福島にて・・・9月(1)
2011/09/18〜21
9月19日、かねてより、菅野新也さんより聞いていたイベント『までいな一日。』。原発事故で避難生活を余儀なくされ、各地に散りじりとなってしまっている飯舘村の人たちが、集まり、再会できるイベント。それと同時に、飯舘村の仮設住宅が建つ自治体の人たちとの交流も狙った、壮大なイベントである。
8月に開催が決まった時点で、私はすでに上松美香さんとの出演を決めていた。私たちの提案していた、恵比寿のヘアーメイク・サロン『クリフ』のメンバーの、ヘアーメイク・ブースも実現した。トランペットの渡辺隆雄さん、パーカッションの小澤敏也さん、ケーナ、シークの菱本幸二さんも、出演を快く引き受けて下さった。
それぞれの仕事の都合で、出発時間はバラバラ。私と妻は、8月に引き続き、ワンボックスのレンタカーを借りて、9月18日朝、美香ちゃんをピックアップして東北道に乗った。
・・・
一日早く出発したのは、相馬の仮設住宅に暮らす、阿部新太郎さん・洋子さんご夫妻を訪問するためだ。
阿部洋子さんは飯舘村出身、いまもお母さんが村に暮らしているという。
「もう90を過ぎているもんなぁ。」
「いまは福島市内の渡利辺りのアパートにいるけんど、もう『帰りてぇ、帰りてぇ』ってな。」
阿部さんには『までいな一日。』のチラシを送ってあった。
「松川は、ここからはちょっと遠いなぁ。」
「私らは行けねども、うちに来てなは。ご飯食べてって。」
夕方近く、もう通い慣れた仮設住宅に着いた。北集会所の前で、区長の鈴木陽一さんにお会いする。
「おお、あんたらまた来てくれたのか。ご苦労さん。ここも何かやる事が多くてなぁ。」
私たちでは、想像もできないような仕事が、たくさんあるのだろう。顔が少しやつれて感じた。

「こんにちはー!おじゃましまーす。」
「はい!どうぞー!」
洋子さんは、台所で忙しそうにしている。
「さあ、入って、入って!」
「今日は天ぷらにしようと思って。」
「主人は、もう嬉しくて嬉しくて、一人で先にやっています。」
「さあ、こっち、こっち。」
新太郎さんは、いつも照れくさそうに座布団を勧めてくれる。
「じゃあ私たち手伝います。」
妻と美香ちゃんは、洋子さんを手伝うために、台所へと立った。」
「今日はな、墓参りに行って来たんだ。」
「お墓はお近くですか?」
「うん、磯部だな。」
「お仕事はたいへんではないですか?」
「仕事って言っても、港近くの海の掃除
だけだもんなぁ。そりゃぁ楽よ。」
「だいたい12時頃には終わってしまう。」
「仕事ある日は飲めねんだけど、明日は休みだけんなぁ。」
「飲むって言っても、毎日一杯、これ(焼酎)を薄めてな。今日はちょっと。ハハハハ!」
台所の方も、何やら賑やかである。
新太郎さんは、座卓の横の棚から、写真やアルバムを出し入れしている。
「お写真ですか?」
「そう。津波で全部流されてしまったもんで、北海道の親せきが『こんなの出て来たよ』って、送ってくれたんだな。」
「息子さんですか?」
「そだども。高校やめてすぐの頃だな、これは。」
大きく引き伸ばした写真の中で、若い漁師が甲板の上で笑っている。
「あにやんが生きとればなぁ。」
「写真もみんな、流されてしまったからなぁ。」
次の写真は、立派な家の玄関先だ。
「この家は、昭和53年だったべか。」
「こんなんもみんな、流されてしまったで。」
「この石なんかトン単位の重さだべ。それが跡形もないんだから。まぁなぁ。」
「さぁ、出来ましたよー!」
「たくさん食べてねー。」
大きなお皿に、天ぷらが山盛り。インゲン、シイタケ、タマネギ、カボチャ、サツマイモ、ナス、コウナゴ各種かき揚げ。
「急いで作ったから、あり合わせでね。」
「いただきます!」
「ハーイこれも!」
美香ちゃんがお茶碗を運んでくる。
栗がゴロゴロ入った『栗ごはん』である。
「えー!?こりまぁ、すごい量の栗ですね。」
「お汁もあるからね。」
今度はシジミがいっぱい入った味噌汁だ。
「天つゆに、大根でもあれば良かっただなは。」
天ぷらをつまみ、栗ごはんとシジミの味噌汁をいただく。
「美味しいです!」
「洋子さんの作る料理は何でも美味しいですね。」
「こんなに栗の入った栗ごはん!あー幸せ。」
妻は栗が大好物である。
「そんでも、ちょっとこりゃぁ栗が多いんでねえべか?たくさん入れりゃいいってもんでもねえから。」
「ちょっと多過ぎたかなー?四升に入れる分量を、一升に入れてしまったからなぁ。」
「スズメ(シジミ)だって、だしが出るくらいがちょうどいいんだっぺ。」
「はい、はい、そうですね。」
「これは今日のお惣菜。」
仮設で配られるお弁当の今日のおかずは、粕漬け赤魚の焼き物だ。
