福島にて・・・7月(2)

2011/07/03〜06

7月5日、川俣中学校に間借りしている飯舘の小学生4年生のケーナ教室をする事になった。明け方からの激しい雷雨にぬかるんだ運動場に車を止めて、校舎に向かった。
 入り口には、報道関係者に対して、授業中の子どもたちへの取材について禁止するという旨の張り紙がしてある。そんな張り紙が必要なほど、報道機関は節操がないのだ。

楽器や衣装を持って、まずは職員室に伺った。
「すいませんねぇ。こんな状態なので、荷物は廊下に置いていただけますか?」
飯舘村には、草野、飯樋、臼石と、三つの小学校がある。その三校がみんな川俣中学校に来ているのだ。職員室として使われている教室には先生が40人。備品の多くは、廊下にまで溢れている。
 今回のケーナ教室は、川俣町に来ている飯舘村の子どもたちにも、ケーナに親しんでもらおうと、川俣町教育委員会が企画したものだ。ケーナは人数分、東出さんが無償で用意した。

「ああ、やっぱり!こんにちは!」
 職員室で先生方と話をしているところに、懐かしいお顔のご挨拶である。昨年の秋、飯舘村の『までいな家』でのライブで、いろいろお手伝いいただいた方との再会。今は福島市内にアパートを借りて、避難生活をされているとのこと。
「今日もここまで車の中、いただいたCDを聞いて来たんですよ。」
「アンデスの音楽って聞いていたので、もしかしたら…って思っていたんですが。」

4年生は三校合わせて30人。担任の先生は3人いる。みんなのケーナを作ってくれた東出さんから、子どもたちへの贈呈式をした。オリエンタルskの菅野さんの手配で、地元紙の記者が取材に来ている。
 まずは代表の子どもに、東出さんがケーナを手渡す。
「あのー、カメラの方、今がシャッターチャンスですよ。」
 立ち話をしていた記者さんは、急いで教壇の方へやって来た。
「大丈夫でしたか?もう一回やりましょうか?」
 子どもたちはクスクス笑っている。

東出さんから、川俣町との関わりとケーナのお話。そしていよいよケーナを吹いてみる。
 東出さん夫妻と手分けして、子どもたちひとりひとりに音の出し方のアドバイス。三人いる担任の先生方も、初めてのケーナに苦労しながらも楽しそうである。
「やった!」
「出たよー!」
 子どもたちのケーナから、次々と音が出てきた。教室内の音が、だんだんと大きくなってきた。

楽器の紹介や、ボリビアの話をはさんでのミニ・コンサート。『ラ・マリポーサ』では、みんな元気に「ヘイ!ヘイ!」、『虹のたもとへ』では、歌いながら即興で振りをつける子もいる。『コンドルは飛んでゆく』でも、大きな手拍子が始まった。
 コンサート終了後がすごかった。ポンチョをかぶる子、リューチュ(帽子)をかぶる子、楽器を鳴らしてみる子。みんな本当に元気でやんちゃである。

廊下で荷物をまとめていると、4年生担任の新田先生が声をかけて下さった。
「あー楽しかった。どうもありがとうございます。『へい!へい!』ってやった曲、音楽の教科書に出ていますよね。」
「あれはボリビアの曲ですよ。」
「楽しい曲ですね。」
「子どもたちも元気にやってくれました。」
「あのー、今日はこれでもうお帰りですよね?」
「はい、これで帰ります。」
「これから何かご予定があるんですか?」
「午後から南小学校であるんです。」
「あのー、他の学年も聞きたいって言ってるんですけど、ほんのちょっとでいいんですが…」
「もちろんですよ!どこでやりましょうか?」
「じゃあ、3年生の教室にみんなを集めますから!」

3年生の教室は、集会室を間仕切ったような、少し大きめの部屋である。5年生、6年生が入ってきた。教室の壁に沿ってズラリ。それでも入りきらず、机と机の間にビッシリと座ってもらった。
 演奏を始めると、今度は1年生のおチビさんたちが、ゾロゾロと入ってきて、私たちの足元に陣取った。文字どおり、子どもたちに囲まれた演奏会。途中、東出さんのケーナが途切れ途切れになる。子どもたちの大きな手拍子に、感極まった様子である。

間仕切の上からは、隣の保健室の先生の笑顔がのぞいている。『ヘイ!ヘイ!』も『虹のたもとへ』も、みんな元気に参加してくれた。
 2年生は、ちょうどテストの最中で来られなかったが、窓を開けて音楽を聞きながらテストをしたのだそうだ。

