山本七平語録
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宗教
| 論題 | 引用文 | コメント |
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| 日本は、明治の初めに神道と仏教をあわせて「国教」を作ろうとしたが失敗した。 『派閥』 p123~125 |
明治のはじめには西欧の多くの国には「国教」があり、国王はその宗教的首長であるものも多かった。もちろん今でもイギリス女王が「国教会」の首長であり、北欧のルーテル派の王国でも王が宗教的首長である。そして共和政体になった国でも多くの国に「国教」という概念が当然のようにある。 前にギリシャへ行ったとき、この国はすでに共和政体であったが、女性のガイドに「あなたはギリシャ正教徒か」ときくと、彼女は「もちろん、ギリシャ正教はわれわれの国教だから」と答えた。またフィリピンはカソリックの国だが、アメリカの植民地時代に少数だがプロテスタントを生じた。そういう人たちに質問すると「フィリピンの国教はカソリックだが私はプロテスタントだ」といういい方になる。そして明治のはじめのころは欧米も今ほど非宗教化していなかったから、「文明開化」には「国教と憲法」が必要だと日本人が考えても不思議ではない。 日本人でこのことを指摘した人はいないのかもしれぬが、フランク・ギブニー氏のような日本学者はそれを指摘し、伊藤博文は「憲法という概念は聖書・キリスト教伝統から発生した」ことを知っていたという。そしてキリスト教を除いて「憲法」だけを取り入れ得ると考えた伊藤は「天才」だと彼はいう。伊藤が天才か否かはしばらく措くが、S・ツァイリンのような学者が旧約聖書に記されたエズラーネヘミヤの「律法」の公布を人類最初の成文憲法の公布と見る見方からすれば、ギブニー氏の指摘は少しも不思議ではない。 そしてここに「宗教法的世界」が「事実の世界」と別に構成されるという、京極教授の指摘される「『西洋』にはじまる制度」の祖型(「法的世界」のこと=筆者註)があるわけだが、当時の日本人は、否、現代の日本人も、そんなことには全く関心を持たなかったし、今も持っていない。そこでギブニー氏が不思議がるわけだが、イスラム教を除いてイスラム法を導入するようなことを行えば不思議がられて当然であろう。だが明治の人間は、西洋を見て、何となくここに問題を感じ、日本にも「国教と憲法」とが必要だと思ったとしてもそれは不思議ではない。 だが「国教」(これは「国民的宗教」といってもよいかもしれぬ)という概念は日本人にはない。もちろん聖武天皇が東大寺に大仏殿をつくり、国々に国分寺をおいたころは仏教が国教化していたといえるかもしれぬが、鎌倉幕府、特に「貞永式目」以降には、国教という概念は日本になかったといってよい。 将軍は宗教的首長ではない。将家家帰依の寺もしくは僧といえども特別扱いはしないと「式目」は明記しており。その条文には宗教法的規定は皆無で、強いてあげれば律令から継承した六斎日に魚鳥を食べるなぐらいのことである。この点で。少々皮肉ないい方をすれば「式目」はまことに「文明開化」的法律である。従って日本の伝統の中に、西欧の「国教」に対して共鳴する文化的蓄積はないといってよい。 しかし明治はこれをやろうとした。そこで平田篤胤の門人大国隆正の門から出た玉松操が岩倉具視の顧問となり、神道の国教化を行おうとした。その点、明治元年と同三年の神祇官復興や神仏判然の令の公布は興味深い現象である。これが廃仏毀釈の一因となり、仏教徒の反抗となる。 明治二年、神祇・太政の二官を置いて、神祇官を上にし、宣教使を置き、これを諸国に派遣して宣教させ、各藩知事(藩主)と参事(家老)に宣教を命じた。辻善之助博士は「ここに於て神道は純然たる国教の姿を呈した」と記されている。だがそれが否応なく神仏混淆し、神官僧侶が並んで教導職となる。だがどういう教義を公布すべきかがきまらない。 そこで教部省が「十一兼題」と「十七兼題」を教導職に下し、これの講案を提出させて批評し、統一的解釈を作成することになった。これを合わせて「二十八兼題」といい、その内容は省略するが辻善之助博士はこれを「一種の社会科とも称すべきもの」とされている。慌てて「国教の教義をつくろう」はまことに明治らしい。廃藩置県から三年目に「国体新論」が出てきたことを思えば、これだけを笑うわけにはいくまい。これはまさに「国教もどき」だが、日本に「国教」という文化的蓄積がないから共鳴現象は起らない。 結局、影響力はなく、そのため官制においても徐々に縮少して教部省となり、大教院となり、明治八年には大教院は廃止され。十年に教部省が廃止され、内務省の社寺局が事務取扱いを行うことで、消えてしまった。だがこの消える過程で、面白い現象が起る。本願寺から欧米諸国の宗教事情を視察に行った島地黙雷が今度は仏教側から神仏分離を強く主張したのが大教院廃止の一因になっている。