「お父さん、アルバム見せてたの?んだなはー、人さまに見せるようなものでないけど、まぁ見てやって。」
「これがおばあちゃん、でこれが母。二人とも、私が看取ったのよー。」
結婚写真がある。
「このとき私はまだ19よ。」
「今と違って、昔はみんな見合いさぁ。」
「結婚してもうすぐ50年になるけんど、今まで一度もトラブルになったことねえなぁ。」
「トラブルにならない秘訣はな、お互いすんずあう(信じ合う)ことだな。」
「それから、世間の噂は気にしねぇこと。お互い信頼していれば、世間がどう言おうと関係ねえかんな。」
「たくさん食べてね。」
「こんなにたくさんあったら、見ただけで腹が膨れてしまう。」
「ちょっと足らないくれぇで、ちょうどい居んだべ。」
「はい、はい、その通りだべした。」
ふと見ると、新太郎さんが、新聞の拡大コピーを出したりしまったりしている。
「その記事見せていただけますか?」
「これか?いいよ。」
相馬市の合同慰霊祭で、遺族代表の言葉を述べる孫娘彩音さんの姿だ。その横に健一さんの写真も載っている。彩音さんとは、6月にお伺いしたときに会っている。かなりきつい顔をして、始終怒ったような感じであった。
『地域のために最後まで力を尽くした父を誇りに思う。』
『震災直後は大好きだった父がいない生活が信じられず…』
『自分だけじゃない。悲しくても、父の死を受け入れなければ』
「この記事いただいて行っていいですか?」
「うん、いいよ。」
「お嫁さんも美香さんというんですね。」
「そう、美香ちゃんよー。」
「美香ちゃんのお父さんは、健一さんですよ。」
「へぇー、そうなの!」
「そうなんです!」
新太郎さんは、焼酎を手酌でどんどん重ねる。
「いつもはこんなに飲まねえけどな、今日は嬉しいからな。」
「むかす(昔)は、ずいぶん旅歩きしたからな。」
「天竜川の方で、林道を造ってたんだ。」
「あの辺の言葉は、サッパリわがんねがった。早口でなぁ。」
「それから、北海道にも行ったっぺ。」
「ほでも、わしは磯部が一番だ。」
「漁師は人よりたくさん仕事したら、それだけ儲けも多いからな。」
「この人は正直だから、他の人たちが無線で『どこにいるー?』って聞いてくると、本当のことを教えてしまうのね。」
「他の人は獲物を独り占めにしたいから、みんな嘘を教えるのね。だから誰も信用しないの。」
「でもこの人は嘘つかないってみんな知ってるから、みんな集まって来るのね。」
「獲れるときは獲れるんだから、なにも独り占めにすることもないっぺ。」
「家も、船も、みんな仕事で借金返したからね。」
「担保もなしよ。」
「でもいまはダメだっぺ。いくら働いても、儲からねぇ。」
「それに原発だぁな。」
「あれさえなければまだなぁ。」
「明日行けるといいんだけどねぇ。遠いからなぁ。」
「また磯辺にもみんなで来ますよ。」
「明日天気がちょっと心配なんです。」
「明日かー?明日は大丈夫だっぺ。」
「台風がこっちに来ているからな。天気図見りゃ、こっちの方は降らねえベ。」
「ベテランの漁師さんの天気予報ですから、絶対ですよね。これでみんな安心です。」
「今日もまた二本松なので、そろそろお暇します。」
「また遅くしてしまってぇ。ごめんねぇ。」
「なかなか帰したくなくてなぁ。」
「ちょっと待ってなぁ、おにぎり作ってあげる。」
栗のいっぱい、いっぱい入った栗ごはんのおにぎりと、ゆで卵、お菓子までいただいた。
「すいません、いつもいただくばかりで。」
「それからこれ、うちの人が船に乗るときにいつも飲んでたやつだから。特別なやつよ。」
栄養ドリンクを包んでくれた。
「親戚の家だと思って、いつでも来てね。」
「実家がもう一つできたような気がします。また来ますね。」
「待ってます。」
今日も仮設は寝静まっている。
阿部さんのお宅に伺う前に、南相馬市から6号線を北上して、津波の被害が大きかった地域を訪れた。
南相馬市鹿島区には、かつての水田と思しき草原に、たくさんの漁船が打ち上げられている。相馬市尾浜の海岸線は、6月より片付いているとはいえ、その壊滅的な状態に言葉が出ない。海にはバスや建物が残されたままだ。
阿部さんによると、漁協関係のものでないものには、とりあえず手を付けられないとのこと。
この現実離れした景色の横を、セーラー服の女子高生が自転車で通り過ぎる。尾浜の空き地で、男性が3人、キャッチボールをしていた。
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2011/12/03
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