職員室でお茶をいただきながら、新田先生とお話しした。
「子どもたちはいま、どのあたりから通ってきているんですか?」
「本当にいろいろですね。福島市内や保原、土湯温泉にいる子もいます。一番遠い子は…大玉村。村がスクールバスで送り迎えしているんですが、片道一時間以上かかるんですよ。」
「昨日二本松で飯舘村のバスを見ました。」
「二本松にも、岳温泉にもいますよ。」
「先生方も、みなさん避難生活をされているんですね。通勤距離が増えてしまったんではないですか?」
「私はいま福島市内にいるので大した事ないです。でももともと南相馬なので、子どもたちは会津若松に疎開させています。」
(南相馬市の『緊急時避難準備区域』では、子どもたちの多くを県外に疎開させている。)
「相馬市には行きましたが、津波もひどかったそうですね。」
「海沿いはずいぶんやられました。私の教え子も何人か命を落として…」

車に荷物を積み込むために運動場に出ると、理科の観察のために外に出ていた4年生が、歓声を上げながら走り寄ってきた。
「また来てねー!」
「また来るねー!」
子どもたちの大歓声の中、すっかり晴れて暑くなった川俣中学校の運動場をあとにした。

・・・・・・

7月4日の午後は、山木屋小学校での授業である。『新川』で川俣名物のシャモ丼を食べて、川俣南小学校に向かう。

前述の通り川俣南小学校には、山木屋小学校と山木屋中学校の子どもたちがいる。始業時間まで校長室で待っていると、川俣南小学校の校長先生がガイガーカウンターを持って戻ってきた。
「今日の雨で屋根のゴミが流れたので、雨樋の下は線量が高いんです。」
学校では、毎日決められた時間に校内の何カ所かで、放射線量をはかるのだそうだ。

まずは音楽室で3年生と4年生のケーナ教室である。専任講師の齋藤さんがいらっしゃらないので、進行は東出さんにおまかせして、私はひたすらアシスタントと伴奏に励んだ。
しばらく『二羽の小鳩』の練習を続けたが、なかなか音が出ない子もいれば、酸欠気味になる子もいる。

「木下さんの『ヘイ!ヘイ!』がやりたいなー。」
雨上がりの蒸し暑い午後である。なかなか音の出ない3年生の男の子が言ったとたん、
「『ヘイ!ヘイ!』やりたーい!」
「『ヘイ!ヘイ!』やりたーい!」
「じゃあここからは、木下さんのミニ・コンサートにしましょう!」
「わー!!」
「スペイン語で手のこと、なんて言うか覚えてる?」
「マノ!」
「じゃあ、かかとは?」
「タコ!」
1ヶ月前のコンサートのことを、みんなよく覚えていてくれたのだ。
「今日はこの曲に使う楽器をひとつ持ってきました。これです。」
「わー!ロケットだぁ!」
「これ楽器!?」
「これはマトラカっていう楽器です。こうやって、グルグル回す。」
「わー!」
「やってみたい人!」
「ハーイ!」「ハーイ!」
全員の手が挙がった。
「じゃあ踊りも一緒にやってみよう。こうやって持って、ほらイチ・ニイ、イチ・ニイ」
東出さんの持参したマトラカも合わせて、ふたりづつ教室の前でモレナーダを踊る。
「ラララララーイララーイララーイラライライライライラー、ヘイ!ヘイ!」
「ラララララーイララーイララーイラライライラララララー、ヘイ!ヘイ!」
みんなノリノリ大喜びである。

「『虹のたもとへ』って覚えてる?」
「うーん、たぶん覚えてると思う。」
「じゃあ、一緒に歌おうか?」
「うん、歌う、歌う。」
「みんなが思い出せるように、一番、二番、三番を二回ずつ歌おう。」
この曲は1998年エクアドルに学校を作るために活動するNGO『SANE』のコンサートで、子どもたちと一緒に歌うために作った曲である。川俣で、飯館で、こんなにたくさんの子どもたちに一緒に歌ってもらえるとは思ってもみなかった。
「ハイ!それでは最後に、もう一度『二羽の小鳩』をみんなで合奏して終わりましょう。」
一応「ケーナ教室」で五時間目の授業を終えた。

