりと並べた写真や記事の間に割り込ませるのに遣り繰りが大変でした。

それから解題として観光地図に並べて善峯寺の縁起にもちょっと触れておこうと考えました。

そういう眼で前述した掃部光昭師の「善峯寺の歴史」を読むと、面白い伝説があり、平安から明治まで歴史に翻弄される千年の物語があり、次々に好奇心が涌いてきて簡単には片付かないことになりました。ただ宗教色が強い光昭師の文章から抜け出して、客観的事実で肉付けするのには更に何倍ものサイトを開いたり、同じサイトを何回も読み較べたりしました。

いろいろ読んでいくと、知っている人や知らない人が大勢出てきて、その人をまた追いかけて調べるという繰り返しになってしまいました。

一番困ったのは天皇の名前です。同じような名前の天皇が交互に現れるので、時代の前後関係や血統絡みの勢力争いの関係や時の権力者との確執や、ひいては記事の信憑性も気になったりして混乱してきます。

年号も前後関係を確認する必要がありますが、これは西暦を併記すれば直ぐ解決します。反面あちこちから引用して来るので、年代が矛盾していないかも一応注意しました。

こうして善峯寺縁故の人々を追いかけ、戦乱の結果で入れ替わる世の浮き沈みを見ていると、戦時中でろくに勉強せず断片的だった私の中世日本史がどんどん繋がって絵巻物になってきました。

こんな絵巻物を自分の文章で書いていくと、折角調べた人物や事件なのだから更に詳しく説明を付けたいという思いがつのります。しかし私の筆力では詳しく書こうとすればするほど煩雑になって大変読み難くなります。悩んでその折り合いを付けた結果が、数多くの「注」を付けることになってしましました。

この沢山の「注」を付けるに当たっては全面的に「Wikipedia」のお世話になりました。信憑性は、特に年号等を他のサイトと比較して検証しましたが、比較したサイトも「Wikipedia」から引いているかもしれませんね。

私の「善峯寺の紅葉」の温故『善峯寺の歴史』附『注釈』は、その「注」の集大成?です。

注の中には同じ注に複数の箇所から入るので、戻る場合も入ってきた箇所に帰れるように、戻る項目を同じ数だけ付けました。

私の実験的試みですが、青蓮院宮御廟などでは写真の説明文からも注に跳ぶようにしてあります。

そんなことで、ちょっと書いておこうと思った「縁起」が、本編の「観光」よりも大きく膨れ上ってしまいました。

老化現象

私は遠近両用眼鏡を長く使っていますが、去年あたりから遠近の中間、ちょうどパソコンのモニターの距離に焦点が合わなくなってきました。右手はマウスを持ったまま、左手で眼鏡を持ち上げ身体をひねって眼を近づけて見ていましたが、とても不便です。

この「善峯寺の紅葉」を作るのには、2010年3月から8月まで半年近く掛かりました。その間とても能率が悪いので、遂に4月にパソコン専用に中間距離の眼鏡を作りました。これは大成功、とてもよく見えてその後の仕事?が楽しくなりました。しかし逆に近くも遠くもぼけてしまうので二つの眼鏡を架け替えなければならなくなりました。

眼科に診て貰うと視力に変化はないが、老化で眼筋が固くなり水晶体の調節が鈍くなったのだということです。

今年の夏は記録的な高温続きで雨が降らず風も吹かず、熱中症患者が続出だそうです。この暑さの中、流れる汗を拭きながらパソコンを続けていて、尾てい骨の上に水膨れが出来てしまいました。かゆみもないのですが水虫かと思って皮膚科に行って診て貰いました。

すると皮膚が老化してきたのに長い間腰掛けていて血行が悪くなり、そこに汗をかいたのでアセモのようになったということです。皮膚の保湿剤と血行を良くする薬を練り合わせた軟膏を出してくれました。

別に病気というほどではありませんが、名医も「処置無し」の老化現象は寝ているうちに着々と進行していました。

謝 辞

私が『善峯寺の紅葉』に出会うことが出来たのは、正に善峯寺を紹介してくださった友人のひと言のお陰です。感謝いたします。

またホームページにまとめるにあたっては、書物は一切開かずにすべてネットサイトからの情報に頼りました。いくら探してももう二度と見つからないサイトも多いことでしょう。見ず知らずの皆さんに対して、ここに無断借用のお詫びと、いろいろ勉強させていただいたお礼を申し上げます。TOP


<2010.8.26. 着手 「あとがき」 2010.8.29. 終了>