キリスト教は宗教混淆を否定するからその影響であろうが、神仏混淆は仏教渡来以来の伝統だから、それによって日本の家庭から仏壇と神棚の併存が一気に消えたわけではない。 だがその併存はあくまでも併存で、両者を統一せよということ、いわば「仏神棚」を造れという統一宗教化の歴史的蓄積はない。いずれにせよ、日本の文化的蓄積の中にない西欧の国教という概念の宗教混淆の否定は、掘り起し共鳴現象を起こさず、政府か絶大なエネルギーを投入しても、消えてしまった。昔も今も、国教という概念はなく、神仏さらにキリスト教的諸儀式が、初詣で、七五三、結婚、葬式などに併用されているという伝統的な宗教混淆は今も日本から消えてはいないことを思えばこれが当然の帰結であろう。 明治八年の朝野新聞に次のようにある。 「今度大教院が潰れて神仏各宗が別れ別れになり、勝手自由に布教する様に仰出されしは結構な事で有ります。兼ねて分離は悪いと言張り、一本立ちの本山になろうと企てたる興正寺花園教正殿も、此度は大きに前非を悟り、本願寺の方へ降参の掛合を始められたとの評判なり、此教正はさすがに老練の人故、一時は不都合の挙動も有たれど、正理の離し難きを知れば。忽ち悔悟なされるとは実に感服す可し、それに引きかへ本願寺の末寺、驚愕寺始め不分離党の坊様は、今度の発令に驚愕したれど、矢張り神官六宗一所に大教院に神留まりまして、八百万の神たちと共に、南無法連陀仏を、メチャクチヤの別法を播かん騒ひで居るとの事、誠に面白い禿顱で御座いますと、真宗の婆さんより報知せり」と。 これも見方によると面白い。統一的国教が西欧にあると聞けばその通りにしようとし、いや西洋は宗教混淆を否定していると聞けばそのようにしようとする。いずれにせよ、共鳴すべき文化的蓄積がないから、外からの影響は人びとの現実の宗教生活には及んでいない。 |
神道国教化政策の具体的な現れとしては、1869年(明治2年)に太政官制を敷き太政官の上に神祇官を復興させ教化政策を展開しましたが行き詰まりました。また、廃仏毀釈に対する仏教界の反発もあって、それまで退けてきた儒教、仏教も取り込んだ形で民衆教化を行うことにしました。そこで明治5年に神祇官を廃止して教部省を発足させ、神官、僧侶を教導職に任じて教化の担い手とし、「敬神愛国」「天理人道」「皇上奉戴・朝旨遵守」の三条教則を発布し教化体制の整備を進めました。 仏教各宗もこれに呼応する形で、その教員養成機関として大教院の設立を建議し翌明治6年に大教院が設立されました。ところが、教部省の薩摩系官僚は西郷隆盛の影響もあり平田派神道に傾斜していましたので、結局神道宗教化路線が継続することになりました。また、大教院での講義も「神仏大混淆をなし。・・・袈裟にて神前に魚鳥を供せしが如き奇態」が生じ、その一方、儀式は明らかに神主仏従となって仏教側の反発を招き、その結果真宗の大教院分離運動が起こることになりました。 結局、神仏合同で国教をつくるという試みは失敗したと言うことですが、この間、どのような教化政策が採られたかというと、先の三条教則の教化指針を具体化するため十一兼題(明治6年2月)や十七兼題(明治6年10月)という教導職用のテキストが発行されました。十一兼題の項目とその内容の概略は次のようになっています。 1.神徳皇恩ノ説 神徳は五行(儒学に言う万物を構成する五つの元素、木・火・土・金・水)の如く、皇恩父母の如し(皇国史観に基づく家族的宗族的国家観が現れている) 2.人魂不死ノ説 皇国は神国なり、心霊を祭祀し玉うは御国の皇掟にして霊魂はひとえ不死とこそ確定すべし(民俗学的な心霊観を反映している) 3.天神造化ノ説 乾坤は則ち造化の具にして、神は則ち天地の司令なり(諸説あることを紹介しつつ古学の説を採用するとしている) 4.顕幽分界ノ説 昼夜あるが如し(所説を紹介しつつ、一世中の顕幽二界と解釈し、仏教的な輪廻説や地獄・極楽などの二世説を否定している) 5.愛国ノ説 僻地幽谷の一村民もその住所を慕うが如し(自分の故郷を思慕する如く国を愛せよ、ということ) 6.神祭ノ説 一家の祖を祭るもその情を忘れず、その恩を失わず、礼を家族に伝う、天下の至礼を民に示すなり(家族の祭礼と同じように国家の祭礼が大切であることをいう) 7.鎮魂ノ説 魂を鎮めるは己が心を清くして永く情を忘れず(鎮魂の心を持つことの大切さを教えるもの) 8.君臣ノ説 我が国天の日嗣の大王たる所以は、その帝一なり(我が国は万国の中でも最も優れた国であるということ) 9.父子ノ説 父子の情人各々知るところ、知らざる人は孝教を見るべし(五倫五常の教えなど、必ずしも儒教の教えを排斥しないということ) 10.夫婦ノ説 この情男女の性による曾て定め難し、聖賢の教えは情実の正道を言うのみ(夫婦のあり方はまず男女の性によるもので、規範化は大切だが難しいということ) 11.大祓ノ説 時々お祓いあるは世代を清め穢れを佛うなり、毎朝己が身を清めるが如し(毎朝祓いを行い身を清めることの大切さをいう) |