・・・・・・

10分放課の間、子どもたちと同じく、私たちも5年生の教室へと急いだ。
「帰りのスクールバスの時間がありますので、2時50分には終わりということで…大変申し訳ないのですが。」
「わかりました。」
とはいうものの、『Let’s コスキン博士』のプリントにある、子どもたちからの要望には『民俗音楽とは?』『民俗楽器について』『楽器のかんたんな作り方』『衣裳のかんたんな作り方』『みんなで曲を作ってみたい』など、充実した内容が並んでいる。
5年生は15人、担任神尾先生のごあいさつの後、さっそく授業をはじめた。

プロジェクターでボリビアの写真をみせるつもりだったが、うまく作動しないので中止。ボリビアの話から始めた。
「私の住んでいたボリビアのラパスという町は、標高が3,800mの所にあります。」
「わー!高っけー!」
子どもたちは歓声を上げながら、私の説明をノートに書いている。
「まず第一のテーマは…『民俗音楽とは?』か…いきなり難しいのがきましたねぇ。」
子どもたちは何が難しいのか分からないだろうに、クスクス笑っている。
「山木屋には、何か昔からのお祭りがありますか?」
みんな顔を見合って「ある」とか「ない」とか、「あれがそうだよ」とか。
「なんか、獅子が踊るやつがある。」
「獅子舞?いつやるの?お正月?」
「秋。」「十月だよねぇ。」
「うちのおじいちゃん、やってるよ。」
「へえ!見てみたいな。みんなは見たことあるの?」
みんなうなずいている。
「その獅子舞は、何か音楽で踊るの?」
「ううん。」
「何も音がないの?静かーに踊るのかな?」
「音はあるけど、音楽っていうか…」
「笛とか、太鼓とか…ねぇ」
子どもたちは、獅子舞が舞うお囃子を、音楽とは認識していない様子だ。
「その獅子舞を、私は見たことがありませんが、笛と太鼓で賑やかに踊るんですかね?」
「そうです。」
「みなさんが今『音楽っていうか』といった『音楽みたいなもの』が、実は山木屋の『民俗音楽』です。」
「えー?」
「山木屋の獅子舞を発明した人を知っている人!」
「山木屋の獅子舞がいつからやられているか知っている人!」
「でも、毎年同じように獅子舞をやるよね。」
「だれが始めたか、誰が作ったか分からないけど、ずっと昔からその土地のみんなによって受け継がれてきたのが、『民俗芸能』や『民俗音楽』です。」
「『民俗音楽』について詳しく話をすると、本が何冊も書けるほど長くなってしまうけど、短く言えば、『生活の中で生まれ、生活とともに受け継がれてきた音楽』っていうことかな?」
「ちょっと難しいけど、分かったかな?」
「はーい。」
返事をしながら、みんなノートに書き込んでいる。どんなことをノートに書いたのだろうか?こちらの方が気になるところだ。
「川俣の『コスキン祭』で演奏されるフォルクローレも、そういう音楽が基になって、いろいろに変わってきたものです。私は、すべての音楽の基には、それぞれの『民俗音楽』があるのだと思います。」

「アンデス地方では、こんないろんな楽器を使います。」
持参した楽器の音を出しながら、いろいろな楽器を紹介した。
「次に『かんたんな楽器の作り方』とありますが、今日はみなさんのケーナを作っている、東出さんが道具を持ってきてくれていますので、実演をしていただきましょう。」
先生の机の上が、臨時ケーナ工房になった。子どもたちも先生も…加村校長先生も、みんなが机のまわりに集まった。
「はい。今からケーナを作ります。何分で出来るか計ってて下さい。スタート!」
長さだけを合わせて切ってある竹に、指穴の位置に印を付けるところから始めた。
「電気ドリルで穴をあけます。誰か端と端を持っててくれる?」
「そのあと、こういう円錐のヤスリをつけて、穴を広げます。」
竹が摩擦で焼ける匂いに、
「わあ!臭い!」
「焼き芋の匂いがする!」
みんな反応はまちまちだ。
「次に歌口を作ります。こうしてまずヤスリで。」
「それから小刀で。」
「最後にちょっときれいにして、と。ハイ、出来上がり。何分?」
「4分2秒!」
「エー!!」
「新記録だね、ヤッター!」
東出さんも大喜び。実は今日出発前に、ケーナ作りのシュミレーションをして、その時は5分かかっていたのである。
できたてのケーナで『コンドルは飛んでゆく』を演奏した。目の前で作られた楽器で、知っている曲が演奏できる。子どもたちは、目を丸くして聞いていた。
「東出さんだから簡単そうに作られるけど、みんなが作ったらけっこう難しいよ。」
と校長先生。
「また今度『ケーナ作り教室』を企画しましょう。また来ますから。」
と東出さん。

