創作童話
ひと碗のその真清水を…
菅 野 耿
島の火山はまだ火を噴いていた。ぼくと妹が島を離れ、東京郊外の憲二おじさんのところにお世話になって、一年半になる。ぼくたち兄妹によくしてくれるみんなには悪いけれど、都会の生活にはどうしてもなじめず、うんざりしている。
その夏は特別に暑い日がつづいた。八月に入ってすぐ、ぼくは憲二おじさんに誘われて山でキャンプをした。群馬県と長野県にまたがる標高2千メートル級の山々がつらなるあたりだ。山歩きになれている憲二おじさんのあとについていくのはたいへんだった。でも、身体じゅう汗にまみれてやっと尾根までたどりつき背中をウーンと伸ばす。そんなとき谷のほうからサーッと吹きつける風は、なんともいえず心地よい。登山道のわきにはヤマユリやノアザミ、ヤマボウシが咲き、ガレ場をよく見るとコマクサのかわいい花も。そして、突然パーッと展望がひらけ、ゆるやかな傾斜をなす鞍部に目のとどくのかぎりの緑の大草原が広がる。そこに黄色いニッコウキスゲが咲き乱れ、ベニシジミが舞い遊んでいる。それは口ではいえないほどきれいで、歯をくいしばって苦しい登山に耐えここまで来てよかった、と疲れを忘れて感動する。
そんな登山を終えて里のほうに降りてきたときのこと、水晶のようにきれいな湧き水が流れ落ちているところがあった。おじさんにうながされるまでもなく、両手に水をすくってごくごく飲んだ。そんなときに飲む冷たい水は、ほかのどんなごちそうよりもうまい。湧き水は手がしびれるほどに冷たかった。たっぷり飲んで、ついでに顔もあらった。ふと見ると、そのわきの平らな石の上に白いごはん茶碗がおいてあり、その中には、きらきらと澄んだ水がはいっていた。
水を飲んで元気を取り戻し、また少し山を降ると、谷川に出た。一見したところ岩がごつごつ転がっているただの谷川なのだが、一か所せき止められていて、じつはそこがそのまま露天風呂。三、四人の先客があり、それぞれゆったりと湯につかっている。静かだ。四方八方からウグイスが絶え間なく鳴き、あとはザーザーとあふれ落ちる湯水の音が聞こえるばかり。中に一人、この里の人だという八十くらいのおじいさんがいて、憲二おじさんととりとめなく雑談をするうち、先ほどの清水のことをこんなふうに語ってくれた。
☆
むかし、この村におカネさんという女の人がいた。前の戦争で夫を亡くしていた。子どもを三人産んだけれど、上の二人はそれぞれ三つになるより先にはやり病いで死んで、残ったいちばん下の息子とわずかばかりの畑を耕していた。何もない貧乏な暮らしだったけれど、山の豊かな恵みを受けて、一人息子の三吉はたくましい若ものに育った。
三吉が十八になってすぐ、この家に赤紙が届き、戦争に行くことになった。おカネさんも、このときにはもう若くはなかった。三吉にしてみれば、わずかな土地とはいえ先祖から受け継いできた畑を年老いた母親一人に任せてどことも知れない戦地に出てしまうのは辛かったけれど、戦争はますます激しくなって、村からは一人、また一人と若ものが兵役に取られていく時勢だった。
南方へ送られることになったという知らせがあったきり、そのあと三吉からの音信はなかった。それがある日突然、ニューギニアの小さな島からハガキが届いた。よごれのためえんぴつで書かれた文字は読みにくかったが、それにはこんなことがひらがなばかりで書かれていた。
「こちらは焼けつくような暑さです。いつもノドが乾いてヒリヒリ痛みます。やっと水を見つけたと思えば、虫がびっしり浮いている生ぬるい泥水。口をとがらせフーッ吹いてムシをむこうにやり、急いですするという飲み方にもこのごろやっと慣れました。しかし、これを飲んで下痢が止まらず、痩せてそのまま死んだ戦友も少なくありません。思い出すのは村の崖下のあの真清水。あの冷たい水が飲みたい。このごろ毎晩みる夢はあの水のことばかりです」
戦況は日ごとにきびしく、南方へ送られていった兵士たちが、敵と戦うより前に、飢えと風土病でばたばた倒れていると伝えられているときだった。
その手紙をもらってから、おカネさんは、一日に三度ずつ、崖道を登り降りしてあの水を茶碗に汲み、三吉の写真の前に供えた。湧き水のわきにおかれていたあの白磁の茶碗は三吉が使っていたものだったのだ。
戦争が終わってからも一日も欠かさず水を供えるおカネさんのすがたが見られた。じつは、すでに三吉は戦死していて、そのかたみに腕時計のかけらが届けられていた。出征のとき、おカネさんが三吉に持たせたものだった。それでもおカネさんは、「ひょうきんものなんだよ、うちの三坊は。そのうちひょっこり帰ってきてびっくりさせるつもりなのさ。あんな安物の時計なんぞはどこにでもある。三吉のもんじゃない」といい、息子のノドの乾きを少しでも癒してやれればと、以前に変らず水を供え、曲った腰で畑を耕していた。一本の雑草もない畑にして、帰ってきたら三吉に渡すのだと会う人ごとにいって…。
こうして二十年あまり、おカネさんは三吉の帰りを待っていたけれど、六十六歳のとき亡くなった。その年はいつもより寒い冬で、山には大雪が連日のように降りつづいた。そんなある朝のこと、おカネさんはあの湧き水に通じる崖の下で、ほとんど全身雪に埋もれて死んでいた。手にはあの白磁の茶碗がしっかりと握られていた。
村の人たちは身よりのないおカネさんの遺骸を手厚く葬った。子を思う母親の強いこころに感動した村人は、おカネさんが手にしていたお茶碗を湧き水のわきの、平らな石の上に置いておくことにした。
ふしぎはこのときからおこった。だれも汲んだわけではないのに、あの三吉の茶碗には、いつのときもきれいな冷たい水がいっぱいに満たされ、置かれていた。ときには何も知らない山登りの人がそのお碗を使ってノドをうるおし、そのまま空にして置き去ったあとも、いつに変わらずちゃんとそこに水は満たされていたという。
☆
こちらに避難して来る半年前、ぼくのおかあさんは病気で死んだ。お墓は泥に埋もれていると聞いている。いろいろなことがあっておかあさんのことを忘れていたし、何をしてもつまらなかったけれど、島の山の噴火がおさまって帰島できるようになったら、まっさきにそのお墓を掘り起こし、おかあさんに青い空を見せてあげたい。気持ちのよい島の風を送ってあげたい。そしてそのまわりに木を植え、四季ごとの花を植えようと、ぼくはいま思っている。
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