「この楽器は『チャフチャス』といいます。これはヒツジの爪で出来てるんだよ。」
「うわー!」
「アンデス地方ではヒツジをよく食べます。ヒツジの爪がたくさんあるんだね。だからそれを束ねて楽器にしています。」
「ヤギがたくさんいる地方では、ヤギの爪を使うし、木の実がたくさん落ちているところでは、木の実を束ねて楽器にしているよ。」
「みんなのところでは、海岸に行けば貝殻があるでしょ?秋になったら木の実も落ちてるかな?それをこうすれば、楽器になるよ。」
「『民俗音楽』で使う楽器は、身の回りにあるものを使って作られたものがたくさんあります。だからそれぞれの地方で特色が出るんだね。」

終業時間が迫ってくる。まだテーマはいくつも残っているのだ。
「次は『民俗衣裳』ですね。」
「ヤッター!」
女の子たちは、やっぱりおしゃれが大好きだ。
「今日はアンデス地方の民俗衣裳を、男女1セットずつ持ってきました。来てみたい人!」
「はーい!」「はーい!」
全員の手が元気よく挙がった。
「よし!じゃんけんだー!」
男女に分かれて、すぐにじゃんけんが始まった。
じゃんけんに勝った男の子が、うれしそうにポンチョに首を通す。首からチュユ(ポシェット)を掛けて、リューチュを被る。ちょっと照れながら、それでも誇らしげだ。
女の子には、アワイヨ(風呂敷やマントのように使う布)を巻きスカートにして、肩からも掛け、髪の毛を三つ編みにしてトゥリュマという髪飾りを編み込んだ。
「いいなー」
じゃんけんに負けた女の子たちからは、ため息がもれる。
「でもアイちゃんでよかった。私だったら短くて三つ編みできないもん。」
衣裳を着けた二人が記念撮影。
「わあ!アンデスの王子様とお姫様みたい!」
二人はどこまでも誇らしげである。
「みなさんがポンチョを作りたければ、大きな布の真ん中に頭を通す穴をあけるか、二枚の布を繋ぎ合わせるか、どちらでも出来ます。」
「模様のついた布を使ってもいいし、自分で好きな柄を描いてもいいですね。」
ここでタイムリミットである。
「『みんなで曲を作りたい』という課題は、次回の授業でぜひやりましょう。8月は夏休みだから、9月にできるかな?」
「はい!」
「じゃあ9月にまた会いましょう!」

みんな急いで帰り支度である。ランドセルを背負って、線量計を首から掛けて、マスクをして。
代表の男の子が、
「明日も元気に学校で会いましょう!さようなら!」
「さようなら!」
「さようなら。明日またね!」
みんなが先生と握手をして教室を出てゆく。私たちも握手をする。
「また来てね!」
「また来るよ!」

6年生に手紙のお礼が言いたくて、校長先生に案内していただいて二階の教室へ駆け上る。
「あー、間に合った!」
6年生もバスに乗るためにもう教室を出るところだった。
「みなさんのお手紙、とてもうれしくて、何回も何回も読みました。本当にありがとう。また来るので、その時はまた元気に会いましょう!」
実は、手紙をもらってすぐに、5年生15人と6年生14人のひとりひとりに、返事を書いて送ってあった。名前と顔が一致しないが、子どもたちの文面も、自分が書いた返事の内容も覚えている。そのうち、みんなの名前と顔が覚えられたらいいな、と思う。

急ごしらえの『山木屋小学校』職員室で、美味しいハーブティをご馳走になりながら、しばし校長先生とお話しした。
「おかげさまで今のところ、保護者の方々のご協力もあって、子どもたちは元気にしています。」
「みんなそれぞれ大変な思いで生活なさっているのでしょうけど、学校への不満もほとんどなく、本当にありがたいと思っています。」
「私たちはこれから、ここでなんとか暮らしてゆかなければならないのです。この環境の中で、何とかしてゆかなければならないのです。」
「これから避難生活が長引けば、経済的にも、精神的にも、もっと大変になってくる。そのとき果たしてどうなるか…想像できませんね。」
「でも、ここで子どもたちと何とかしてやって行かねばならないのです。」
「私の家は双葉町でして…私も避難生活です。」

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2011/10/04